87 氷の路線
こうして布陣が決まった。
突如襲い来る脅威に戸惑い混乱しても、とにかく対抗しないことには生き延びることもできない。
あとは各自の振り当てられた現場へ急行するのみ。
「エイジ!」
ここで初めてギャリコが言葉を挟んだ。
みずから戦闘職でないことを弁え、余計な口出しを控えていたのだろう。
「アタシ、ドレスキファと一緒に行っていいかしら?」
「ええッ!?」
その言葉に、緊張に曇っていたドレスキファの表情が即座に輝く。
「本当かギャリコ!? ついにオレの専属鍛冶師になってくれるんだな!?」
「なんでそんな飛躍した結論になるのよ!? アタシは、アンタでちょっと試したいことがあるのよ!!」
「試したいこと?」
首を傾げる。
「どうせエイジは放っといたって必ず勝つんだし、なら一番心配なところをサポート職として支えるのは当然でしょう。だから付いてってやるのよ弱い方に」
「弱い方!?」
そのロジックに少なからず衝撃を受けるドレスキファだが、さらなる衝撃に襲われる。
「ダメだ」
とエイジが以外にも許可しなかったのである。
「えッ? でも……!」
「ギャリコ。この戦いは、キミの作ってくれた魔剣キリムスビを振るう初めての戦いだ。この剣の真価が、もうすぐ実証される」
その記念すべき最初の戦いを……。
「キミが見届けなくてどうするんだ。僕はキミに見てほしい、この剣が最初に飾る勝利を」
「…………」
その言葉に、ギャリコの鼓動が一際ドクンと高鳴った。
「……わかった」
「ギャリコ!?」
一度思わせぶりなことをされたドレスキファは、いっそう悲痛に叫ぶ。
「ごめんねドレスキファ。でも大丈夫よ。エイジなら一瞬で終わらせて、すぐアナタの救援に向かえると思うから」
「それまで死ななきゃ大丈夫だ。お前も一応覇勇者なんだから、瞬殺されることもないだろ多分、きっと」
「どこまでも舐め腐りやがって~ッ!?」
屈辱に震える相手を置いて、エイジはギャリコを片腕で抱き寄せた。
「きゃあ……ッ!?」
もう片方の手には、完成したばかりの魔剣キリムスビがしっかり握られている。
「エイジ様、ご武運を」
「そちらもね。勝ったら、またスキル値が上がるよ」
戦場を別にするセルンと短く言葉を交わし、エイジは聖鎚院本部から飛び出した。
彼が担当する氷魔アイスルートの場所は、既に関係者に確認してある。
* * *
「ありがとう、エイジ……!」
エイジに抱えられながら現場に急行するギャリコ、その腕の中で小さく呟く。
「ありがとうって何が?」
「このドワーフの都は、短い間だけどアタシも住んだことのある街。ヤなこともあったけど愛着はたくさんある」
エイジには、実家である鉱山集落も救ってもらい、どれだけ礼を言っても言い足りない心地のギャリコだった。
「そんなこと、お礼されるまでもないよ。モンスターを倒すのは僕の務めなんだ。勇者とは関係なく、僕自身の務めなんだ」
「……あの」
さらに言い難いことを、ギャリコは胸に蟠らせているらしい。
「……ウォルカヌスさんが、言ってたじゃない。あのモンスターたちがやって来たのは、アタシたちが門を開けたからだって」
そういう趣旨のことを言っていたかもしれない。
「じゃあ、この災難はアタシたちのせいなのかしら? アタシたちが自分の欲求のために、踏み込んではいけない場所に踏み込んだから……?」
「そうだって言うなら、僕らは責任の取り方をちゃんとわかっている」
既に呼吸スキルで身体能力を倍加し、驚異的な跳躍で並び立つ建物をヒョイヒョイ飛び移るエイジ。
現場への到着はあっという間だった。
「ヤツらをこの手で始末すること。これほどハッキリしたことはないだろう?」
「そうね。時々エイジの堂々ぶりに圧倒されちゃうわ」
ドワーフの街の外縁部。
モンスター対策のためにぐるりと取り囲まれた城壁の、よりにもよって城門部分を破って、それは登場していた。
地を這う氷の塊。
覇王級モンスター、アイスルート。
「もう来ていたか……、数あるモンスターの中でも一番いやらしく、一番実害ある氷野郎」
「あれが……! モンスターなの……!?」
当然アイスルートというモンスターを初めて見たギャリコは、その姿に困惑する。
まさにただの氷だった。
地面にこんもりと盛り上がる氷。
透明感があり、ところどころ霜で白く曇った氷は、しかし体積は巨大で、もはや城門を完全にふさいでしまっている。
門そのものは超低温にさらされたせいか、凍ってガラスのように砕け散っていた。
「あの氷が……、モンスターなの?」
「違う、氷はあくまでアイスルートが作り出した一種の攻撃手段だ。アイスルート本体は、あの氷の、ずっと後ろ奥にいる」
「後ろ……、奥……?」
その意味ありげな言葉の選び方に、ギャリコは不安を覚える。
「アイスルート……、『氷の道』という名を付けられたあのモンスターは、本体はごく小さなものでしかない。しかしその小さな本体が超低温を発し、自然に流れる川や湖の水、空気中の水蒸気を凍らせて氷を作り出す」
その氷は、さながら道のように長く伸びて、人々の住む街を目指すのだ。
そして持ち前の氷結能力で村や街を丸ごと氷漬けにしてしまうのだ。
「アイスルートがどうやって氷を通じ、人類種の住む街を感知してたどり着いているかは謎だ。そして何故好んで人類種の密集地を氷漬けにするのかも。獲物を狩るとか、そんな目的じゃない。ただ命ある者を凍え死にさせて、それを楽しんでいるとしか思えない!」
既に氷の塊は、都市内に侵入している。
今はまだ出入り口付近までだが、パリパリと音を立てて氷は確実に巨大化、広がっている。
空気中の水蒸気を取り込んでみずからを肥大化しているのだ。
「これ以上好き勝手させるかーーーッ!!」
「あッ!?」
エイジたちの脇をすり抜けて、幾人もの屈強なドワーフがハンマー振り上げ突進した。
恐らく聖鎚院に所属する兵士たちだろう。聖鎚を与えられずとも、都市を守備しているという自負に満ちているはずだ
「やめろ! お前たちに敵う相手じゃない!」
エイジの制止も聞かず、ドワーフ兵士たちは氷塊に向けて鉄製のハンマーを振り下ろす。
ガキィンと威勢のいい音を立てて氷は砕けた。
「攻撃が効いた!? モンスター相手に!?」
「だからあれはモンスター本体じゃない! アイスルートが能力で作ったただの氷に過ぎないんだ! だから当然叩けば砕けるさ!」
しかしそこからが、氷の覇王の恐ろしさなのだ。
「なんだ!? 簡単に砕けたぜ!?」
「モンスターも大したことねえじゃねえか!?」
「このままどんどん砕け! 氷で塞がれた城門を解放するんだ!!」
調子に乗ってどんどん氷にハンマーを振り下ろすドワーフ兵士たち、しかしその攻勢はすぐに鈍る。
「うう……! 冷たい……!」
「寒さで動きが鈍る……! ッ!? なんだ!?」
「足が……! 凍って動かない!? 地面に張り付いて!?」
視界にある氷と、アイスルートの本体は別物。
どれだけ砕いても、本体が無事な限り氷は新たに作り直される。
そして氷に直接接するドワーフたちは体温を奪われ、どんどん低温化し最後には凍り付く。
そして再生する氷の中に取り込まれて死に至るのだ。
「これはダメだ……! 退避! 退避いいーーッ!?」
「ダメだ凍って動けない!!」
「くるぶしまで氷に沈んで……! 誰か助けてぇぇーーッ!?」
ああして、もがく者すべてを氷に取り込んでしまうのがアイスルートのやり口だった。
今はまだ空気中の水蒸気だけを材料に氷を作っているのでスピードは鈍いが、川や水路などに到達すれば氷結は爆発的に広がる。
住民が逃げる暇もないほどに。
「アイスルートを倒すには、本体を叩くしかないんだ。枝葉の氷をいくら砕いても、体温を奪われて食われる準備になるだけだ」
「なら、一刻も早く本体を攻撃しましょう! 本体はどこに……!?」
「わからない」
「え?」
アイスルートが『氷の道』と呼ばれる所以。
それは遥か遠くから氷の道を伸ばして、人類種を攻撃することにある。
「氷の道は、ずっとずっと遠くから伸びてくるんだ。本体が、どれくらい離れた場所にあるのかわからない。もしかしたらドワーフの勢力圏の外から氷の道を伸ばしてきているのかも」
無論伸びた氷の道を遡れば、迷うことなく本体に到達することができるだろう。
しかしそれを目指して移動している間に街が全滅することも充分あり得る。
その物理的距離の断絶こそ、アイスルートを覇王級として認識させた厄介さだった。
「だから通常アイスルートを倒すには、兵士たちが決死の覚悟で氷の進行を食い止めつつ、勇者が道を遡って本体を見つけ出し、叩くしかない。だが本体の下にたどり着くのに、酷い時は二日以上かかったとか……!」
「そんな! そんなに悠長にしていたら、ドワーフの都が全部氷に覆われちゃうわ!!」
いかなる種類であれ、一都市を丸ごと全滅させられる猛悪さを持っているからこそ覇王級の称号が冠される。
覇王級モンスターに狙われた街は、確実に近い確率で滅びる以外にないのだ。
それを止めることができるとしたら。
「覇勇者と、覇聖剣しかない」
しかし今ここには、覇聖剣の代わりに一振りの魔剣。
「行くぞキリムスビ。お前が聖剣を超えられるか、実証の時が来た……!」





