07 破られる絶対
最初は、モンスターという脅威の方が衝撃的で、それ以外すべての印象が薄れてしまっていた。
何しろあの巨大アリは、存在そのものが集落の危機。
あれと並んではいかなるものでも霞んで見えてしまうだろう。
しかし、その巨大アリに一歩も引かずに戦い続ける一人の人間が、段々とその存在感を大きくしていった。
ついには集落の危機事実すら凌駕するほどに。
少なくとも集落長の娘ギャリコの瞳には、もはやエイジの戦う姿以外映らなくなっていた。
「エイジ……! アナタ一体何者なの……!?」
他のドワーフたちは、ただひたすらエイジに望みを懸けて、集落を救ってくれと声援を送っている。
しかしギャリコだけは、エイジの存在そのものに疑問を抱かざるをえなかった。
何故あれほどまでにモンスターと戦えるのか、と。
エイジは、美しいまでの身捌き体捌きで巨大アリの攻撃を避けながら、斬撃を叩きこむ。
そのたびに剣は折れて新しいものに握り直すのだが、それ自体が常識では考えられない神業だった。
そもそもあの巨大アリだって黙って斬られているわけではない、反撃する。
その凶悪な顎で噛みつかれれば人間族ぐらい容易く千切れるのだから、エイジは一発たりとも食らってはいけない。
そして事実、アイアントの大顎はただの一度もエイジに触れてはいなかった。
だからこそ今までずっと戦いを続けられている。
一発でも当てられたら終わりという状況で、逆にエイジ側は既に何十回もの攻撃を相手に入れている。
しかも寸分たがわず同じ場所へ、正確無比に。
どれだけの技術と精神力があれば、そんなことが可能なのか。
常人ならば気が狂いそうな困難さを、今この瞬間も平然とやってのけているエイジ。
そんな彼に、今ではギャリコはハッキリした不気味さを感じていた。
何故そんなにまで強いのか。
人間族は皆そうなのか。
いやそんなはずはない。
様々な疑問が脳内を駆け回り、戦っている当人より先にギャリコの精神が焼切れそうになっていた。
そんなギャリコの足元に、何かがカラリと転がってきた。
「これは……!?」
根元からポッキリと折れた剣の柄。
エイジが、巨大アリの傷を深める代償にしたもの。
エイジ当人は既に次の剣を取って果敢なる闘争を続けているが、ギャリコは投げ捨てられた残骸にこそ注目し、それを拾い上げた。
そして、ある試みが始まる。
「鍛冶スキル『状態把握』」
それは比較的低いスキル値で修得出来る、初歩の鍛冶スキルだった。
既に出来上がった鍛冶製品に対して発動され、対象の状態を瞬時に精査する。
それによって製品の疲労度や破損個所を読み取り、メンテナンスするためのスキルだった。
しかしこの『状況把握』には、ある特徴があった。
鍛冶スキル値に比例して読み取れる情報量が増えたり、精度が上がったりする。
鍛冶スキル値10の者が読み取るより、鍛冶スキル値1000の者が読み取った方が、たくさんのことが正確にわかる。
特に、鍛冶スキル値800を超えた者だけが『状況把握』で読み取れる特別な項目があった。
それは『使用者履歴』。
読み取る対象――、今回ならば剣を使ってきた者たちが誰か、遡って確認することができる。
誰がこの剣を大事に使ってくれたか、乱暴に扱って傷つけたかを確認するのが本来の使用目的。
ただし今『状況把握』を使っているギャリコの鍛冶スキル値は1100。
800を優に越えている。
そんな高スキル値の持ち主だからこそ、『使用者履歴』をさらに進めてより詳しい情報を引き出せるかもしれない。
「『使用者履歴』……、この剣の直近の使用者は、エイジ」
それは当たり前のこと。
彼がこの剣を振るい、集落の危機へ果敢に挑むのをギャリコもその目で確認している。
「直近使用者の詳細情報……、剣にもっとも関わりの深いソードスキル。そのスキル値ぐらいなら……!」
ギャリコの鍛冶スキル値1100をもってすれば覗けるかもしれない。
「……ッ!?」
そして、成功した。
折れた剣が教えてくれた。自分を振るった剣士が、どれだけの技を持っているのか。
「エイジのソードスキル値は、3700……!?」
『状況把握』を駆使して暴いたエイジの秘密。
それは凄まじいまでの高数値だった。
ギャリコは自分自身の鍛冶スキル1100の値に誇りを持っていたが、スキルの系統が違うとはいえエイジのソードスキル値は、それを遥かに越えていた。
――スキル値1000以上って、ソードスキルだったら普通に勇者になれる資格ありですよ!!
それはエイジ本人の言葉ではなかったか。
それでは当のソードスキル値が、1000を遥かに超えるエイジは一体何者なのか。
* * *
「エイジ!」
若い男ドワーフが、新たな剣を放り投げながら叫ぶ。
「これが最後の剣だ! お嬢の工房にはもう一本も残ってねえぞ!!」
「マジですか……?」
曰く最後の一剣を受け取り、エイジは眉間に皺を寄せる。
度重なる斬撃で、巨大アリの頭部の傷はかなり深くなっていたが、それでも強固な殻を破るにはまだかかりそうだった。
それなのにもう武器は打ち止めだという。
エイジと巨大アリ。
二者の足元は既に折れた剣の残骸でいっぱいだった。
「そろそろ大詰めのようだ」
言葉が通じるはずのない相手に、言葉で威圧する。
たとえ知能のない虫型モンスターであろうとも、生存本能に忠実であるがゆえに威圧には鋭敏に反応した。
「次で決める。お前も全力でかかって来い」
最後の剣を上段に構えて、ジリジリと距離を詰める。
これを折ったらあとがないためか、エイジはこれまでになく慎重だった。
そして知能をもたぬはずの巨大アリも、敵が作り出す緊張感に飲まれつつあった。
ここで相手を仕留めなければ死ぬ。
それが明確に、虫の粗末な脳に伝わった。
だからこそアイアントは、口からブシャリと吐き出した。
「蟻酸!?」
それはアイアントの奥の手。
顎だけで噛み殺せない強敵と出会った時、アイアントは口から強力な酸液を出して攻撃する。
人間が被れば皮膚と肉は即座にただれ、骨まで溶かす強酸。
それがエイジ目掛けて放たれる。
「エイジ危ない!?」
ギャリコの悲鳴が上がった。
しかし。
「それを待っていた!!」
エイジはアリ本体ではなく、かかってくる酸液に向けて剣を振り下ろした。
「ソードスキル『水破斬』!」
それはソードスキル値700で修得可能。超スピードで剣を振ることによって真空断裂を生み出し、それによって水すら斬り裂くことのできるスキルだった。
その特性上、アイアントの飛ばした蟻酸は苦もなく両断される。
「まだまだ! ソードスキル『五月雨斬り』!」
続いて剣撃を連続で撃ち出すソードスキル。目まぐるしく斬撃の雨が降る。
修得ソードスキル値は200と比較的初歩の技だが、その斬撃一つ一つに『水破斬』の効果が付加されていた。
『水破斬』と『五月雨斬り』を二つ合わせて同時使用するのは高等技術。
そしてその絶技により、蟻酸は細かく切り分けられて霧状になった。
「アリごときの軽い頭じゃ気づけなかったな……」
霧となった蟻酸は、容易く風に吹かれて流れていく。
「……自分が風下にいることに」
何でも溶かす強酸の霧は、それを放ったアイアント自身を直撃した。
『蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻ャァァァァァッ!?』
巨大アリから放たれる、おぞましい叫び。
さすがのモンスターも自分自身の攻撃でならダメージを受けるらしく、強固な殻も強酸に溶けて泡立つ。
「これでご自慢の殻も、相当柔らかくなっただろう。これまで叩き続けて、深くなった傷の部分は特に」
アイアントの頭部。
これまで数十という鉄剣の犠牲と引き換えに深くなった刀傷は、蟻酸による溶解作用も手伝ってさらに脆くなった。
最後の一撃の用意が整った。
「……『破の呼吸』」
エイジが片手のまま、最後の鉄剣を振り上げる。
その姿をギャリコは見た。
そのエイジの姿、エイジの太刀捌きに、彼女に記憶にある過去の光景が重なった。
かつて幼かった自分を救ってくれた、少年のように若い人間族の勇者。
その勇者が振るう剣の動きと、今目の前で舞う剣の動きがピッタリ重なった 。
「ソードスキル『一刀両断』」
振り下ろされた刃が、アイアントの不破の殻に盛大な亀裂を走らせ、深く深くめり込んだ。
巨大アリは頭から、血とも判断つかない体液を撒き散らし、悶え苦しみながら倒れた。
『蟻蟻蟻蟻ャアアアアアアアアーーーッ!?』
断末魔が響き渡った。
頭部の半分近くまで両断した斬撃が致命傷になり、ついに難攻不落のモンスターは、生者の作りし鉄の剣に敗れ去った。
巨大アリは鉄の剣を頭にめり込ませたまま、二度と動くことはなかった。
「やったぁぁぁーーーーーーーーーーーーッ!!」
「勝ったァァァーーーーーーーーーーーーッ!!」
全包囲から巻き起こるドワーフたちの喝采。
全員がエイジの下に駆け寄り、この英雄を揉みくちゃにして褒めたたえる。
危機は去った。
ドワーフの集落滅亡ピンチを、人間が退けたのだ。
その中でただ一人、呆然と立ち尽くす者がいた。
ギャリコは、自分の脳裏に迸った記憶の一致に、当惑せずにいられなかった。
「エイジ……、アナタはもしかして……」
五年前に彼女をモンスターから救った……。
「……人間族の勇者様?」





