02 過去の輝影
エイジがドワーフ集落に住み込むようになったのは、彼らの弟子になるためだった。
『鍛冶スキルを教えてください』
それが鉱山集落を訪れて、最初に放った言葉だった。
剣を作るには鍛冶。
鍛冶と言えばドワーフ。
鉱物を打ち、道具や武器を作ることにおいてドワーフ以上に秀でた種族はいない。
だからこそエイジはドワーフの下を訪ね、その技を自分のものとして吸収したかった。
彼自身の最終的な目的のために。
一応ながらも願いは聞き入れられ、エイジは鍛冶屋の弟子として、それこそ雑巾がけから始めることになった。
特別扱いは彼も望まない。
最初に与えられた仕事場は、坑道という鍛冶を学ぶためにはまったく無関係の場所ではあったが、それでもエイジは働いた。
へこたれることはなかった。
果敢な努力に道は開ける。
それは既に、彼が一度経験したことなのだから。
* * *
「……落盤事故。しかし死人はなしか」
「はい、お父さん」
夕食の席で、坑道での出来事が親方ダルドルへと伝えられた。
坑道エリアの監督役として、事故の報告はギャリコの義務である。
鉱山集落のすべてを取り仕切る親方ダルドルは、村長のような役割であり、また工場長のような役割でもある。
鉱山集落を細かいエリアに分けて自分の息子娘にそれぞれを任せている。
いずれはその中から次なる親方を選び出す準備なのだろうが、ギャリコもまた親方の娘として坑道エリアを任され、統率者としての才覚を試されている最中ということだった。
「被害は比較的狭い範囲に収まったことと、死人が出なかったので報告を後回しにしました。坑道区画が一部塞がったことで予測される効率の低下は……」
「そんなことは問題じゃねえ」
娘からの報告を、親方ダルドルは遮る。
集落で働くドワーフの中で、もっとも豊かな髭が静かに揺れる。
「重要なのは、鉱員が無事かどうかだ。鉱山の仕事はどれも危険だ。だからこそ鉱山を仕切る者は、そこで働く者の命を第一に考えなきゃならねえ」
「はい……」
「効率だの利益だのを考える仕切り役は、鉱山で働くドワーフを簡単に死なせるようになる。仕切り役が殺しているようなものだ。そんな監督役にはなるんじゃねえぞギャリコ」
「はい、お父さん……!」
女だてらに坑道エリアのあらくれどもを率いるギャリコも、父親である親方ダルドルの前では借りてきた猫のようなものだった。
共に食卓を囲むドワーフ作業員たちも、そのやり取りを見て親方への畏怖を一層高める。
「まあ、とにかく大変な一日でご苦労だったな。皆の衆。今夜も大いに食って飲んで、明日の仕事に備えてくれ。髭の手入れも欠かすんじゃねえぞ」
ここは坑道エリア作業員の食卓だが、親方は日によって製鉄エリア、鍛冶場エリアなど各エリアを周って、作業員たちと食卓を共にする。
直接触れ合って、作業員たちから現場での出来事を聞き、自分の鉱山で起こっている出来事を詳細に把握するためだった。
それでも、数あるエリアの中で坑道エリアの食卓に顔を出すことは多いと言われる。
その理由は……。
「エイジ」
「は、はい!?」
坑道エリアの下っ端として食卓の末席に座るエイジと、親方として上座にあるダルドルとはまさにテーブルと端と端の位置関係。
自然二人が会話するとその間にいるドワーフ全員に声が届く。
「落盤事故の時にはえらく活躍だったらしいな。アンタのお陰で死人が出るところが出なかったと聞く」
「いいえいいえ! ……何故そこまで詳細に?」
「アンタを雇ってて助かった。ドワーフは、アンタら人間族と違って筋肉は詰まってても頭は軽いヤツが多くてな。アンタみたいにその場で判断できるヤツが一番先頭にいてくれるのは安心できる」
とダルドルは、集落一豊かな髭を撫でる。
「ま、これからも何かあったら頼む。頼りにしているぜ」
…………。
と、食卓は沈黙に陥らざるを得なかった。
なにせ集落の親方みずから、下っ端への期待のお言葉。
意外でもあるし、人によっては不快ですらあるだろう。
「あの……、親方。聞いてもいいですか?」
食卓の中間辺りに座る若いドワーフが手を挙げた。
「なんだ?」
「親方はどうしてそんなにエイジに目を掛けるんです? いやそもそも、人間族をドワーフの鉱山集落で雇うってこと自体……!」
ないことではないが、非常に珍しい。
「たしかに人間族は、平均的で何でもできる種族ですがね」
「ドワーフの種族固有スキルとして、他の種族じゃ覚えられない鍛冶スキルも、人間だけはある程度覚えることができる」
「しかし所詮ある程度ですぜ?」
ふむ……、とダルドルは相変わらず集落一豊かな髭を撫でつけていた。
「ワシは、人間族に恩があってな」
「「「「?」」」」
「だから人間族の頼みはなかなか断れんのだ。受けた恩を返すためにも」
突然の告白にドワーフたちは戸惑う。
「……だから、エイジの弟子入りの頼みも断れなかったと?」
「そういうこった」
初耳だとばかりに、食卓のドワーフたちは騒めいた。
自分たちの親方に、人間族へ負い目のようなものがあるとは、種族的なナショナリズムから何とも納得できなかった。
「まあ実際に恩があるのは、ワシじゃなくギャリコの方だがな」
「お父さん!?」
突然名前を出されて娘のギャリコは戸惑う。
「あれは、そう、もう五年前になるかな? あの頃はコイツも、子ダヌキみたいに丸っこくて可愛くて、今ほど生意気じゃなかったんだがよ」
「え? 何? 本格的に語り出すの!?」
あまり語ってほしくなさそうな娘を無視し、ダルドルの語りは続行される。
「あの頃ワシは、まだこの鉱山を発見しておらず、一家を率いて鉱脈探しをしておった。山から山へと移動して、富が埋まっていないか一攫千金の旅ってわけだ」
「あの……、やめてよ。本当に話すことないでしょう?」
「鉱脈探しの旅は家族総出だ。カミさんも息子も娘も皆連れて行った。もちろんこのギャリコもな」
食卓の隣に座るギャリコの肩をポンポン叩く。
「でな、問題が起きた。小さかったコイツが一行からはぐれて迷子になりおったんだ」
山深くでの迷子はつまり遭難。
小さい子供が生還は至難の業だった。
しかも当時幼かったギャリコにさらなる危難が襲い掛かった。
「モンスターがよ、出てきたんだ」
「マジすか!?」
いつの間にか作業員のドワーフたちも話に引き込まれていた。
昔話の主役であるギャリコ、それからなぜかエイジも居心地悪そうに顔を背けていた。
「奥深い山ん中で、ガキ一人、モンスターに目をつけられたら万が一にも生き延びられねえ。神から聖なる武器を与えられた勇者でもいない限りはな」
「じゃあ、どうなったんです? お嬢はモンスターに食われちまったんですかい?」
「バカ野郎。そしたらここにいる可愛いお嬢さんは誰? って話になるじゃねえか。ギャリコは助かったんだよ。あんな場所に、いるはずのないヤツがいたおかげでな」
「勇者……」
ギャリコがぼそりと声を漏らした。
照れるようなか細い声で。
「人間族の勇者……」
五年前、幼かったギャリコに今にも襲い掛かろうとするモンスター。
それを寸前で止めたのは、聖剣を携えた人間の勇者だった。
「まったくの偶然ってわけでもねえだろう。人間族の勇者は元からモンスターを追っていて。そのモンスターがギャリコを襲おうとしたところで追いついた」
「それが勇者の務めですからね」
「だがな、勇者の務めはあくまで自分の同族を守ることだ。人間族の勇者は人間族を守るもので、ドワーフの小娘まで守る筋合いはねえ」
しかし、その時現れた人間族の勇者は違った。
恐怖で動けなくなったギャリコを抱え、片腕だけで聖剣を振るってモンスターとの激闘を繰り広げた。
「騒ぎを聞きつけてワシが駆けつけた時、そこのあったのは血眼になって探していた娘と、それを抱える人間族と、真っ二つになったモンスターの死骸さ。あの時ばかりは心配と安心がごっちゃになって、髭が全部抜け落ちるかと思ったぜ」
と当時を懐かしそうに語るダルドル。
その中でただギャリコが恥ずかしげに俯くのだった。
あと何故かエイジも。
「だからワシは、娘の命を救ってくれた人間族に返そうとも返しきれねえ恩がある。そのほんの一部でも報いるために、突飛なお願いも聞き届けなかったら、ドワーフが廃るってもんさ」
つまり人間のエイジがドワーフに弟子入りして、鍛冶スキルを習おうとする。
その望みを叶えると。
「言っておくけど」
ギャリコがイスから立ち上がって、エイジの方を向いた。
「いくらアタシが人間に助けられたからって、人間全部に負い目を感じるなんて、アタシはないから。アタシを助けてくれた人間と、アンタは別物よエイジ」
「は、はあ……!」
何と言えない表情で後頭部を掻くエイジ。
「むしろアタシは、アタシを助けてくれた人の恩で、別の人間が得をするなんて納得いかない。アンタのことは監督役として公正に評価するから、少しでも手を抜いたら叩き出してやるんで肝に銘じておきなさい!」
「なあ、ギャリコ。お前本当に気づかねえのか……?」
「え? 何を?」
首をかしげる我が娘に、親方ダルドルはため息を吐いた。
「やれやれこの恩知らずが。ドワーフの都まで勉強に行かせたって言うのに、バカのまま帰ってきやがったか」
「え? 何が!? 何なのお父さん!?」
こうしてドワーフの夕食は和やかに過ぎていった。