268 辺獄
飛空術を会得したエイジが大海へ乗り出して、はや十五日が経った。
「遠い……! まだ着かんのか……!?」
海の広さを舐めていた事実を突きつけられる。
エイジたちの想像以上に海は広くて大きかった。
「途中で休憩できる小島とかがなかったら本当にマズかったわよね……!?」
海上には時おり猫の額程度に小さな島が点在しており、見つけ次第降下して休憩をとることができた。
食事や睡眠などはそこで取った。
そうしなければエイジたちはとっくに進行不可能になっていただろう。
「海でもなく、モンスターでもなく、距離こそが最大の敵とは……!?」
「そろそろ食料も底を尽きるわ。場合によっては引き返すことも考えに入れておかないと……!?」
一番地味な相手によって敗北を喫するかと思えたその時だった。
「いえ……!」
セルンが海上に何かを捉えた。
「とりあえず我々は勝利したようです。まず、この大いなる海に」
エイジたちの進行方向の先の先、海を分かつ線があった。
水平線ではない。
本当に海が分断されていた。
ある地点から海面がなくなり、海水が滝のごとくと落下していた。
「なんだ、これは……!?」
あまりに衝撃的な光景で、エイジですらも言葉が出なかった。
直下の滝は、それこそ海を切断したかのように長大で、首を右から左へ回して全部の視界で確認でき、しかも右も左も端が霞んで見えなかった。
「ここが……、世界の果て……!?」
「……のようね、これ以上進みようがないもの」
切断された海表は、それこそ閉ざされた世界の端を示しており、それ以上の進行は世界から拒絶されているかのようだった。
「でも、ここからどうやってアテナに会いに行くの?」
「そうですよね……、道はもうここで断たれていて、これ以上進みようがないですし……!?」
一つの問題を乗り越えてすぐさま新しい問題にぶち当たる。
彼らの旅ではもう慣れた行程ではあるが、それでも今回はスケールが大きすぎて百戦錬磨のギャリコたちを戸惑わせる。
「……いや、行くべき場所はわかっている」
しかしエイジは動じなかった。
「わかりやすいぐらいにわかるじゃないか。次に行くべき場所が」
「え……!?」
「あんなに大口を開けて、俺たちを誘っている……!!」
エイジの視線の先。下だった。
海水が滝のごとく滑り落ちる下。
「あ……!?」
「まさか……!?」
ギャリコもセルンも、いい加減長い付き合いとなったエイジの考えをすぐさま読み取った。
「これだけ豪快な絶壁だ。さぞかし底も深いんだろう」
たしかに進む道が断たれた今、さらに行くにはそこしかない。
「横方向の世界の果てに到達したんだ。今度は縦方向を制覇してみようじゃないか!」
「やっぱりぃーーーッ!?」
「エイジ様は思い切りがよすぎます!?」
エイジは呼吸スキルによる飛行術を駆使し、海水と共に世界の断崖からの下降を試みた。
「ぎゃああああああッ!? 飲まれる!? 海水の下降に巻き込まれるうううッ!?」
「エイジ様! もっと滝から離れてください!? いやあれを滝と呼んでいいのかどうか……!?」
ヘタをしたら自殺行為となりかねないため、ギャリコもセルンも困惑ひとしお。
三人は一塊のまま落ちていった。
落下する以上、飛行術はもはや関係なくエイジは途中で重力に任せるままににしてしまった。
そして落ち……。
落ちて……。
ひたすら落ちていって……。
* * *
「はッ!?」
一時の意識の途切れのあと、エイジたちはすぐさま自分たちの状況に気づいた。
「あれ……? 立てる? 地面がある……!?」
「本当に、世界の底だというんですか?」
三人がいたのは、洞窟かと思える岩肌に囲まれた空間だった。
洞窟かと思える……、が、本当の洞窟ではない。
それは絶対にない。
何故なら洞窟ならば必ずあるはずの天井がなかったからだ。
頭上は大きく開けていた。
見上げれば、青く煌めく空が広がっている。
「しかし、あれは空じゃないな……!」
エイジが見上げながら言った。
「あれは空の青じゃない。海水の青だ」
天一面に広がる青は、空のものより一段深く、しかも偏光でキラキラと煌めいている。
断じて空の色調ではない。
「空一面に広がるのが海水だとして……? つまり……?」
「僕たちは、それこそ地下世界に来たってわけだ。頭上に広がる海水は、地上を満たしたものなんだろう」
「本当ですか……!?」
一行は、理解してなお現実を受け止めきれない。
彼らが踏み込んだのは、それこそ人が本来行き着くべきではない異界。
これまで世界のあらゆる場所を旅してきたエイジたちですら受け止めきれない。
「えええええッ!? でもでも、上にあるのが海水なら何で落ちてこないのよッ? こんな海底水浸しになるはずでしょう!?」
「常識的に考えたらそうだ。何故そうならないのかは僕にもわからない。きっと僕たち人類種の理解を越えたものが、この場所を形作っているんだろう」
そしてだからこそ、より確信が深まる。
人智を超えた何者かの住み処はここなのだと。
「…………!」
エイジは注意深く周囲を見回した。
海底洞窟と見紛う地底は、地面の隙間を縫うように海水が流れて風情があった。
しかし、意図を持って動くものは仲間以外に見当たらない。
「まずは、この場所を徹底的に検めよう。どこかに必ずヤツがいるはずだ」
女神アテナが。
「そうね、充分注意しないと。どこから襲ってくるかわからないから……!」
「ギャリコは、私とエイジの間にいてください」
セルンは、持ち替えたばかりの覇聖剣を実体化させ、不測の事態に備える。
父から受け継いだ究極の聖剣は、地の底でもなお変わらぬ黄金の輝きを放っていた。
警戒を密にしながら、三人は固まって進んでいく。
「……!?」
「どうしたセルン、何か気づいたか!?」
「前方ですエイジ様……!」
セルンの指さす先に現れたもの。
「あれ、人影ではないですか?」
「たしかに……!?」
ユラユラと揺れる不確かなものは、亡羊ながらヒトらしき形をしていた。
他に目を引くものはないので、三人は一気呵成に駆け寄る。
場合によってはそのまま斬りかかることも辞さない気勢だった。
しかし相手を明瞭に確認できるまで接近したところで、全員動きを止めた。
驚愕と衝撃によって。
「あ、アナタは……!?」
地底の底で亡羊なる人影となってエイジたちを待っていたのは。
彼らの知る人物だった。
かつての人間族の覇勇者。
グランゼルド。





