283 世界に幸あれ
世界中に住むすべての人類種……。
人間、ドワーフ、エルフ、竜人、ゴブリン、天人、オニ。
……それらすべての種族の中で予想した者がいただろうが。
今日。
世界が完全に様変わりする、記念日となることを。
その日。
世界からモンスターが消え去った。
最悪の脅威。
誰にも倒せない。
それが現れた時、人に取れる手段は逃げるか殺されるか。
ただ蹂躙されるしかない究極の天敵モンスター。
そのモンスターが消え去ることを人類は何度夢想しただろうか。
いや、そんな妄想にも何百年と前から疲れ果て、ただ生き延びることを考えた。
そんな負け犬の躾を受けてしまった人類も数多くいるだろう。
しかし、今日それも終わる。
そのことを一体どれだけの人類が予想しえたであろうか。
* * *
たとえばある村は、放棄を余儀なくされていた。
近隣に出没したモンスターのために。
当初は様子見を続けていたが、日に日に活発化するモンスターの動きに、ついに村民全員の避難が決定した。
勇者派遣の要請も送ったがとても間に合いそうにない。
刈り入れを目前に控えた作物も、思い出の積もった家屋も置き去りに、村人たちは逃げ去ることになった。
難民となった彼らにどんな過酷な運命が待ちかまえることであろう。
安住の地の代わりは、そう簡単に見つかるわけではない。
苦難の旅に、体の弱い子どもや老人は命を落とすかもしれない。
そんな過酷な日々が、今日始まるかと思ったのに。
「皆! 大変だ!!」
モンスターを監視する役に付いていた勇敢な若者が走り帰ってきた。
「モンスターが! モンスターが消えたッ!?」
「消えた!? いなくなったじゃなくて!?」
「そうだよ! 目の前でフワッと消えたんだ! 光の粒になって!」
「なんだそりゃ……、いや、どちらにしろモンスターは消え去ったんだな!? どこにもいないんだな!? 一匹も!?」
「そうだよ! 村を捨てずに済む! オレたちここにいられるんだ!」
村は一日中喜びに沸き上がった。
* * *
同じ頃違う場所でも衝撃が起こった。
その日彼は、生まれて初めての戦いを経験するはずだった。
命を賭けた戦いである。
自分も死ぬかもしれないが、その代わり相手を殺せる。
そんな状況に臨むのは最初のことであった。
「これが……、この魔剣があればモンスターを殺せるんですね?」
ドワーフ族が大売り込みを掛ける魔剣。
それは神の聖なる武器を除けば唯一モンスターを殺せるという触れ込みだった。
まだ酒の味も知らない少年の彼は傭兵団に志願し、全線で戦うことを条件に魔剣を支給された。
これを最後に死ぬかもしれない。
でも、精一杯戦って死ねるのなら本望だ。
若さゆえの破れかぶれな闘争心が彼を励ます。
「……もうすぐ城門が開く」
隊長らしいベテラン傭兵が声を掛ける。
「外はモンスターで一杯だ。片っ端から斬りまくれ、相手に大勝なんかいねえ。とにかく斬りまくって数を減らせばいいんだ。鐘が鳴ったら合図だからすぐさま退却。逃げ遅れても城門閉まるから絶対遅れるな!」
殺すか死ぬかの実戦。
それが城門の開くと同時に始まる。
「開門んんんんんッ!!」
門が開き、外の風景が露わとなる。
考える前に動け、その一念で外へ飛び出す。
目を瞑って。
恐怖で目を開けられなかった。
「うりゃあああああ!! うりゃうりゃうりゃうりゃッ!!」
そして目を瞑ったまま我武者羅に振り回す。
何も手応えがなかった。
それどころか周囲から修羅場の喧騒も聞こえてこない。
変に思って、恐る恐る目を開けると……。
「……は!?」
何もいなかった。
城壁の外を埋め尽くしていたはずのモンスターが一匹残らず。
「いない? モンスターがいなくなった?」
しかも異変はそれだけにとどまらない。
彼の手の中にあった、対モンスター用の必殺の切り札が……。
* * *
さらに同じ時間、別の場所。
聖剣院仮本部にて新しい勇者の就任式が行われていた。
晴れて覇勇者に昇進した、かつての青の勇者セルン。
そして、退任に追い込まれたフュネス、スラーシャの後任として、新たに三人の勇者が選抜される。
「これからの勇者は、それ以前とはまったく違う」
臨時に聖剣院長代理となった元勇者サスリアが言う。
「見返りはない、名誉もない、辛く苦しい戦いが続くだろう。これまでの聖剣院の悪辣ぶりを振り返ればやむをえないことだ」
「はい」
院長代理の前にひざまずく新勇者が応える。
「しかしお前たちは、この困難な仕事に打ち込まねばならない。そうしなければ過去数十代に渡って重ねてきた聖剣院の負債を消し去ることはできない。報われない戦いになる。それでもお前たちは希少なる先達……、覇勇者セルンや黒の勇者モルギアに続く覚悟はあるかい?」
「もちろんです!」
「己のためでなく人間族ために戦います!」
「聖剣院に真の志を!!」
その回答に満足したサスリア院長代理は、神官に呼びかける。
「では儀式の準備を。この三人に青、赤、白の聖剣を結びつける」
所有者不明のまま実体化した三色それぞれの聖剣が運ばれてくる。
これを聖剣院にのみ伝わる儀式で剣士と聖剣を結び付け、それによって聖剣の勇者が生まれる。
切っても切り離すことができない。
一度結び付けられた聖剣は、勇者が死ぬか、聖剣院に解除の儀式を執り行われるまで自分自身で解除することもできないのだから。
勇者が聖剣を手にするのか、聖剣が勇者に憑りつくのか。
それは簡単には判断できなかった。
「……、……ッ!?」
「どうしたんだい?」
「院長代理!? 聖剣が、聖剣がッ!?」
突如であった。
聖剣が光を放ちながら粒と解けて消えていった。
「これはッ!?」
「儀式はまだ終わっていないよなッ!? 何故基底状態に!?」
「いや待てッ!? 聖剣の存在を感じない!? まさか聖剣が消滅したッ!?」
大騒ぎの聖剣院。
それを眺め、聖剣院長を代行するサスリア老婆は、すぐさま状況を把握し、ニタリと笑った。
「……そうかい、やったかい我が孫は……!」
幸か不幸か、勇者の座を眼前で獲り逃した若者たちは呆然とするばかりだった。





