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285 新天地へ

 人間族の覇勇者セルン。


 実父グランゼルドから称号を引き継いだ彼女は、もはやそれとは関係なしに世界の英雄だった。


 悪神アテナに挑み、これを撃破。


 世界を人類の手に取り戻した、功労者三人の一人であるのだから。


 ネキュイアの海から帰還後は、モンスター根絶した世界の混乱を治めるために尽力。

 旧聖剣院の勢力を率いて、各種族の調停役を務めた。


 覇聖剣はとっくに女神へと戻りセルンの手から離れ、魔剣すら消滅して彼女が腰に佩くのは普通の金属剣であったが、それでも『覇勇者セルン』と呼ばれて、いかなる場所に出ても敬意を払われないことはなかった。


 混乱した世界をまとめ直すことに尽力した彼女の名声は世界中に知れ渡り……。

『最後の覇勇者セルン』の名が忘却されることは末代までないだろう。


 そんなセルンも、ついに大役から退く時がやってきた。

 悪神アテナの征伐より二年後のことだった。


    *    *    *


「ついにこの日が来ましたね……」

「ああ」


 その日、セルンは聖剣院長代理を務め上げたサスリア老婆と共にいた。

 目の前には聖剣院本部の跡地。


 今はもぬけの殻である。

 多少改装が入ったあと、純粋に女神メドゥーサと男神ポセイドンを崇める礼拝堂として開放されることになっている。


「サスリア様は、教団に関わることはないのですか? 顧問か何かとして運営に携わるとか」

「この歳で仕事すんのはもうたくさんだよ。大事な公務の途中でポックリ逝っちまったら周りにも迷惑だろうが」


 この日、聖剣院は正式に解散を宣言し、長きに渡る歴史に幕を閉じた。


 解散の理由として、元々聖剣が失われたからには聖剣院が存続する意味もないこと。

 それでも暫定的に活動継続していたのは、モンスター根絶によって混乱する世界に暴発が起きないよう調停する役目が、旧聖剣院の組織力に求められたからであった。

 しかしそんな混乱も、月日の流れと共に収まり、ほぼ問題がなくなった。


 役目をすべて果たした聖剣院は、今日ついに潔く終幕を宣言したのだ。


「あたしゃ今度こそ引退させてもらうよ。……まったく、こんな高齢になっても働かされる勇者なんざ、きっとアタシ一人だろうよ。アタシは人間族史上もっとも勤勉に働いた勇者だろうねえ」


 年寄りの愚痴をセルンは苦笑しながら聞き流した。

 自身、若き日は勇者であったサスリア老婆は、たしかに人生のほとんどすべてを公に捧げてきたと言っていい。


 自分の娘すらも、勇者の生き様に捧げてしまった。


「……たしかにアナタ以上に勤勉だった勇者もいません。そして、その記録は永劫破られることはないでしょう」

「そりゃそうさ。これでもう聖剣院の勇者は二度と生まれないんだから」


 聖剣院も、聖剣も、勇者も、もうこの世から消え去った。

 それもまた時代の流れ。


「……聖剣院に携わる者も、それぞれの新しい人生に進んでいくことになりますね」


 聖剣院の一部のセクションは、宗教的側面を受け止め神を崇拝するための組織として存続していく。

 既にアテナの欺瞞は世界中に知れ渡り、人間国の各所に建てられたアテナ像は引き倒されて、新たにメドゥーサ、ポセイドンの夫婦神像が並べられていた。


 その他にも有能な官僚や精強な兵士は人間族各国へ引き抜かれ、新しい職場で生きていくことが決まっている。


「……モルギアはどうしました?」


 黒の勇者モルギアもまたセルン同様、モンスター動乱の時代を生き抜いた勇者。

 その実力と声望で、士官先は引く手数多のはず。


「アイツはまた放浪の旅に出ちまったよ。それが性に合うとさ」

「彼らしいですね」


 無論ただの旅ではない。行く先々で目に映る人々を助けるための旅だろう。

 それもまたモルギアが先人から受け継いだ勇者の資質だった。聖剣よりも大切な勇者の証は、聖剣を失っても彼の中にある。


「セルン、アンタこそどうするんだい?」


 サスリア老婆が問うた。


「名声で言えばアンタの方がモルギアよりさらに上だ。士官の話もあるだろうし、アンタほどピチピチの嬢ちゃんなら縁談すらあるだろう。どこぞの王妃にでもなれるんじゃないかい?」

「やめてください。私は生涯現役の剣士です」


 覇聖剣がなくても、聖剣がなくても、その事実は変わらない。

 実際サスリア老婆の指摘通り、士官の誘いも結婚の申し込みも数多くあったが、セルンはそのすべてに丁寧な断りの返事を入れていた。


「これからの予定は、既に決まっていますから」


 聖剣院に最後の別れを告げたセルンは、旅装束だった。


「そうかい、残りの寿命から言って、アンタとも今生の別れになりそうだねえ」

「そんな寂しいことを言わないでください。たくさんの土産話をもってまた会いに来ますから」

「やれやれ、いい加減生きるのにも疲れてきたのに、まだしぶとくしがみつけってのかい? まあいいさ。ここを離れるなら、墓参りはちゃんと済ませていくんだよ」

「ええ、もちろん」


 セルンは発した。

 途中、父グランゼルドの墓に立ち寄り、祈りを捧げてから。


    *    *    *


 そして数日ほどの旅を経て、セルンが辿り着いたのは港町だった。


 潮の匂いが濃厚に香ってくる。


 彼女はここで、重要な約束を果たすことになっていた。

 再会の約束を。


「おーい!」


 到着するなり早速、約束の相手が迎えに来た。


 ドワーフの鍛冶師ギャリコ。

 かつての旅の仲間と久々の再会である。


「ギャリコ! 変わりがありませんね!」

「そういうセルンは、大分貫禄がついたじゃない? よかったの? 立身出世を放り出してこんなとこまで来ちゃって?」

「それを言うならアナタも同じでしょう?」


 悪神を殺す魔剣の制作者として、今やギャリコの腕前は天下に轟き渡っている。

 モンスターが根絶され、魔武具の素材も消え去っても、その超絶技巧を求めて勧誘が絶えなかった。

 しかしギャリコは、すべてを断りここにいる。


 それこそセルンと同じように。


「それで……、エイジ様は?」

「いるわよ、ほら」


 ギャリコの指さす先に、ただの人足のように荷車を引く若い男がいた。


 それこそ世界をあるべき形に戻した英雄の中の英雄エイジだった。


「お、セルンもう来たんだ? 貫禄ついたねー?」

「エイジ様何やってるんですか?」

「食料の買い出しだよ。可能な限りたくさん積みこみたいから、荷車で引く量になっちゃった」

「それはわかりますが、なんでエイジ様みずから引いてるんです? それこそ人を雇えば……!」


 世界の英雄が人足の真似事など、見る人が見れば卒倒するような光景だった。


「そんな金ないよー、所詮これは僕らの個人事業なんだから、お金はできる限り切り詰めていかないと……」

「アタシも資金調達で余計なもの作らされたから、ここまで来るのに時間がかかったわ。…………しかし、ついに完成!!」


 波止場に移動。


 セルンが見せられたのは、見上げるほどに大きな船体。

 それがもう海面に浮かんでいた。


「……これが、船というヤツですか……!?」


 セルンは圧倒されながら呟いた。


 ネキュイアの海から戻ってきた英雄たちが、次に取り組んだこと。

 それは海へと本格的に進出するために欠かせない道具。

 船だった。


 モンスターが消滅したことで、航路の安全は格段に上がった。

 既に、各種族による航路開拓も始まっていて、海は急速に人類種の領域となりつつある。


「まあ、船自体開発に試行錯誤の連続で、ここまでかかっちゃったけどねー」

「ギャリコが造ったんですよね? 鍛冶仕事だけでなく大工仕事まで一級とは……!?」

「言ったでしょう? ドワーフに作れないものはないのよ!」


 世界に平和が戻ってより、英雄たちは平和な世界の外へ繰り出すことに目標を置いていた。

 英雄に相応しい新たな目標だった。


「セルンは……、聖剣院での仕事はもういいのか?」

「ええ、私だけでなく聖剣院自体も務めを終えました。最後の式典ぐらい来ていただければよかったのに」

「そっちの主役はセルンだよ。本当によく仕遂げた。グランゼルド殿もきっとお喜びだろう」

「ええ、お陰で心置きなく皆と一緒に新しい世界を探しに行けます」


 ネキュイアの海を去る間際、エイジたちは神々より面白い話を聞いた。

 世界の底にある柱は、世界を支える大事なもの。

 ゆえにおいそれと近づけぬよう、世界を広げると。

 今は切り立っている世界の果てを広げていき、最後に円球として閉じてしまえば地上の者は誰も底には近づけない。


「あれから二年……、世界はもっと広がっているはずだ。新しい大陸もあるに違いない」

「そこに一番乗りしようってわけね!!」


 それがエイジたちの掲げた新しい旅。


 彼らの挑戦は、世界を変えてなお終わらない。

 彼らの人生が山場を越えない限り。


「では、早速出発しましょう!」

「待て待てセルン、乗船者は僕たちだけじゃないぞ」

「え?」


 計ったように、各方向から波止場へと集まってくる者たち。


 かつての竜人族の勇者ライガー。

 同じくエルフ族の元勇者レシュティア。

 オニ族でエイジの従姉妹サンニガ。

 ドワーフ族の覇勇者だったドレスキファまで。


「皆も、この船に……!?」

「全員勇者をクビになって暇なんだってさ。いいじゃないか。旧い世界で厄介者になるより、新しい世界に飛び出せば」


 かつて世界中で暴れ回った猛者たちを乗せ、船は波を切って進んでいく。

 神々の作りし新しい世界へ。


 絶望は潰れ去り、希望が残った。

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