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258 告解

「……私と彼女は同期だったが……」


 今や死の縁にあるグランゼルドであったが、最後に残った力を振り絞るようにして語り続ける。


「私が勇者に就任したのは、彼女よりずっとあとだった。私が聖剣を手にした時にはもう彼女は次期覇勇者の確定候補。……私と彼女では、才覚に天と地ほどの差があった」


 私は本来……、そう言ったところで吐血が喉に詰まり、咳き込む。


「……本来、私は勇者になれる器ではなかった。それでも勇者に抜擢されたのは唯一の得意であった『一刀両断』を磨き続けたからだ。それは彼女のお陰だ」


 ――アナタの剣は、何処までもまっすぐ伸びて美しい。


 その言葉が、落ちこぼれの若者に勇気を与えた。


「『一刀両断』ただ一つで強くなれたのも、すべて彼女のお陰だ。私だけではない。彼女に励まされて先に進むことのできたものは、当時どれだけいたか。彼女はまさに、人を導く光だった……」

「…………」


 昔を懐かしく語るグランゼルドに、セルンには黙したまま物憂げな顔だった。


「その一人がヤツだろう」

「……」

「いつ頃か、彼女と行動を共にする男がいた。聖剣院に所属しているわけではない。それどころか人間族でもないらしい。その謎の男を私は最初警戒した。しかし不思議な男でな……」


 若き日のグランゼルドと彼女の共同任務に首を突っ込んでは、素手でモンスターを叩き潰し異彩を放つ彼。

 グランゼルドは知らぬ間に彼とも打ち解けていった。


「不思議な男だった。狂暴な怪物なようでいて、何も知らぬ少年のような一面も持っていた。……やがて二人が男女の仲になっていると気づいても、それほどショックはなかった。彼女のような天才には、同じほどの天才が吊り合うのだと妙に納得できた……!」

「グランゼルド様、アナタは……!」


 グランゼルドを、まだ父とは呼べなかった。

 それができない引っ掛かりがまだセルンの中にある。


「しかし、度を過ぎた才能はやはり歪を生む。ヤツは、その利きすぎる眼力で見つけてしまったのだ。世界の真理というべきものを。そしてそこに向かって行ってしまった……!」

「世界の真理……!?」

「彼女のことも、彼女の中にいる自分の子どもを置いて。『すぐ戻るから二人を頼む』と。ヤツはわざわざ私に挨拶しに来た。何故止めなかったのか? あの時に? 私はずっと後悔してきた」


 あの時何故、あの男を止めなかったのか。

 彼には、世界を変えることよりもずっと大事な宝を得ていたのではないか。

 それを捨てるほどに、真理に価値などあるのか。


「彼女もまた、次期覇勇者に確定と言われていながら聖剣院を去った。言うまでもなくエイジを生み育てるためだ。彼女は自身の栄達よりも母となることを選んだ」


 そしてエイジが生まれる。

 のちに、地上の社会体制そのものを突き崩すほどの覇人にまで成長する赤子が。


「彼女は、母親としてもよくやっているらしかった。聖剣院を去って疎遠にはなったが、時おり届けられる頼りにはエイジの成長が事細かに書いてあった。文面から母としての喜びが溢れ出るかのようだった」

「あの……、エイジ様のお母様は……!?」


 不安に思っていることを聞かずにはいられなかった。

 ここに来て、もはや何度話題に出たかわからないエイジの母。


 偉大なる者の生み主にして、また彼女自身もまた偉大であることは充分に窺えた。

 なのに彼女の現状は、今何をしているかはまったく話題に上らない。

 まるで……、もうどこにもいないかのように。


「……私が知ったのは、すべて終わってからだった」


 幼かったエイジは、母親と二人、ある僻村で暮らしていた。

 中央の喧騒から遠く離れた、貧しいながらも静かな村だったという。


 その村を、モンスターが襲った。


「すぐに救助要請が聖剣院に送られた。しかし聖剣院は要請を無視した」

「そんな!?」

「わかりきったことだろう? ヤツらは、得にならぬことしかしないのだ」


 助けたところで充分な寄付金など納められるわけもない貧村。

 そんなところを助けても一銭も得られないと、聖剣院は黙殺した。


 そして不運なことにグランゼルドは、別件で覇王級モンスターを倒すために遠征中だった。


 その地に、次期覇勇者とまで讃えられた元勇者が隠遁していることを、聖剣院は知らなかったのか。

 あるいは知っていたとしても、みずから聖剣院を去った離反者に意趣返しのつもりで無視することなど、普通にあり得ることだった。


「本来なら、村を捨てて逃げるしか住人に選択肢はなかったろう。それでも相当の犠牲は覚悟しなければならない苦渋の選択だ。しかし村は生き残った。犠牲者も出なかった。たった一人を除いて」


 もはや一人の母となった元勇者が、モンスターを撃退したのだった。

 ただの鉄製の剣で。

 勇者を辞めた以上、聖剣も手放さなければならない。

 聖剣の助けなく、ただ自分の鍛え上げた剣技だけを頼りに災厄を打ち砕いた。


 敵は最弱の兵士級モンスターだったが、それでも聖剣がない達人にとって命を賭けて挑まなければならない相手だった。

 そして実際に命を引き換えにして、彼女は村を救った。


「彼女の最期は、村を救った英雄だった。狭くてちっぽけな村を一命懸けて守り切った英雄だった。それが彼女の最期の選択だった」


 遠征から帰還したグランゼルドは、報告を聞いて激怒すると共に、すぐさま問題の村へ向かった。

 到着した彼が見たものは、戦友の墓前で立ち尽くす幼い男の子。


「それが、エイジとの初めての出会いだった。私は今でも後悔している。何故彼女の危機に駆けつけてやれなかったのだと。何故エイジの大事な母親を助けてやれなかったのかと」


 勇者としての力を持ちながら、それを有効に使えなかった悔い。

 なおも新しい後悔がグランゼルドにのしかかった。


「エイジが異様に聖剣院を憎むようになったのは、まさにそれが根源なのだろう。だが同時に、エイジの中で勇者という存在の尊さも不動なのだ。ヤツのもっとも愛する母親が、その命をもって勇者というものを体現してみせたのだから……」


 身寄りのなくなったエイジはグランゼルドに引き取られ、勇者となるための英才教育を受けることになった。


 聖剣院は許せない。しかし母のごとき勇者となることをエイジは幼き心で誓った。

 厳しい修行の中、知識を蓄え視野を広げ、客観的にも聖剣院は存続に値しない組織だと確信がついた。


 やがて価値なきものを一掃し、真の勇者となりえる方法を模索することになる。


「エイジは、そうした運命に生まれたのかもしれない。神をも含めた世界のすべてを革新する役割を背負って、天賦の才を持った二人から生まれてたのかもしれない。ヤツの成長に関われたことは……」


 我が人生最高の誉れだと、老剣士は言った。


「エイジは我が誇り、我が人生の意味。誰よりも敬愛した二人の忘れ形見を、二人に代わって養育することが無上の充実だった。本当の息子のように愛していた」

「…………」

「だが同時に……」


 虚空を見据えていたグランゼルドの瞳が動いた。

 すぐ傍らに寄り添う一人の娘に。


「私はまた一つ後悔を作り上げていた。本来愛情を注ぐべき相手に、何もしてやれなかった、ということを」

「グランゼルド様……!?」


 セルンは言う。

 まだ父とは呼べない。


「彼女が去って、代わりに覇勇者に選ばれたのは私だった。自分でも意外だったよ……」


 見習いの頃は、たった一つの初歩スキルしか操れない能無しと罵られた彼だが、栄達を果たせば皆手の平を返したように媚びだした。

 ひたむきな努力を続けた者が報われた。


「覇勇者としての地盤固めをするため、私は聖剣院との関係を強化する必要があった。そこで枢機卿の一人が紹介した娘と結婚した」


 ただの政略結婚だった。


「当然すぐに愛情は冷めた。覇勇者に就任はしたが、聖剣院の傲慢さに次第に我慢できなくなった私は対立を深め、彼女の死によって完全に決裂した。それ以来妻とは会っていない」


 その妻との間にできた一人娘とも。

 愛情のない夫婦の間にも歳月が伴えば授かることもある。


「私は……、お前とは関わらぬ方がよいと思っていた。止めるべきものを止められなかった、助けるべきものも助けられなかった無能な男が、お前のためにしてやれることなど何一つないと……!」


 まして娘は、貴族の母に引き取られていった。

 なおさら武骨な剣士でしかない自分にしてやれることなど何一つないではないか。

 と。


 何もせず、そっとしておくことが娘にとってもっともよいことだと決めつけてしまった。


「私はなんと愚かなのか。何もせず後悔することをまた繰り返していた。お前がいつの間にか剣士として聖剣院に入り、しかもエイジが直々に鍛え上げているとは。実際お前が勇者となるまで気づくことはなかった」


 なんと愚かなのだろうと自重の笑みが浮かんだ。

 剣の道を制覇し、歴史に名を刻むほどの偉人となった者が。


「セルン……」

「はい……!」

「今さら私が父親ヅラして偉そうに語ることなどできない。だが、私によく似たお前が私と同じ後悔を重ねることがないように」


 たった一つだけ言うことがあるとすれば……。


「一度信じると決めたことを、最後まで信じ抜け」


 それが、代を跨いでなお改善されることがない不器用さを背負いながら、それでも正しい道を見つけられる唯一の方法だった。

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