Face To Face
「てめえいい加減にしろよ。ストーカーサイコ野郎」
マザファッカーと叫ぶと同時にリーゼントは壁を殴りつけた。
それは主に、本間を恫喝する目的で行われた行為だったが、効果はてきめんだった。
本間の股間下に小さな水たまりが出来た。
{この人は僕を誰かとまちがっている。それを教えなければ。誤解を正さなければ}
「ぼぼぼぼぼぼぼ僕じゃないんです」
「あ〜〜〜〜〜ん。なめてんのか、こら」
「だから、ちちちち違うんです。だから僕じゃないんだってば」
「なんだてめえ、その口のききかたは」
本間のセリフがさらにリーゼント男の怒りに火をつけたようだった。
{違うんだ。僕じゃない。なんとかして分かってもらわないと}
本間は必死に抗弁しようとしたが、舌がくらげに刺されたように一切回らない。
{まただ}
ある一定以上の緊張状態に置かれると、本間の舌は働きを一切やめてしまうのだ。それはこれ以上被害を大きくしないための自衛手段のようでもあり、大脳に対するストライキのようにも思えた。
初めてそれが起こったのは小学三年生の時で、国語の教科書に出てくる、父、という発音をどうしてもスムーズに出来なかった。
突っかかりながら、ちちちいち、なんてどもると、クラスで笑いが巻き起こり、本間はただ赤面して教師の着席の許可を待つしかなかった。
再び本読みに当てられた時、本間の舌はだんまりを決め込んだ。
それ以後も何度か同じような状態になり、その度に本間の自尊心は損耗していった。
「なにやってんの」
さっき本間が何度も開けようと試みて頓挫したドアから、すらっとした女性が出てきた。
{なんてきれいな女性だ。いや、きれいだなんて月並みな言葉じゃ足りない}
瓜実型の小さな顔に収まった切れ長の大きな瞳。ほどよく丸みを帯びた唇。欧米人のようにまっすぐに通った鼻梁。肩下まで伸びた艶のある黒髪。
{女王様}本間の頭に、むかし、映画で見たクレオパトラが浮かんだ。
「い、いや。輝美さんのストーカーがまたうろちょろしてたんで懲らしめてたんですよ」
リーゼントが頬を赤らめてクレオパトラに言った。
「いい加減にして。ストーカーはあんたでしょ。ちょっとデビット」
呼ばれて出てきたのは金髪でサングラスをした細身の若者だった。
「またてめえか」
言うやいなや、デビットのパンチがリーゼントの鼻っ柱を捉えた。
「ぶひぇひぇひぇひぇひぇ」
リーゼントは後ろへぶっ飛び、そのまま動かなくなった。
{なんてかっこいいんだ}
本間は憧れを持ってデビットを見つめた。
視線に気づいたのかデビットが本間の方に近づいてきた。
{お礼を、お礼を言わなくては。それと後で果物でも、いや、ここは気を利かしてピックでも持っていけば仲良くしてもらえるかも}
「おまえもあいつの仲間か」
「へっ」
否定する間もなく、デビットのパンチが孤を描いて向かってきた。
バキッ!!
痛いと感じる前に本間は気を失って膝から崩れ落ちていった。