273 アイギスの秘密
ただの魚が巨大化し、足を生やし、牙を生やし、モンスターへと変わる。
その過程を見てエイジが思い出したのは、剣都アクロポリスでのおぞましい事件。
人がモンスターに変わる現象だった。
今この目に映る醜悪な光景と、あまりに酷似している。
「あの時……、モンスターに変わっていった聖剣院長たちは、神に縋って自分の考えを捨て去った哀れな人たちだった……!?」
『そう、知恵などという邪魔物を持ち合わせる人の子どもは一定の条件をクリアしなければモンスター化できない。でも他の動物植物どもは違うのよ。下等なアイツらは簡単に染め変えることができる』
アテナが言った。
『ま、そうでなくとも私が見たいのは人の子どもが苦しむ様だから、そう簡単にモンスター化させないけどね。ラストモンスター化した男神どもが放つ毒素と、地上海中に生きる下等生物。それらが揃えばいくらでもモンスターは生産できる』
「ふざけるな!!」
エイジ激昂。
「貴様は人類種だけでなく、世界のすべての生物を侮辱するのか! 何処まで最低なんだ!!」
『負け犬の遠吠えが心地いいわあ! でもいいの? アナタが気にすべきは、そんな大それたことよりも、すぐ目の前のことじゃなくて?』
「!?」
魚から変質したモンスターたちがエイジたちを取り囲んでいた。
その数、無数。
しかも今なお加速度的に増加している。
いつもならエイジやセルンにとって大した状況ではない。所詮マーマンは兵士級の最弱モンスター。
しかし邪神アテナと半魚巨人ポセイドンに挟まれた現状と合わせれば、意外な脅威となりかねない。
「きゃああああッ!?」
悲鳴が上がった。
後方に控えていたギャリコにマーマンが這い寄っている。
「いけないッ!?」
「セルン戻れ! ギャリコを守れ!!」
多勢になったことでエイジ側の隙を突くことも容易に。
戦うすべを持たないギャリコのため、エイジたちは守勢に回るしかなかった。
「ごめんなさいエイジ! アタシがいるせいで……!!」
「いいから!」
悪い戦況。
完全に女神アテナの術中にはまっている実感があった。
思考が乱される。
この劣勢を覆すには、まず何から片付ければいい。
無数の魚モンスターか。
どれだけ倒そうとあとから無尽に補充される相手を倒しても埒が明かない。
大元であるアテナか。
しかしヤツは、自分を守るためにこれだけの大小怪物を呼び出した。それを手付かずのまま本丸に攻め込むのはリスクが過ぎた。
するとやはり真っ先に当たるべきは……!!
「あの半魚巨人か……!?」
無数のザコモンスターを生み出すのは、ラストモンスターから染み出す毒素によるもの。
半魚巨人ポセイドンを片付ければマーマンの増殖も止まり、アテナの前に立ちはだかる壁もすべて消える。
しかしそれも大きな問題だった。
エイジの見立てからして、敵の中でもっとも手強いのは神でもあるラストモンスター。
マーマンとアテナを手付かずのままポセイドンを片付けるのも至難の業。
『ふふふ……!! もちろんこのまま済ませる気はないわよ……!!』
女神アテナの追い打ち。
先ほど取り出した盾を、エイジたちに向かってかざす。
『このアイギスの盾で、お前たちに相応しい天罰を下してやりましょう。神に逆らった報いを受けろ! 下等なる人の子どもよ!!』
円形の大盾、その表面に異様な変化が表れ出した。
鏡のように平らな表面が急に歪んだかと思うと、その歪みが整った形を作り上げる。
人の顔だった。
盾から人の顔が浮かび上がった。
しかも年若い、美しい女性の顔だった。
『さあ、呪いの視線を浴びて永遠に途絶え固まれ!!』
盾に浮かび上がった女性の、閉じられた両眼がカッと見開かれた。
「なにいッ!?」
目から放たれる光は、エイジもセルンもギャリコも隔てなく照らす。
その光を浴びた者に、また禍々しき変化が起こる。
「これはッ!? ……体が動かない!?」
「固まる!? 固まる……!?」
「石にッ!?」
盾の女が放つ光を浴びた生物は皆、石と化すのだった。
エイジたちだけではない。彼らを取り囲んでいたモンスターたちも巻き添えを食って、禍々しい姿のまま彫像と化す。
「うわああああああッ!?」
一瞬にして静寂となった。
盾の放つ光は場の隅々にまで行き届き、生きとし生けるものすべてを生命なき石に変えてしまった。
エイジもセルンもギャリコも、形はそのままに石像と化してしまった。
息遣いを失わぬのは、光を放った本人であるアテナと、元々神であるせいか石化の光をも跳ね返したポセイドンのみ。
『ふふふッ、あはははははは……!!』
勝利を確信し、アテナは高笑いを上げる。
『死んだ死んだ! 私に逆らう愚か者どもがまた死んだ!! そうよ、これが正義なのよ! 世界の主である私に逆らうものは滅ぶべきなのよ!』
息せぬ石像だけが居並ぶ死の世界。
その中で数少ない例外の半魚巨人は、動かなかった。
倒すべき敵を失い、荒ぶる必要をなくした彼は、ただ愛し気にアテナを見上げるのみだった。
いや、正確にはアテナの所持する大盾を。
『……さて、この愚か者どもの石像はどうしようかしら? 一息に砕くのももったいないから、少しずつ削り落として嬲るのもいいわねえ? 苦痛の叫び声が聞けないのが残念だけど……!!』
石像と化したエイジたちに語りかけるように言う。
しかし、アテナはいつまでも勝ち誇ることはできなかった。
またしても光が。まばゆい光が放たれたのである。
『きゃあああああッ!? 何ッ!?』
今度はアテナが、光の眩しさに怯む番だった。
光は黄金色に輝き、石像と化したエイジ、ギャリコ、そしてセルンを包み込み……。
そして光が収まった時、三人は元の息づく人として復活した。
「ぷはぁッ!? 何!? 何ッ!?」
「呼吸できる? 助かった……!?」
「私たち、石になったはずなのに……!?」
元の姿に戻れた三人は、石化した記憶を残しているのか、九死に一生を得て安堵を我慢できない。
「一体何故……!? どうして石化を解除できたんだ……!?」
「これです、エイジ様……!!」
セルンが言った。
彼女は、戦闘中の状態を維持知るように剣をかまえていた。
父グランゼルドから継承した黄金の覇聖剣を。
「覇聖剣が私たちを救ってくれたのです……!」
「何ッ!? はッ!?」
覇聖剣の刀身は、いまだに放った光の余韻を燻らせていた。
「あの光を放ったのは……、覇聖剣……!?」
覇聖剣の放った光によって、石化が解除された。
「でも何故……!? 聖剣はアテナが作ったものだろう!?」
つまりアテナの支配下にあるもの。
アテナの行動を邪魔すること自体ありえないのではないか。
『……ついに、この時が来ましたね』
声がした。
その声はセルンだけでなく、今度はエイジにもギャリコにも、そしてアテナの耳にまで届いた。
『お前ッ! まさか……!?』
『何千年と待ち続けました。心清き者が、覇聖剣を携えアナタに挑む時を。これで私も挑むことができる』
覇聖剣は言った。
『アナタから、私の愛する子たちを取り戻す戦いを』





