表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚姻届  作者: 九条 春秋
1/1

彼らは生きることを選んだ。

「結婚しよう!」

そう言っていた彼が居なくなって、何か月が過ぎただろうか。

彼の行方はできる限り調べたつもりだ。

おばあ様は何もなかったかのように私に縁談を持ちかけてくる。

「おばあ様、私には婚約者が…」

と、言いかけたところをおばあ様に止められた。

「あの、軟弱な男のことは忘れなさい。未だに見つからないじゃないか。」

「……」

黙って聞くしかなかった。

彼がいると確信があれば反論はできたけれど彼はいない。

おばあ様は自分が認めた人じゃないと結婚は許さない。

わかっていた、それでも私は抗いたかった。

「これはお前のためなのだよ。わかってくれるな?

「…なんで、勝手に決められなくちゃいけないのですか!?」

そう言った途端飽きられるように溜息をついた。

「お前には言いたくなかったことなのだが、あの男は女と焼身自殺を謀ったようじゃ」

「そんな!!!嘘よ!!!」

「……」

私は家を駆けだした。

そんなの、嘘に決まっている。

信じたくない。

なんでそんなことおばあ様に言われくちゃいけないのよ!!

だって、皇くんは…皇くんだけは違うと信じていたのに。

「おばあ様の…せいだわ。」

おばあ様いつもそう…自分が気に入らなければ手を汚さずに罰を下すことなんて簡単。

「私は…自由にはなれないのね…。」

悲しさというよりも悔しい。

ようやく、あの家を出ることが出来ると思ったのに。

そう思った矢先に、彼がいなくなってしまった。

もう、私に…

「生きている意味なんてない…。」

そう、囁きながら海を眺めていた。

夕焼けに海が照らされて綺麗で…少し眩しい。

ふと、この海になら私は受け入れてもらえるだろうか。

そんなことを考えながら、身体は海を目指していた。

冷たい。

当たり前だとは思うけど、今はこの冷たさが心地いい。

今なら…会える気がしてきた。

でも、おばあ様の言う通り、他の女性と居たらどうしよう。

「結局、私はひとりなのね。」

今に始まったことじゃない。

私の家はおかしい。

そんなことわかってる。

それでも、私は普通でありたかった。

それさえも私は望んではいけないのだろうか。

身体の半分が海に浸かってきた。

もうすぐ、であなたに会いに行ける。

他の女性がいても構わない。

貴方と共にいられるのなら。

「私はあなたの隣にいたい。」

静かに海に落ちていく。

そんな感覚だった。

あぁ、海は優しいのね。

包んでくれる。

優しく。

それは母に抱きかかえられる赤ん坊のように。

息が苦しい。

でもそれが終わってしまえばあっという間。

少し、眠い。

このまま眠るように海に抱かれて死ねるのね。

意識が遠くなっていく…。


一か月がたった。

彼が居なくなって、5ヶ月。

彼女がいなくなって、4週間。

彼女の家の者は今日も探す。

必死に探す。

見つからなければ、ひとり、おばあ様の八つ当たりの道具になる。

そのひとりは次の日には見ない。

つまり、そういう事なんだろう。

暗黙の了解。

家の者は彼女がいたから平和が保たれていた。

そのことに気付くのが少し遅かったようだ。

再び、平和を取り戻すために探す。

血眼になって、それはやがて憎しみに変わる。

見つからなければ我々の中から一人いなくなる。

毎日怯える日々を送らなければならない。

それはもう嫌だ。

自分の息子が、娘が連れ去られていく。

その気持ちがあいつらにはわかるのだろうか。

早く、あの女を見つけなくては…生贄を連れて帰らなければならない。


夢、なんだろうか。

それとも死んでいるからこんな場所にいるのだろうか。

わからない。

「起きましたか?」

「…?」

私以外に人がいた。

「海に沈んでいくものだから焦りましたよ。」

…私は生きているの?

「海は冷たかったでしょう。」

「…なんで、私を死なせてくれなかったの。」

「そんな悲観的にならないでくださいよ。」

「なんでなのよ…」

その時、私の頬に一筋の粒が零れ落ちた。

悲しい、最後の最後まで死にきれないなんて。

せっかく、彼に会いにいける。

そう信じて、覚悟したのに。

「何があったかは知りませんけど。今はご飯にしましょう?」

そういって、私の前に炊き立てのご飯とみそ汁を置く。

何も、食べたくないと思っていたのに。

彼のご飯は食べてみたいと、ふと思ってしまった。

「どうぞ。お口に合うかはわかりませんけど。」

仮にも、自殺を邪魔した人でも、世間からしたら彼は自殺者を助けて人として称賛されるのでしょう。

それなら、この人のいないところで死ねばいい。

それだけだ。

今は死ねるときを見計らっていればいい。

「いただきます…。」

「召し上がれ。」

みそ汁にそっと口づける。

猫舌なため、そんなに飲むことはできないけど。

ほっとする。

顔をあげると、彼が微笑んでいた。

美味しいでしょう?と言わんばかりに。

「気の済むまでここにいてもいいですよ。」

「ありがとうございます…?」

「今更、気を使わなくてもいいのに。」

彼は笑った。

なんてここは居心地の良い場所なのだろうか。」

そんなことを思ってしまう。

「そういえば、名前なんて言うんですか?」

「…あかり。」

「僕は、そうだな…洋平とでも呼んでください。」

「はぁ…?」

「そんな顔しないでくださいよ。」

なんか、今ので一気に怪しさが高くなった。

今、名前を決める人がいるか。

「僕、貴女誘拐するつもりで後をついていったんですからね。」

そう、目の前にいる洋平が言った。

「でも、あんまりにも素直にご飯食べてくれるものだから驚きましたけどね。」

まさか、毒でも入れてあったのだろうか。

もしそうだとしても私は何も困らないからむしろありがたいと瞳を閉じた。

それを察したのか。

「毒とかは入れてませんよ。貴女を殺すわけないでしょう。」

「そう…」

じゃあ、目的は何なのだろう。

私の家を知っていて誘拐したのだろうか?

それとも純粋に私が目を付けられただけだろうか。

「あかりさん、僕と5年だけ過ごしませんか?」

耳を疑った

5年一緒に過ごそうと言われて「はい」なんて返事できるわけない。

しかも、堂々と誘拐するつもりだったと宣言までされている。

仮にも、私が死のうとしなければこの男に誘拐されていた可能性があったんだ。

普通は怖いだろう。

あのご飯達には罪がないとはいえ毒が入っていてもおかしくない状況の中で。

私は、何をしている?

逃げてもおかしくない。

いや、逃げなきゃ。

でも、私に逃げる理由なんてあるの?

「今はそんなに難しく考えなくていいですよ。逃げたかったら逃げてくれても構わないですし。とりあえず、気の済むまでここにいていいんだって思ってください。」

彼は席を立ち、お風呂の準備してきますね。と言い去った。

今なら、逃げられるのでは?

でも、身体が動かない。

僅かに震えている。

死のうとしてた人間が震えている、か。

笑えてくる。

彼は逃げてくれても構わないと言っていた。

果たして、ここから逃げられるのだろうか?

素朴な疑問が生まれた。

何故、彼は私を拘束しないのだろう。

ここはどこか、日にちや時間。

この部屋には確認できるものがない。

「…考えるのをやめよう。」

疲れた。

一気に情報が押し寄せてきて整理しようにも頭が追い付かない。

私の持ち物はない。

あったとしても壊れているはずだ。

「あかりさん、お風呂沸いたので入ってください。」

「……」

彼は慌てて彼女に近づいた。

良かった、息してる。

やはり、一人にするものではないか。

今は死ぬことをやめていても、いつ死ぬか分かったものじゃない。

「あかりさん、起きてください。」

「……ん」

目を開ける、そこには少し悲しそうな表情をした彼がいた。

まるで、私を心配してたかのように。

「お風呂、沸いてますよ。入りますか?」

「うん。」

少し眠そうに答えた彼女はお風呂場へと歩いていく。

「あ、彼女にタオルを出さなきゃ。」


そう、言って彼はタオルを物置部屋に取りに行った。

彼らの奇妙な関係はどこへ向かっていくのだろうか。

そして、彼らは何を決断することになるのだろう。

夜が更けていく。

暗闇に彼女を取られないように。

取られることを恐れて彼は今日も眠り付く事はない。


いつか、彼女は去ってしまうのだろう。

ならば、せめてその時までは僕のものであってほしい。

そう、強く願う。

最期の時まで一緒にいてくれとは言わない。

僕らは、生きるも死ぬも自由なのだ。

生まれたことに意味がほしくて。

必要とされたくて、拒絶されるのが嫌で。

でも、しつこくされると突き放して、そうしていたら周りは誰もいなくて。

いつの間にか孤独になっていた。

だから、彼女だけは…手放すつもりはない。

この感情を何と言えばいいのだろうか。

独占欲?支配欲?同情心?

分からない。でも今はわからないことが救いだ。

今はただ、彼女の傍に居たい。


夜が明ける。

また、朝が来る。

「さすがに寝てないと辛いな…。」

まだ、4:30ぐらいだろうか。

少しぐらいなら寝ても大丈夫だろう。

そう思った彼は壁にもたれて瞼を閉じた。


思った以上に眠ってしまったのか、彼女に起こされた。

「すいません、寝てしまって。」

「…よく、眠れました?」

「まぁ、多少は。」

「あの…ご飯作ったんですけど食べます?」

「え…?」

「あ、いや毒とかは入ってないんで大丈夫だと思うんですけど…。」

「食べさせてもらってもいいですか?」

「はい!」

そう答えた彼女は嬉々として食べ物を持ってきた。

少し、焦げたようなにおいがするけどスルーしといておこう。

「じゃ、いただきます…。」

僕がとったのは卵焼き。

口の中に放り込む。

甘い。美味しい。

というか、自分自身が人の料理を食べたのが久しぶりなのもあるかもしれないけれど。

「美味しい。」

「よかった。卵焼きは家では出汁なんですけど、個人的には甘いのが好きなんです。」

彼女が照れながらも笑っている。

良かった、これで良かったんだ。

「そう、なんだ。今度からはあまいのにしようか。」

「卵焼きは私が作るっていうのもありですよ?」

二人で、話しながら食べたご飯は美味しかった。

けれど、ところどころ彼女は何かを話そうとしているのが見受けられた。

何を言うんだろうか、もし帰りたいと言われたらどうしようと、不安になりながらも僕は話を切り出しやすいように問いかけた。

「なにか、話したいことがあるんじゃないかな?」

「「……。」」

お互いに、無言になってしまった。

重い空気が流れる。

彼女が唇を噛んでいる。

強く、噛みすぎたら血が出るかもしれない。

そう思ってたら、僅かに赤が見えた。

「血が…」

「あの、結婚というのはどうでしょうか。」

僕の返事も聞かずに彼女はある宣言をする。

彼女はここを出るつもりはないと言って内容を話す。


その1 互いが死なないように見張るために婚姻届を書く。

その2 約束は守ること

その3 死ぬときは二人で。


彼女の出した条件はこの三つだ。

彼女曰く、ずっと考えていたらしい。

私には生きる意味も理由もない。

けれど、こうして生きてしまっていること。

きっと、今死のうとしても貴方に止められる。

なら、いっそのこと命を預けてしまえばいいと思ったらしい。

「婚姻という言わば一種の契約ってことなんですけど…。」

「…うん」

「だめですか?」

「いや、君がそれでいいなら構わないよ。」

「…一緒に死ぬことになることもあり得るんですよ?」

「君のストッパー役になれるなら…」

「…病める時も、健やかなる時も…互いに愛し、慈しむことを誓いますか…。」

驚いた、こんな言葉を聞く日が来るなんて。

普通なら、悪魔のような誘い文句でも聞かされているようなものなのに。

“おかしい” そう思ってしまう。けれど、今更僕らの関係もこの世界も破綻しているんだ。

おかしなことが起きてもおかしいとは思わないだろう。

僕らを祝福するのは二人で死ぬときだ。

神様に誓うんじゃない。

僕らと、悪魔に誓うんだ。

「…誓います。」

「…私も誓います。」

「いきなり、誓いの言葉とはね…思わず笑いそうになったよ。」

「言葉が思いつかなかったもので…あと婚姻届なんですけど。」

「僕がもらってくるよ。離婚届も一緒にね。」

「離婚届?」

「これは、君には教えてあげられないな。」

「条件に反することじゃなければいいです。」


彼女はそっぽ向いてしまった。

怒っている…というわけではないようだ。

そんな彼女が少し可愛いと思ってしまった。

にやけてしまう。

僕以上におかしい条件をもって来るなんて。

でも、その気持ちが嬉しかった。

つい、彼女をいじめてみたくなる。

「いってきます。あかりさん。」

「…いってらっしゃい。」

まだ、彼女は僕に顔を見せてはくれない。

名前も読んではくれない。

それでいい。

いつまでも、君と一緒に居られる保証はあるのだから。


婚姻届に書かれた名前は彼女の期待していた名前ではなかった。

夫婦別姓ということで苗字は変えなかった。といっておこう。


彼女もまた、夢を見ているのだろう。

僕ではない、誰かを。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ