269 下衆の極み
「グランゼルド殿……!?」
さすがのエイジも、固く引き締まった気勢が一気に崩れ去るほどだった。
抜いた魔剣を危うく落とすところだった。
それほどに衝撃。
地の底で出会ったのは聖剣の覇勇者グランゼルドであったのだから。
「父上……!?」
セルンの衝撃は一層大きい。
力を失い倒れ込もうとしたのを、ギャリコから咄嗟に支えられる。
「何故アナタがここに……!?」
人知の及ばぬ果ての異界に。
それどころではなく、グランゼルドは世界のどこにも存在しないはずだった。
この世のどこにも。
彼はもう既に亡くなっているのだから。
「父上? 父上、何故……!?」
ここまで至る直前の、剣都アクロポリスでの戦い。
その戦いにおいて覇勇者グランゼルドは、この世での責務を果たし鬼籍に入ったはず。
遺体も荼毘にふされ、その姿がこの世に残ることは絶対にないはずだった。
そのことを知っているからこそ、実の娘であるセルンの動揺は激しい。
「生き返った……!? わけじゃない……! ならこれは一体……ッ!?」
再会したグランゼルドは表情に生気なく、目の前に現れたエイジたちにもまったく反応を示さない。
まさに幽霊そのものであるかのよう。
眼前にて巻き起こる事態はあまりにも不可解で、見るものをただひたすら混乱させた。
飲み込み、さらに理解するには時間が必要だが、その暇すら与えないというかのように、また急変が起こる。
エイジたちの前に現れたグランゼルドの口元から一線、赤色が零れ落ちた。
「へ?」
血だった。
グランゼルドの口から一筋、二筋、血が流れ落ち、量を増やしてやがて大量に零れ落ちる。
それだけではなかった、胸に大きな穴が開いた。
ひとりでのことで、何かに突かれたわけでも斬り裂かれたわけでもないのに。
その傷からも大量の血が流れ落ちる。
「いやああッ!? 父上ッ!?」
「セルン見るなッ! ……はッ!?」
さらにエイジは気づいた。
グランゼルドだけではない。周囲にはもっとたくさんの人影があった。
その人影のすべてが、あらゆる部分から血を流し、損壊していく。
ある者は首がちぎれ、ある者は腹が裂かれ、またある者は全身砕け散って肉片となった。
「何なのよ!? 何なのよこれはッ!?」
突如展開する地獄絵図に、冷静を保てる者などいなかった。
「あれは……!」
その中でエイジは、さらなるものに気づいた。
この押し寄せる惨たらしい人ごみの中で、また一つ見覚えのある顔に気づく。
「モルギア殿……!?」
「えッ!?」
血を噴き出す無数の人影の中に一つ、腹部から血と内臓を漏らし出す人影に、エイジの視線は釘付けになった。
「モルギアって……、人間族の黒の勇者……!?」
「でも前に会った時とはまったく姿が……!?」
ギャリコもセルンも、過去に黒の勇者モルギアとは面識があった。
だからこそエイジの発言に戸惑う。彼の示した中年男性の姿は、彼女らの知るモルギアとは似ても似つかないから。
「アイツじゃない……、現勇者のモルギアに名前と技を託した先代モルギア。彼までここに……!?」
唯一、新旧モルギアの双方を知るエイジだからこそ気づけた。
しかし戸惑いは消えない。
先代モルギアはモンスターとの戦いに散り、グランゼルド同様この世の人ではない。
グランゼルドと先代モルギア。
共通するのは、既に故人となった人間族の勇者ということ。
「まさか……ッ!?」
エイジは見回す。
今や彼を囲むように溢れかえる亡者の群れを。
痛ましく血を流す亡者たちの群れを。
「ここにいるのは……!? 人間族の勇者たち、か……!?」
「えッ!?」
「聖剣を握り、人間族を守るために戦ってきた勇者たち……! 歴代の、過去何百年という昔から数多くいた……!」
勇者は、各時代に聖剣を握る者が代々務めてきた。
だから遡れば累計何百人という勇者がいたはずであり、今目の前に入る亡者の数にも匹敵するはず。
「これは、過去の聖剣の勇者たちの死にざまの映像……!?」
五体満足な者など一人もいなかった。
腕がちぎれ足がちぎれ、惨たらしい断末魔の悲鳴を上げて亡者たちは唸っていた。
「そんな……! これが過去、聖剣で戦った勇者たちだと言うんですか!?」
「でもなんで、こんな酷い……!」
ギャリコもセルンも、この光景に嫌悪感を隠そうともしない。
それが自然だった。
世界を守ってきた勇者たちに、あまりにも冒涜的であった。
『何が酷い? これこそ貴様ら人の子のもっとも重要な務めじゃない』
「「「!?」」」
突如響き渡る声。
エイジたちは、再び警戒のための緊張を高める。
『こやつらは、人の子として特に優れたコレクションたちよ。しっかり手元に置いておかなくては』
「お前は……ッ!?」
現れたのは、神々しき光を放つ絶世の美女だった。
輝かしく晴れやか。
体全体が清浄さに満ちて、一片の穢れも身につかない。
鏡のように輝く鎧をまとった戦乙女。
そんな存在がエイジたちの前に姿を現した。
『いけない子たち。こんなところにまで這い寄ってくるなんて……!』
「お前が剣神アテナだな……!」
すぐさま確信が取れた。
エイジたちも、過去様々な神々と対面してきた。
イザナミ、ペレ、カマプアア。
彼らが放つ神気は、今目の前にいる戦女神まとうものに酷似していた。
ただ、神や人に関係なく心根の腐った者が放つ禍々しさは、他の神々とは似ても似つかない。
「同じ声だ……! 聖剣や覇聖剣から聞こえてきた声と……!」
『そうね、あれは神の最高の娯楽。聖剣を通してお前たち人の子が苦しみ死に絶えていく様を見るのは実に楽しいことだわ』
心底そう思っていると示すかのように、女神アテナはニヤリと笑った。
「何て物言いなの……!? クソムカつく……!?」
「不快の塊のような存在です。神らしい大らかさを持っていたカマプアアやペレとはまったく違う……!?」
女神が放つ邪悪さは、誰の肌にも明確に感じられた。
目の前にいる者こそ、世界の邪悪の根源であると直感できた。
「ここにあるのはなんだ?」
エイジがまず問うた。
この元凶に言いたいことは山ほどあったが、それよりも先に今展開されるおぞましい光景に言及せざるをえなかった。
「これが、過去の勇者たちの最期を記録したものであることはわかる。何故そんなものがある? 何故そんなものを揃えておくなど悪趣味なことをしている!?」
『悪趣味とは教養知らずな。これは私の最高のコレクション。お前たち人の子の無価値な存在を、ギリギリ有意義に変える福音ではないの……』





