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どうして捻じ曲げるのですか。あまりに勝手な行為だとは思いませんか。
いっそ消えてしまえたら、どんなに楽だろう。
怨嗟の言葉を叫ぶのすら疲れてしまった私は、ここしばらく言葉らしい言葉を発していなかった。どうせ発したって声にすらならず誰にも届かないのだろうけど。
侵入者が私の身体を使ってローガ殿下に抱きつくのを、私は文句も言わず黙ってみている。反吐が出る、虫酸が走る。前ならそう叫んでいただろうけど、今はそんな気力もない。
侵入者が私の身体を使って成しているすべてを見たくなくて、私は侵入者が起きている時間に眠りに落ちることにした。
ずっと眠っていることは出来ず、夜に意識は覚醒する。まぶたが閉じているため視界は闇に閉ざされ、耳だけが嫌にはっきり虫の鳴き声を拾ってくる。
そのまま何時間も、自分が再び眠りにつくまで待つのだ。
私は何故まだここにいる。私の身体は私の言うとおりに動かないのに、私の声は誰にも届かないのに、何故消えない。
叫ばなくなった代わりに、私は時折涙を流した。心だけで泣くことはできるらしい。濡れた感触のない、とても虚しい涙だ。
疲弊しきった私は、大切な“期限”を忘れていた。ファウスト殿下と私とを結ぶ脆弱な糸。これが断ち切られる日がくることを。
それも、“断罪”という極めて残酷な形で。
* * *
「お前の行った卑劣極まる行為の数々を、私は許すことはできない。私はお前との婚約を解消し、レティア嬢と新たに婚約を結ぶ。クローディア。お前には子爵令嬢暗殺未遂の罪を、その命をもって償ってもらう」
国王陛下も列席なさる卒業パーティにて、それは行われた。突然の言葉に驚き、鳴っていた音楽も談笑もぴたりとやむ。静寂の中心にはファウスト殿下とレティア嬢、そして私がいた。
ファウスト殿下が滔滔と並べ立てたのは、階段から突き落としたこと、柄の悪い人間に襲われそうになったこと、馬車が盗賊に襲われたことなどだった。
子爵令嬢暗殺未遂。たとえ自分より地位の低い者であっても、貴族の命を狙ったことが立証されれば大罪だ。例外なく死刑が科せられる。
もちろん私であれば、死の危険すら顧みずレティア嬢を葬ることを計画しただろう。今ファウスト殿下が言った事は、私ならばやってもおかしくないことだ。
だけど今私の身体を操っているのは、忌々しい、侵入者だ。この女はレティア嬢との接触を避け、ローガ殿下と仲を深めていったはずである。ファウスト殿下に興味がない侵入者が、そんな危険を冒すわけがない。
「何のことでしょう、殿下。私は彼女にそのような仕打ちはしておりません」
侵入者は困惑しながらもはっきりと答える。「命をもって償う」という殿下の言葉に怯えているのか、声が震えていた。
これは面白い展開になった。私はしばらく浮かべていなかった笑みを浮かべた。一度かけられた疑惑を晴らすのは難しい。人を雇って命令したという遠隔操作の疑惑であればなおさらだ。
≪……そうよ……私を処刑なさって? 愛しの殿下≫
恨みや憎しみが、思い出したかのようにぶり返す。そうだ、私だけ消えるのなんてどう考えてもおかしい。侵入者も死ぬべきだ。
この女が苦しんで死ぬのが見たい。私を散々な地獄に突き落としたこの女が、私の身体に侵入してきたのを後悔しながら死んでいく様が楽しみだ。
私も死ぬことになるだろうが、私だけが消えるのよりよっぽど良い。それに、愛する殿下の手で死ねるのだ。今となっては侵入者が恐れていた“シナリオ”が、私の唯一の救いだった。
「白をきるな。レティアを殺そうとした盗賊たちは捕らえられ、厳しい拷問の末、お前に指示されたと白状している。見苦しい真似はやめて、大人しく罪を認めたらどうだ、クローディア=フォルクテンド」
「見苦しいも何も、私は何もしておりません。殿下こそ具体的なことは何一つ立証せずに私を責め立てるなど、許されることなのですか」
「なんだと」
「私を断罪なさるなら、まずレティア嬢が襲われた日時をお教えください。襲われた場所も、人数も。その盗賊達の証言も!」
殿下は侵入者の不遜な態度に顔を赤く染めながらも、言っていることには一理あると感じたのか右腕にすがるレティア嬢に目を向けた。
レティア嬢は鷹に睨まれた鼠のように、ふるふると哀れに震えている。殿方はさぞ庇護欲をかき立てられるだろうが、私からすれば非常に苛立たしい姿だ。
大体、侵入者がやっていない以上、これは冤罪であり、この女が私を陥れようとしている可能性は極めて高い。それを考えるとなんとも白々しい演技だろう。
「レティア……辛いだろうが、私に教えてくれたことをもう一度この場で証言できるか?」
「わ、私……こ、怖くて、よく覚えていません……でも確かにクローディア様にやられたんです! 階段から突き落とされたとき、確かにあの方の顔を見ました!」
ふん、と私は鼻で笑う。丁度同じくして、鼻を空気が通り抜けた。どうやら侵入者も同じように彼女をあざ笑ったらしい。
あら意外とこの女も性悪ね、なんて思ったところで本来の目的を思い出す。そうだ、私はこの場でファウスト殿下に処刑されこの侵入者も地獄に突き落としたいのだった。だとしたら忌々しいけれど、このレティア嬢がきちんと私に罪をかぶせてくれないと困る。
≪頭の足りないお嬢さんですこと。そんな曖昧なもの、証言にすらなりませんのに。信憑性以前の問題ですわ≫
ファウスト殿下も困ったように微笑み、レティア嬢の背中に手を回す。焼け付くような嫉妬を覚えた。再び自分の目的も忘れてレティア嬢に敵意の視線を向ける。
「レティア。それでは証言にならない。よく思い出してみて……この女に殺されかけたのは何日の、何時だ?」
「う……えっと、先月の12日、放課後だったと思いますけど……」
「そういえばそのあたりに包帯ぐるぐる巻きで登校してきたな」
「何があったのって聞いても全然教えてくれなかったわ」
「じゃあやっぱりあの人が……」
「言えないよね、お貴族様に突き落とされましたなんて……」
レティア嬢のクラスメートである平民の男女がこそこそと話す声が聞こえた。彼ら彼女らがレティア嬢の味方なのは立ち位置からして分かる。殿下やレティア嬢の陰に隠れるようにして話していた。
まったく、鼠のような連中ね。平民平民と、くだらない同族意識で寄せ集まって、私たちを“お貴族様”と呼んで崇めるふうに蔑んでいる。こんな覚束ない小娘の一言を頼りにして「やっぱりお貴族様は平民を虐げるのだ」とさも悲しげに泣き腫らす。
自虐精神の塊。私にとって平民なんてものは、そうとしか見えなかった。地下の肥だめで、這い上がろうともせず、地上の悪口を言うだけで一生を終える、薄汚いドブネズミだ。
「先月の12日……? 本当にその日だったのか?」
「そ、そうですけど……ファウスト殿下?」
「レティア、その日は……」
「あら、奇遇ですわね。私、先月の11日から13日まで、リカルド殿下の生誕祝いのため、王城へ滞在していましたの。ファウスト殿下をはじめ多くの貴族の学生方が学園をお休みになっていましたが、お気づきになりませんでした?」
≪人目が少ない日に自作自演をしたのかしら……このバカ女っ、私の不在くらいしっかり調べなさい!≫
王族の生誕祝いは公爵と侯爵のみが祝う。誕生日の前後計3日は、公侯爵は城内や城下への滞在を義務づけられていた。
下級貴族や平民も交えて盛大に祝うのは王や王太子の生誕祝いの時だけだ。そう何度も祭りをやってしまえば平民の財政を圧迫してしまう。
だからレティア嬢はその日がリカルド殿下の生誕祭だとは思わなかったのだろう。ファウスト殿下もあえて敵の誕生日を教えることはしなかったようだ。
「変ですね。貴女が私に危害を加えられたという日には、私は王城へいた。ここから王城までは往復で半日かかりますわ。そんなに長い間姿を見せなければ誰かしら気付くと思うのですが」
「そんなの……あらかじめ自分の取り巻きに指示を出しておけばいいだけです! そうすれば自分はお城にいながら私を殺すことが出来るでしょう?」
「あら、突き飛ばされたときに見たのは、確かに、私の顔だったのではなくって?」
「そっ、それは……」
頭を抱えたくなった。人を嵌めるにはあまりにお粗末な頭をしている。二言目にはもう詰まって、どうして公爵令嬢である私を冤罪で裁けよう。
やはりこんな女がファウスト殿下の隣にたっていていいはずがない。私の方がよっぽど優れているし、あの方にふさわしい。この女が殿下を誑かしさえしなければ……。
ぶりかえす嫉妬と怒りが再び私の目を曇らせる。落ち着かせるように意識を思考に沈ませた。
侵入者とレティア嬢、私にとってはどちらも憎い敵だ。だけどレティア嬢が勝てば少なくともこの地獄は私の死をもって終わる。
その後にファウスト殿下の隣にたつのがこの女だと思うと腸が煮えくりかえるが、直に殿下も気付くだろう。この女のまがい物の輝きに。そうして私という婚約者を殺してしまったことを後悔するのだ。そうすれば私の存在は殿下の中で永遠のものとなる。
≪……でも、≫
恍惚とした思考を止めたのは、「仮に侵入者が勝てば?」という疑問だった。
ファウスト殿下がついている手前、いくらレティア嬢が愚鈍といえども侵入者に勝ち目はないと踏んでいた。だがもし負ければ……。
ファウスト殿下は、冤罪事件の片棒を担がされることになるのだ。それはつまり、殿下を非常にまずい立場に追いやることになる。
王位継承権剥奪。
その言葉が頭にちらつき、私は顔を真っ青にした。
≪や、やめて≫
「で、でも……っ。そうよ、盗賊! 私、あなたに雇われた盗賊達に殺されかけたんだから! ちゃんと本人達から確認は取っているのよ!」
「なるほど。貴族の暗殺ともなれば見過ごせない一大事ですわね。きちんと王立騎士団に引き渡しました?」
「え……そ、そんな大事にしなくても、私の家の私兵団で解決できたわよ」
「大事ですよ、レティア嬢。貴族は等しく王の従者であり国の統率者。貴族の暗殺は即ち国への反逆なのです。たとえそれが貴族同士の内輪もめであったとしても、ね。王立騎士団に即座に引き渡し、厳しい拷問をして裏の主人を見つけ出す。これが手順なのですよ」
「ご、拷問なんてっ、そんなひどいこと……! 法に反しているわ!」
「盗賊に身を落とした瞬間からその人間は無法者よ。法を守らない人間を、どうして法が守らなければならないの?」
侵入者は勝ち誇った笑みを浮かべながらレティア嬢を追い詰めていく。人を窮地に立たせるのはさぞ楽しいだろう。それが自分の敵であればなおさらだ。
しかしレティア嬢の敗北は彼女一人に留まらない。ファウスト殿下を巻き込んでの敗北なのだ。
≪お願いやめて! ねぇ本当は気付いているんでしょう?! 私の声が聞こえているんでしょう?!≫
なんとしてでも侵入者を止めなければならない。こんな衆目の監視の中、公爵令嬢に冤罪でもかけようものなら、ファウスト殿下は確実に王位継承権を取り上げられてしまう。
視界に入る国王陛下の顔は厳しいものだった。陛下は子息の中ではファウスト殿下に最も目をかけていたが、貴族に冤罪をかけた王子を許すほど甘いお方ではない。
焦りでぼやけた頭がたたき出した答えは、ただ一つだった。
冤罪だから、いけない。
今この場でレティア嬢が言ったすべての発言を認め、私が死ねば、冤罪じゃなくなる。
≪お、願い、大人しく、大人しく……≫
死んで。