279 神に罰
『ぬぐぅッ!?』
破壊の光が石像に触れるか触れないかの寸前だった。
異神アテナが動きを止めた。
ヤツを阻もうとするいかなる試みもまだ射程に入っていないというのに。
まるでもっとも崩壊を急ぐアテナみずから思い留まるかのようだった。
もちろん違う。
アテナが土壇場で改心する清い心根があるわけがないと、もう誰もが確信していた。
『なんだああああああッ!? 何故体が動かねええええッ!? このッ! クソッ!?』
案の定、アテナは何かしらのトラブルに見舞われたらしかった。
目に見えない何らかの力によって、動きを封じられている。
『何なんだああああああッ! なんでなんでなんで!? なんでいつも最後の最後で邪魔が入りやがるうううううッ!?』
「教えてやろうか」
『ヒッ!?』
エイジが、既にアテナのすぐ背後に立っていた。
金縛りとなったトラブルは、アテナに致命的な停滞をもたらしていた。
「お前が邪悪だからだ。悪は必ず滅びる。それこそどんな世界にも共通する鉄則であるはずだ」
『うるせえええッ!? そんな世迷言……!?』
「……というのは半分冗談だが。僕にはわかるよ。同じ呼吸使いだからだろうな。ここに渦巻く大気の流れが、完全に一人によって支配されていることを」
『なッ!?』
呼吸とは、世界に満ちる大気を自分の内と外とに入れ替える作業。
それを極めに極めれば、体の内と外の区別なく、すべての気を己が肺内とみなすことができる。
「僕の呼吸スキルは、ただ才能として受け継いだだけのもの。だからせいぜい肉体の強化にしか使ってこなかった。だが、自分の芯央に呼吸スキルを置き、己が意義として磨き上げてきた者ならば。……もっと凄いことができるんだろう」
この空間すべての空気の流れを自分の呼吸とみなし。
流れの狭間に置かれたものの動きを封じることぐらいできる。
「本当に恐ろしい人だ。肉体を固められ、横隔膜を動かすことすらできないのにまだ呼吸している。この人にとって、世界中の気の流れそのものが呼吸なんだ」
『ぎゃあああああッ!? ぐげええええええッ!?』
アテナはもがくが、一向に拘束から逃れることができない。
呼吸の絶人が作り出す、『間の呼吸』に閉じ込められて。
「……」
エイジは無言でかまえを取った。
剣に鞘を納めたままのかまえ。
それは居合のかまえだった。
『んぎひぃッ!? まさか……、まさかお前……!? 私を殺す気なの? 神の私を!?』
エイジの究極以上ソードスキルは神をも殺すことができる。
勇者の母、覇勇者の師を持ち、ソードスキルを究極のさらに先まで納めたエイジと……。
そのエイジのためだけにギャリコが作り出した最高傑作の魔剣が合わされば……。
神をも殺すことができる。
「この魔剣キリムスビは、お前がこの世に生み出したモンスターを素材にしてある。お前を裁くにはもってこいの代物だ」
『待て! 待て!! 罪深いと思わないの? 神を殺すのよ!? それはこの世でもっとも罪深いことよ!?』
「知らないのか?」
エイジは判決を下すように言った。
「人に迷惑をかける神は殺してもいいんだ」
『うひいいいいいいいッ!?』
アテナはあがいた。
死にたくないのだろう、必死になってあがいた。
それでも呼吸の拘束から逃れることはできない。
『なんでッ!? なんでよッ! なんで私ばかり拒まれるのよ! なんで私だけが酷い目に遭うのよおおおッ!!』
なおも往生際が悪くあがく。
『私にはッ! かつて愛する方がいた! でもその御方は自分の生み出した人間ばかり愛して、私を優先してはくれなかった! だから人間を滅ぼそうとしたのにいいいッ!!』
「……」
『憎い! 私からあの方を奪った人間が憎い! だから私はこの世界に流れ着いてからも人間に復讐した!! これは正統な復讐なのよおおおッ!! なのに何で罰せられるのよおおおおッ!?』
「……」
『何とか言ええええええッ!?』
エイジは何も言わない。
答える価値もないと言わんばかりだった。
アテナにどんな嘆きがあろうとも、それを顧みられる資格はない。
「両頭を截断すれば――。一剣天に倚って――」
『待て待て待てえええええッ!! なんか言えええええッ!! 私も本当は可哀相なヤツだったとか! 出会い方が違えば仲良くなれたとか! 何かあるだろうがあああああッ!?』
「――――ソードスキル『寒』」
すべてを斬滅する刃が、邪神の運命を裂き抜けていった。
永遠不滅を定められた神。
その運命すら斬って滅し、神は今滅ぶべき存在となった。
『あぎゃああああああッ!? おぎゃさあああああああッ!?』
世にもおぞましい断末魔を上げて、女神アテナは滅した。
世界に災厄を振り撒き続けた邪悪に相応しい、醜い最期だった。
『ふへ、ひへへへへへへ……』
不滅の運命を断たれ、存在から否定され塵に還っていくアテナ。
その塵すらも、やがては無に還るだろう。
『愚か者……! 私を滅したら、世界のすべての悪が消え去るとでも思っているの?』
無に還ろうとする過程のわずかな時間。
その猶予すら使ってアテナは最後の悪言を吐き出そうとする。
『残念だったわね……! 悪は、お前たち人間の中にこそこびり付いているのよ……! 私が消え去り、モンスターがこの世からいなくなっても争いはなくならない。今度は人類同士の争いが始まる……!』
預言者のように言う。
天剣による裁可は、アテナの全身に及び、もはや頭以外はすべて塵となって消え去った。
残った頭部もやがて消える。
『きゃはははは! きゃはははは! お前たちは私に感謝すべきだったのよ! 私に支配されるおかげで自分らの醜さを見ずに済んだのだから! でもこれからは直視しなきゃいけない! 自分の邪悪さを醜さを! いずれお前たちは後悔するのよ! 私に支配され! 虐げられている方が幸せだったと! ぎゃははははははあッ!? ぐべッ!』
残りの頭部すら半分塵になって消えかけていたのを、エイジの足の裏が踏んで潰した。
数千年に渡って世界を蝕み続けた邪悪は、ここに完全に、二度と甦ることがないほどに消滅した。
「……嫌なヤツなら腐るほどいたさ。お前が好き勝手していた世界にもな」
アテナの主張が、負け惜しみでしかないことはわかりきっていた。
死に際の恨みを最大限に込めた呪詛ですら、即座に論破可能なところがなお哀れであった。
「それでも、他人に強いられて犯す間違いと自分自身で犯す間違いは違う。自分で犯す間違いすら奪われて堪るか。だからお前は滅びなければならなかったんだ」
そんなエイジの声も届かず、アテナは完全に塵に還って消えた。
もう二度と甦ることはないであろう。
どうでもよかった。
今の彼にはそれよりなお、重大なことがあった。
消えかけのアテナを踏みつぶし、乗り越えた先にある、若い男の石像。
かつて最強のオニ族と謳われたレイジ。
幾多もの戦いの果てにエイジは、初めて自分の父親に出会った。





