06 絶対のルール
種族が違えば管轄も違ってくる。
人間族の勇者にとってアイアントは、ただ無秩序に湧き出すだけの迷惑なモンスターに過ぎなかった。
ワラワラと数がいて鬱陶しいが、ただひたすら斬り刻んでいけばよい。
しかしドワーフにとってみれば、彼らが命のように大事にする鉱山を意図的に狙う、最悪モンスターだったとは。
鉱山とは縁のない人間族だからこそ知らなかった。
鉱山と強い結びつきのあるドワーフと親交して初めて知った。
そして、モンスターは存在を許してはいけない害悪であると改めて知った。
エイジは、ヒョウ、と息を吸う。
「……『威の呼吸』」
次瞬、遅疑なく跳躍し、巨大アリの顔面目掛けて鉄の刃を振り下ろした。
ガキィンッ、と。
鼓膜突き刺す轟音を鳴らしながら、鉄剣は綺麗に折れた。
叩きつけられたアリの殻の硬度に押し負けて。
「だから言ったのよ!!」
一定の距離を開けて見守るギャリコが、悲鳴のように叫んだ。
「ただの鉄の剣でモンスターが倒せるわけがないじゃない! アイツらは特別なのよ! 神の理から外れた特別な生き物なの! だからどの種族にも当てはまらない、獣でもない! モンスターなのよ!」
特別なものは、特別なものでしか倒せない。
神がモンスターを砕き斬り裂くためにのみ特別に作り出し、人類種に与えた武器。
聖なる武器
たとえば聖剣。
「聖なる武器でなければモンスターは傷つけられないのよ!!」
それは、この世界の住人ならば子どもでも知っている常識だった。
いわば絶対のルール。
特別でない、ただの自然物である鉄から作られた剣では、モンスターに掠り傷一つ負わせることは出来ない。
それでは、モンスターを倒すことは出来ない。
「そうかな?」
折れた剣を手にしたまま、エイジは一度後退してギャリコの傍に立つ。
「ギャリコさん、よく見てみてくださいよ。あのアリの頭」
「え? 何を言っているのよ?」
アイアントは、ノーダメージながらも突然の斬撃に驚き、怯んで動きを止めていた。
「頭を見るって……? 見てどうすればいいのよ?」
「よく見てください。まだ目を凝らさないと気づけない?」
時刻は真夜中ではあるが、この騒ぎに多くのドワーフがかがり火を掲げ、モンスターの周囲は昼のように明るい。
その灯かりに照らし出され、巨大アリの頭部に目を凝らしてやっと確認できる。
うっすらと。
うっすらと細く伸びる。
アイアントの頭部に刻まれた微かな筋。
「あ」
「気づきましたねギャリコさん」
まさかあれは、エイジの斬撃でアイアントの殻に付いた刀傷だとでもいうのか。
傷というにも頼りなさすぎる。
むしろただの線。
「あんな傷ができたからって何だって言うのよ? あんなのほぼノーダメージじゃない!?」
「いいえ。少なくとも聖剣じゃない、ただの鉄の剣の攻撃でもまったく通用しないわけじゃない、ってことが証明されました。たとえ引っ掻き傷程度でも、傷がつくんなら何度でも叩きこんで致命傷に至らせる!」
その言葉にギャリコは耳を疑う。
あんな掠り傷をいくつ刻み込めば、致命傷に発展するというのか。
「でも剣は……。アタシの打った剣は……!」
たった一回。
あのアリに打ちこんだだけでポッキリ折れてしまった。あんな浅い掠り傷と引き換えに。
「剣が折れちゃあ何度も何度も打ちこむなんて不可能よ。絵空事じゃ現実はどうにもならないわ……!」
「ええ、だから……!」
エイジは、折れた剣をポイと投げ捨ててから、新たに別の剣を取り出した。
折れていないスラリと伸びた別の剣を。
「……!?」
「すみません、失敬したのは一振りだけじゃなかったんです」
よくよくギャリコが見れば、背中にもさらに二振りの剣が背負ってあった。
「僕がギャリコさんの工房から失敬してきたのはこれで全部です。コイツらで、折れても折れても何度でもあのアリを斬りつける」
「エイジ……!?」
「でも、これだけじゃ全然足りない。ギャリコさん、すいませんが工房から残りの剣も持ってきてください。ジャンジャン持ってきて。この分じゃあのアリの殻を割るのにどれだけの剣がいるかわかりません」
あるいは無茶な要求だとエイジも思った。
ギャリコがこれらの剣を丹精込めて打ってきたのは、剣を握ればわかること。
我が子のように大事に作り上げた剣を使い捨てのように次々折っていくというのは、制作者にとって身を切られる苦痛だろう。
それでもあの形ある災厄を打ち砕くには他に方法がなかった。
「…………ッ!」
ギャリコの表情が決意に引き締まった。
「そこのアナタたち!」
と周囲のドワーフたちに呼びかける。
「ついてきて! 一緒に運んでほしいものがあるの! ……エイジ。工房の中、空にするつもりで持ってくるから少しの間だけもちこたえていて!」
とにかく斥侯アイアントを逃がしてはならない。
逃がせば斥侯は群れ本体へ生還し、美味しい鉱山の在処を仲間に伝えるだろう。
そうすれば次に鉱山集落を訪れるのは、群れ全体による襲撃だ。
「……持久戦になるな」
エイジは再び巨大アリに向き合い、改めて呼吸を整えた。
「……『炉の呼吸』」
* * *
そこからの出来事は、見守るドワーフたちの想像を絶するものだった。
手伝いを得てギャリコは大量の自作剣を、自分専用の工房から運んで来る。
それを得てエイジは巨大アリへと斬撃を叩きつける。
すべての剣は例外なく、たった一合の激突で叩き折れた。
折れては投げ捨て、次の剣を取って、斬りつけては折れて、投げ捨てて次の剣を取る。
その繰り返し。
しかし実行するエイジ自身はまったく勢いを衰えさせない。
何度折れようと、何度折れようとも。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
新たに剣を握って巨大アリを斬りつける。
常人であれば、瞬く間に精神が擦り切れて挫けているだろうに。エイジの精神力は摩耗することを知らなかった。
しかも驚くべきことにエイジの斬撃は、皆すべてあやまたずまったく同じ個所に命中していた。
最初に打ちこんだアリの頭部。
細い細い引っ掻き傷のできたあの部分に、斬撃をいくつもいくつも重ね合わせる。
おかげで当初は微かな線のようにしか見えなかった傷が、今では深い溝となって、たしかに巨大アリの殻に刻み込まれている。
周囲で見守るドワーフたちにも一目瞭然だった。
効果はある。ほんの少しずつではあるが、エイジの攻撃は破壊不能と思われた魔物の甲殻を、突破しつつある。
ギャリコを通じて手出し無用を厳命されているが、せめてエイジの助けになればとかがり火を燃やして明瞭な視界を確保する。
「頑張れエイジ!!」
「負けんな! 負けんな!!」
「この集落の命運がお前にかかってるんだ! 頼むから、そのアリここで叩き殺してくれ!!」
皆の期待が一つとなって、エイジへと集まる。
剣を振るって戦うエイジへ。
そのことに、一人違和感を覚える者がいた。
「……エイジ」
それはギャリコ。
脂汗と共に、彼女から漏れてる疑問の言葉。
「アナタ、一体何者なの?」