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96 正義の要

 剣都アクロポリス。


 そこは聖剣院の本拠が存在する街。

 邪悪なるモンスターに対抗する唯一の手段、神より与えられし聖なる武器。

 その一種、剣神アテナが人間族に与えたという聖剣。それを管理するのが聖剣院の役割であり、それゆえ剣都は人間族の勢力圏においてもっとも堅固な場所と言えた。


 その剣都アクロポリスで、また今日も一つの政談が行われようとしていた。


 既に聖剣院本拠の一角にある応接室では、リストロンド王国の君主ディルリッド王が、交渉相手の到着を今や遅しと待ちわびていた。


 リストロンド王国は、人間族の勢力圏にいくつかある国家の一つ。

 種族全体の特徴としてシステム作りに定評のある人間族は、血統による統治の持続性を確立し、竜人族やエルフ族に劣る寿命の短さでも、永続的な治世を実現させていた。


 リストロンド王国は、その中でもとりわけ長い歴史と、それに比例する繁栄を誇る人間族国家だった。


 しかしその主であるはずのディルリッド王は、王としてあるべき威厳など今日は一欠けらもなく、蒼白の顔にびっしりと脂汗を浮かべ、膝は忙しなく上下に揺れて貧乏ゆすりが止らない。

 その振動でずれた王冠を整え直す余裕もなく、血走った眼付。

 それらはすべて、彼に迫る危機的状況を示していた。


 いや、王という彼の立場を鑑みれば、彼の危機は彼一人の危機のみに留まることはない。

 王が国家そのものを示すならば、王の危機は国家の危機。そして国家の危機は、そこに住む人々全員の危機を意味していた。


「……いやはや、お待たせして申し訳ない。申し訳ない」


 応接室のドアがギギギ……、と開き、その向こうから痩せぎすの老人が現れた。

 あまりに痩せすぎて頬もこけ、骨格の形がそのまま浮き出た容貌は髑髏その者。眼窩も落ち込みくぼんで、ギョロギョロとした眼球が不気味極まりない。しかし、そんな病的な痩躯の上にやたらと豪華な法衣を着込んでいるので、当人のみすぼらしさと衣装の豪華さのギャップが、ますます不気味さを浮き彫りにしていた。


 この男こそ、聖剣院を統べる聖剣院長。


 人間族全員の命運を握る男と言っても過言ではなかった。


「枢機院の定例会議が長引いてしまいましてなあ。いやはや、聖職者というのは普段から説教馴れしておるせいか、若い者でもいちいち話が長くて仕方ありませんわ。いやはや……」


 聖剣院長を始め、聖剣院に仕える者は基本聖職とされている。

 聖剣を人間族に与えたという剣神アテナは、同時に人間そのものを生み出した祖神でもあるからだ。

 聖剣を管理する者は同時に剣神アテナの下僕であり、神の意思に従い、聖剣を振るう勇者に命令する権利と義務を持つ。

 神に仕える者が同時に兵力を自在に操るといういびつな構造が、ここにあった。


「聖剣院長……! 申し訳ないが、今は悠長に挨拶を交わしている暇はありません。早速本題に入りたい……!」


 王は、応接室の対面に座った聖剣院長へ食い入るように迫った。

 その血走った目に、もはや平静さはまったくない。


「我がリストロンド王国に、モンスターが迫っています!」


 それが、王が聖剣院に駆け込んだ理由だった。


「しかも覇王級モンスターです!!」


 覇王級。

 それは数多くあるモンスター種の中でも、最強クラスであることを示す称号。

 基本的にモンスターであれば最下級でも、普通の人類種には手に負えない代物。それでも一番弱い兵士級程度ならば村を一つか二つ放棄すれば何とかなる危機ではある。


 しかし最強種、覇王級ともなればそうはいかない。

 覇王級モンスターを自国内で自由にさせるということは、それはそのまま国家の滅亡を意味していた。


 その危機を回避するには、勇者の振るう聖剣に頼る以外ない。


「リストロンド国王ディルリッドの名において、聖剣院に勇者の派遣を要請します。いや、襲い来るのが覇王級モンスターである以上、勇者の中の勇者、覇勇者グランゼルド殿を是非とも! この件には我が国の存亡がかかっているのです!!」


 王の目が血走り、顔中に脂汗を浮かべている理由がここにあった。

 彼は国の命運を懸けて、聖剣院に直談判へとやってきたのである。


 この要請に、聖剣院がどう答えるかでリストロンド王国の未来が決まる。

 滅ぶか、生き残るか。

 その答えを示せる唯一の人物、聖剣院長はゆったりと目の前に置かれた紅茶に口を付けた。


「おい」


 そして傍に控える給仕をジロリト睨みつける。


「茶が冷めておるではないか。新しいものに淹れ替えてこい」

「聖剣院長殿!!」


 存亡の危機に立たされているディルリッド王の必死さなど、まるで意に介していないかのようだった。


「グランゼルドのヤツは……」


 そしてゆったりと、聖剣院が誇る最強の人類種の名を出す。


「……実は今、留守にしておりましてな。エルフ族とゴブリン族がまたイザコザを起こしたそうで、その仲裁に駆り出されましたわ。まったく異種族どもは愚かゆえに手間を掛けさせよる。はっはっは……」

「それならば! 今すぐグランゼルド殿を呼び戻しください! 覇王級モンスターの襲来ともなれば、他種族の方々も理解してくださろう!!」


 一刻を争う事態。

 覇王級モンスターが国内に到達すれば、リストロンド王国はそのまま滅亡してしまう。

 それを食い止められるのは、聖剣の覇勇者グランゼルド以外にない。


「……ディルリッド王よ」


 紅茶に垂らしたミルクの撹拌を観察しながら、聖剣院長はゆったり言った。


「貴国からの我が聖剣院への寄付金。今年はいくらでありましたかの?」

「ッッ!?」


 人間族の国家や都市は、聖剣院へ定期的に、莫大な額の金品を付け届けている。

 モンスターの危機より人間族を守る聖剣院存続を確保するため、という建前ではある。


「寄付金であれば、充分な額を毎年送っている! 他国と比べても遜色ないはずです!!」

「しかし……、覇王級ですぞ、覇王級。それを退けるのに一般的な額で済まそうというのはムシがよすぎやしませんかね?」

「見返りを要求するというのか!?」

「言葉には気を付けてもらいたいですな。我々は剣神アテナに仕える聖職者ですぞ? 我々は私欲では動きません。あくまでこれは国王陛下の、国や民を救いたいという意気込みを見せていただきたい、というだけで」


 巧言令色の陰に、鼻を抓んでも臭ってきそうな物欲の腐臭が漂っていた。

 本来ならば席を蹴って退出するべき国王だったが、それをやれば国家滅亡であることを充分に承知していた。


「……わかった。今年初めに収めた寄付金と同額を、新たに聖剣院へ寄付しよう。それでいかがか?」

「足りませんな」

「何だとッ!?」


 聖剣院長は、徹底的に相手の足元を見てきた。

 相手は、一国の王。しかし聖剣を管理する者の長として、王の肩書きなど何の意味も持たなかった。


「……いいだろう。その倍、いや三倍の金額でどうだ!? それでグランゼルド殿を我が国へ派遣してもらいたい!!」

「…………」

「聖剣院長殿!! 黙っていないでお答えいただきたい」

「……貴国の一角に、風光明媚な山岳があるそうですな」

「は?」

「ちょうど、夏の暑い時期に過ごす別荘が欲しいと思っていたところでしてなあ。どうでしょう? その山一つ、我が聖剣院に租借させていただきませんかな?」


 滅茶苦茶なことをハッキリと言う。


「租借料は……、そう、こんなものでいかがか?」


 と、金額が書いてあるのであろう紙切れを王へと差し出した。

 それを受け取り王は戦慄した。そこに書いてあった金額は二束三文、ただ同然の金額であったからだ。


「こんな……! 片田舎の借家に払うような金額で、我が国自慢の景勝地を……!?」

「租借期間は、……とりあえず無期限ということでいかがでしょう?」


 スラム街に巣食うギャングでもしないほどの無法な要求だった。

 しかしそれでも王に拒否権はない。拒否するには国家の滅亡を覚悟しなければならない。


「……わ、わかった。金などいらぬ、無料にて聖剣院に寄進させていただく」

「いや! それではこちらが心苦しい! 我々の誠意と思って、最低限の租借料は払わせてください……!」


 わざとらしい聖人ぶりを示す聖剣院長。

 無論聖剣院長が示した金額は、最低限にもまったく届いていなかった。


「それから……」

「まだあるというのかッ!?」


 これでやっと覇勇者の派遣が叶うと思っていたディルリッド王は、さらなる要求の匂いに戦慄した。


「聞いた話によれば、ディルリッド王にはご息女がおられるとか?」

「なッ!?」

「姫君と言うだけでも麗しいというのに、その王女は三国に響き渡るほどの美貌の持ち主だという。どうでしょう? その姫君を我が聖剣院に奉公させては?」


 聖剣院長のドクロのような眼窩に、淫蕩な光が宿っていた。


「別に珍しい話ではありません。我が聖剣院は、モンスターより人間族を守る要の組織。当院に逗留し、世界を守る様々な仕組みを勉強し、その要職にある者とパイプを作ることは、後々国家の統治を預かる王族にとって必ずプラスとなるでしょう」

「……サラネアは、一人娘だ……! ゆくゆくはあの子の夫となる者か、あの子自身に、リストロンドの後事を託したいと思っている……!!」

「だからこそ聖剣院で預かることが大切なのでしょう? それに、この提案を断ればリストロンドは滅亡するのです。後世のことなど気にする余裕がアナタ方にあるとでも?」


 聖剣院長のヒルのような舌が、いやらしい動きで唇を舐めた。

 まるで視界に捉えた獲物を嬲りしゃぶる様を、今まさに想像しているかのようだった。


「……ッッ!! …………ッッ!!」


 ディルリッド王は強く強く唇を噛んだ。血の味が口いっぱいに広がるほどに。


「わ、わ、…………わかった! 聖剣院長の提案を、う、受け入れる……ッ!!」

「ほほほほほほほほほ! それでこそ国家を担う御方! ディルリッド殿は真の国王であらせられる!」

「もうこれ以上の要求はあるまいな……ッ!?」

「要求とは人聞きの悪い。我々がしているのは提案ですよ」


 モンスターを討ち破れるのは、神より与えられた聖剣のみ。

 その事実を最大限活用し、人間族最高の武器を独占し、あらゆる人間族にあらゆる無理難題をふっかけ飲ませる。


「我ら聖剣院は、人間族を守る使命に身を捧げた聖職者。私心など一欠けらもありません」


 これが聖剣院。

 エイジが見限った、傲慢と私欲に塗れた組織。

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