71 商機を見て敏
「あの、もし……」
「はい?」
呼びかけに応えてしまったセルンの運の尽きだった。
「アナタ様は、もしや最近聖剣院より青の勇者に抜擢されたセルン殿ではありませんか?」
「!?」
見事正体を言い当てられて戸惑うセルン。
相手は女性で、見るからに人間族。年齢は二十代前後かと思われる若さで、しかし仕事盛りの精悍さがある。
「私はクリステナと申しまして、ドワーフの方から金銀の装飾品を取引する商いをさせていただいている、人間族の者です。このたびは同じ都市に、同族の勇者様が滞在していると聞き、是非ともお目通りをと思いまかりこしました」
「随分耳が早いな、ここに来てまだ一日と経っていないのに」
恐らくスミスアカデミーで起きたイザコザが広まったと思われるが、注目されるのが騒ぎを起こしたエイジではなくセルンになるのが、現役勇者の損な役回りと言うところか。
「つきましてはお近づきのしるしに、我が方で一席設けております。セルン様には、ここドワーフ族の都の名物料理や地酒に舌鼓を打ちながら、武勇伝をお聞かせいただきませんか?」
「いや、あの……!」
花のごとき営業スマイルで迫ってくる女性商人に、セルンは完全に圧倒されていた。
世慣れてない女の子には、こうした搦め手は対処不能を通り越して不気味ですらあろう。
「あの……、エイジ様! 一体どうすれば……!?」
「自分で決めなさい」
助けを求める愛弟子を、エイジは冷たく突き放す。
「キミもまた勇者になった以上、決断は自分でしなければいけない。行くか行かないか。キミ自身の判断で下すべきだ」
「……!」
結局その言葉がセルンに勇気を与えた。
「せっかくのお誘いながら、私は接待などを受けるつもりはありません。どうかお引き取りください」
あまりにも率直すぎる拒絶だが、セルンらしいとも言えた。
しかし相手は海千山千の人間商人である。他種族では到底真似できない、泣くような表情を作りつつ。
「それでは私の面目が丸潰れになってしまいます。どうかお考えを変えて、私を助けると思って饗応を受けてください……!?」
「あ、あの……!?」
断ればすぐさま引き下がるだろうとばかり思っていたセルンは、相手のしつこさに当惑する。
「…………」
それもそうだろうと一人納得するのはエイジである。
商人側としては、勇者一人の心証を掴むだけで通商ルートの安全を確保でき、より確実な儲けを約束されるのだ。
一度拒絶された程度で行儀よく引き下がっていては、商売の世界で生き残ることなどできない。
「私は人間族の一人として、種族すべてをお守りくださる勇者様に日頃の感謝を捧げたいのです。それにセルン様は私と同じ女性で年齢も同じぐらい。抱えている悩みも似ているでしょうからきっと話も弾むと思います!」
「あ、あのエイジ様……!」
結局エイジに助けを求めるセルンだった。
「赤の勇者スラーシャ様や、白の勇者フュネス様と同様に、セルン様とも長いよしみを通じていきたいのでございます。先代の青の勇者様とは、結局お目通りが一度も叶いませんでしたので……」
「いやッ!? あのッ!?」
「もしよろしければ、先代様のお話もセルン様から是非伺いたく! 女同士気兼ねなく、ささ、こちらに……!」
商人の方も、セルンが押しに弱いと見抜いたのか、畳みかけるような言葉でグイグイ来る。
ついには調子に乗って、セルンの手首を掴もうとしたところ。
「はい、そこまでー」
鞘ぐるみの剣の柄が、図々しく伸びた商人の手を阻んだ。
スミスアカデミーから追い出された時、一応ギャリコから預かったものだ。
「んあッ!? 何よアナタ!?」
「彼女の保護者といったところかな」
ここで初めて、女商人の注意の範囲内にエイジの姿が入った。
「彼女が『行かない』と決めたんだから、その意向を支持したくてね。アンタだって、一度断られているのをゴネ通そうとするなんて見苦しいとは思わないか?」
「部外者はお黙りなさい! ……ああ、なるほど、聖剣の勇者ともあろう御方が従者の一人も連れずにいるのは不自然だものねえ」
セルンに付き添う一人の男を、女商人はそう値踏みしたらしい。
そんなエイジに、商人はハエを払うかのような動作で銀貨を二枚投げつけた。
「これだけの金額なら、この店で一番いいものをたらふく食えるわ。これでしばらく時間を潰していなさい。勇者様はこちらで責任もって歓待するので心配いらないわ」
「これだから人間族は」
エイジがギャリコ謹製の鉄製剣を鞘から引き抜く。
それに呼応して、酒場の雰囲気がザワリと毛羽立つ。
「いや落ち着いて……。そのままそのまま」
エイジは剣の切っ先で、商人が投げ放ったまま床に落ちた銀貨を二枚重ねて貫くと、女商人に向けて突き付ける。
「ひぃッ!?」
剣先を突き付けられればさすがに恐怖だろうが、エイジは物騒な動き一つせず、女商人の胸ポケットへ器用に突き刺した銀貨を落とすと、用の済んだ剣を鞘に仕舞った。
「青の聖剣は俗事を好まぬ」
エイジは言った。
「彼女は、先代のポリシーをそのまま受け継ぎたいらしい。彼女に気に入られたければ、彼女の意思を尊重すべきでないかね? 金や接待で思う通りに動く勇者はスラーシャとフュネス、二人もいれば充分だろう?」
「ぐぐッ……!?」
剣の切っ先を向けられた恐怖から、商人の手足がプルプル震える。
「もっとも、スラーシャどもは接待慣れしてもう多少の贅沢じゃ動じないらしいな。勇者になったばかりの初心なセルンなら、少ない出費で楽に籠絡できると思ったか?」
「ぐぬッ!?」
「ウチの大事なセルンをそんなに安く値踏みしてるんなら無礼千万だ。顔を洗って二度と出直してくるな」
「そんなこと! あるわけないわ……!」
商人は必死に声を張り上げる。
「セルン殿が新人であろうと、他の勇者様に変わりない歓迎を私たちはするつもりよ! それにセルン殿には是非とも伺いたいこともあるし!!」
「伺いたいこと?」
「先代の青の勇者様のことよ!!」
商人は声を張り上げる。
「聖剣の四勇者の中で一頭群を抜く戦果を挙げていながら、社交にはまったく姿を現さず名前すら知られない先代青の勇者様。その名声は他種族にまで響き渡り『青鈍の勇者』とまで呼ばれている。その勇者様が引退された件に伴い、ある噂がまことしやかに流れている!」
「噂……?」
「その『青鈍の勇者』様こそ、グランゼルド様のあとを担い新たな聖剣の覇勇者となられるのだと!!」
聖剣院は、その辺り完全秘匿しているらしい。
エイジが覇勇者となることを拒否して出奔してしまったことも、同族の、しかも事情通でなければ務まらない商人ですら正式に事情を掴んでいない。
僅かな情報の断片が、箝口令の隙間から漏れ出ていると言ったところか。
「セルン様とは、当人とよしみを通じるのに加えて、是非とも先代様の話も伺いたいの。新たな聖剣の覇勇者が誰になるのか、人間族の商人にとってこれ以上の関心ごとはないわ!」
「…………」
「聖剣の覇勇者様こそ、我ら人間族をお守りくださる最強の盾。決して疎かな態度はとれません! さあ、わかったらアナタはどこにでも消え去って、アナタなんかに煩わされている暇はないのよ!!」
「嫌だと言ったら?」
エイジもさすがに脱力してくる。
対して商人の方は、自分より弱いと判断した相手のみに浮かべる残忍な笑みを浮かべた。
「後悔することになるわよ、日々の儲けと身上発展に心血を捧げる商人の、本気を侮ったことをね!」
パンパン、と商人は両手を叩いて大きな音を立てた。
するとその合図に呼応するかのように、酒場の入り口から屈強な男が数人、徒党をなして乗り込んできた。





