280 支えてきた
エイジ。
父との邂逅。
エイジが母の胎内にいた時、父は大海の向こうへと消え去っていた。
だから物心つかない時期に会っていた事実もない。正真正銘、初めての出会いだった。
「…………」
物言わぬ父。
灰色の石像と化し、世界を支える柱の亀裂に押し入り、崩れぬよう支えるのみの姿。
旅立ったまま帰ってこなかった理由に、こんな事実があったとは……。
「エイジ……!?」
「しっ」
他の者たちも、この親子の邂逅に割って入ることを憚る。
誰にも邪魔することのできない清冽な空気があった。
「……でも、せっかくお父さんに会っても、何も話せないじゃない。相手は石なのよ……!?」
異神アテナの呪いによって、人の形のまま石へと成り果てたエイジの父。
石は、語る口があったとしても動かすことなどできない。
そんな邂逅に意味があるというのか。
「女神メドゥーサ様……!」
見かねたセルンが神に縋る。
「アナタは、私たちにかけられた石化を解いてくださいました。同じようにエイジ様のお父様を……!?」
『……無理です』
女神メドゥーサは悲しげに被りを振った。
『時間が経ち過ぎました。石とて生きているのです。長く置かれれば人としての生命力は抜け去り、石としての生命力に入れ替わってしまいます』
「そんな……!」
『彼が石に変えられてより二十年以上。そんな長い間、人としての意思を保ち続けること自体驚異的なことです』
まして石にされた彼は、千載一遇の好機を狙って石の体のまま呼吸スキルまで使って見せた。
そんなことができるのは、まさに烈人。
万人に一人もいないことだが、さすがにそれが限界であろう。
『恐らくこれが、最初で最後の父子の対面になります。二人だけで、邪魔なく過ごさせてあげましょう……』
神の気遣いによって、エイジは純粋に父との時間を持つことができた。
とは言え、その時間をどう受け止めていいか彼自身にもわからない。
喜びもない、怒りもなかった。
どんな感情を持てばいいかもわからなかった。
彼自身、父という存在をことさら意識したこともない。
誰かしらの庇護者を求めるにもエイジ自身は生まれながらに強すぎたし、そうでなくともエイジにはグランゼルドという最高の父親代わりがいた。
大切なことはすべてグランゼルドから教わるか、自分自身の手で掴み取ってきた
そんなエイジが、父親というものをどう受け止めればいいの。
その事実に対する戸惑いだけが、内にある感情だった。
『――やあ』
「!?」
何処からともなく声がした。
またしても。
そしてその声は、若々しく漲った男の声だった。
しかし生命力自体は弱まり、今にも消え入りそうな声。それなのに、滅びの運命を受け入れてなお悲しみも諦めも滲ませず、事実のみを受け入れる。
そんな風に強い声。
『――上手くいったようだね。敵は殺せた。この体でも充分に感じ取れたよ』
「感覚があるのか? 全身石になりながら……!?」
『もちろん目も見えない、耳も聞こえない。元々修めていた呼吸スキルのお陰かな。周囲に流れる気の感じだけは何とか捉えることができる』
同じように呼吸して活動する生命力などは特に。
『僕をこういう風にした敵が、すぐ近くにやって来たのもわかった。だから今まで溜めこみ温存していた力を開放して「間の呼吸」を使った。今の僕にはせいぜい動きを止めるのが精いっぱいだったからね』
「…………」
『とどめはキミが刺してくれたんだろう? というか、キミが追い詰めてくれたから敵はここまで来た。凄いね。全部キミのおかげだ。……キミ、オニ族だろう?』
「!?」
その指摘にエイジは戸惑う。
たしかに彼に流れる血の半分は、元来所属してきた人間毒とは違うものだ。
「……わかるんですか?」
『そうでないと、こうして「見の呼吸」で意思疎通ができないからね。キミは僕と同じオニ族で、呼吸使いだ。しかも最強クラスも。だからこんな世界の奥底まで来れた』
世界の元凶を取り除けた。
『実は僕には、キミの言葉しか明瞭に読み取ることができない。気の流れを介して呼びかけてくるキミの言葉しか。他に何人かいるようだけど、誰で何を言っているのかもわからない』
「……」
『だからキミに頼みたいことがある。同族のよしみで聞き届けてはくれないか?』
「……何を?」
『伝言を頼みたい。今となってはもう自力で伝えることはできない』
伝言。
その一言に、滅多に動揺することのないエイジの心臓が早打った。
『僕は、大切な人を残してここへ来た。すぐに帰るつもりだった。ここにある真実を暴き、よりよくしてから……』
しかし、その予定は果たされることはなかった。
追い詰められたアテナが実行した悪あがきによって彼は柱を支え、その一部となった。
『さすがにね……、この柱を壊させるわけにはいかなかった。柱の支える世界の上には、僕の愛する人たちもいるんだから……』
「愛する人たち」
『そう、伝言したいのは、僕の妻だ。僕の子どもを身ごもっているはずだ』
その言葉に、エイジの全身が震えた。
『彼女も一緒に来ようとしていた。でも無理に押しとどめたんだ。お腹の子が心配だから。生まれてくる子どもがのびのびと過ごせる、そんな世界を奪い返してくると勇んで出たのに、このザマさ。……最高に情けない』
様々語っているうちに、石化した彼の現状についても段々わかってきた。
石と化した彼は、時間の感覚すら曖昧になっていた。
自分が石化してから何日経ったのか何年経ったのかすらわからないらしい。
『子どもはもう生まれたのだろうか? いや、もしかしたら彼女も子どもも寿命を終えて、この世から去っているかもしれない。それぐらい過ぎているかもしれないんだ。……なあキミ、わからないか? 僕が石化してからどれぐらいたったのか……?』
「……」
『……ゴメン、わかるわけないよな。赤の他人の僕がいつの時代の人間かなんて』
「それでもアナタは、伝えたいことがあるんでしょう?」
『……うん』
エイジにはわかった。
石化した彼の生命力がみるみる小さくなっていく。
やはり限界に近いのだ。石化して、自身の在り方が有機体より無機体に近くなりながら、その無機の体に人の生命を宿しておくには限界があった。
残った力を振り絞って異神アテナの動きを止めたのだから、その反動によって最期はすぐそこまで迫っている。
『……もし生きていたら、僕のことを知る人がまだこの世に残っていたら、戻ってこれなくてゴメンと伝えてほしい。約束を破ってゴメンと』
「…………」
『僕って本当に自信過剰でさ。難なく戻って来れると思ったんだ。今回も。ゼルドから叱られたのに。お前は何でも一人で片付けようとする。もっと仲間に頼れって。その忠告を聞かなくって、このザマだよ』
「………………」
『ホント彼の言う通りだった。敵を倒せたのだって、後追いのキミたちが駆けつけてくれたからだ。僕も一人で乗り込まず、ゼルドやエルネアを頼っていたら、こうはならなかった。ホント、ダメだな僕は……』
「……」
『ああ、ゴメン。知らない人の名前出して。エルネアが僕の妻の名だ。……ゼルドは、僕が外の世界に出て初めてできた友だちさ。真面目でとってもいいヤツなんだ。僕が戻らなくても、彼が僕の子どもを立派に育て上げてくれる。誰よりも強い闘士に。絶対』
「……」
『もし彼らがまだ、この世界にいるのなら伝えてくれ。僕は……』
「その必要はない」
エイジは言った。
「残った人々は、アナタの気持ちをちゃんと理解しているはずだ。アナタが戻らなかったことも、やむにやまれぬことがあったと理解しているはずだ」
『そうかな……!?』
「アナタが彼らを愛していたことも、ちゃんとわかっている。だからことさら伝え直す必要はない。きっとわかっている。絶対に……!」
『そうか……、そうだな……、二人ともきっと、僕のことを信じてくれているかな』
石像から、生命力が消え去ろうとしている。
いよいよ彼の、この世での時間が終わる。
『最後に……、キミのことを教えてくれないか。僕の最期を意味あるものにしてくれた恩人なのに、まだ礼も言っていなかった』
「僕の名は……」
エイジは、らしくなく一瞬つっかえて、それでもなお言った。
「僕の名はエイジ」
『そうか。ありがとうエイジ。ここまで来てくれて』
その一言を最後に、彼の生命力は完全に石像から消え去った。
石に変えられた人は、これで正真正銘ただの石となった。





