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255 神罰の道具

 ……一方、聖剣院本部たる神殿の内部では別の問題が蠢きつつあった。


 聖剣院医務室。

 本来ならば、任務中に傷を負った兵士などを診療するための施設に、多くの患者が運び込まれていた。


 人数は大量だが、そのうちの誰一人として傷を負っていない。

 かすり傷すらも。


 彼らは覇勇者グランゼルドの『元始心斬破』によって肉ではなく心を斬り裂かれた、生ける屍であった。

 人類種会議を制圧しようと雪崩れ込んだ兵士は数十人といたが、すべてもはや廃人である。

 心臓は動いて、呼吸もできるが、みずから動き考えることはできない。


 脈打つだけの人形として生きるしかなかった。


 そして、同じような廃人でも一段重要度の高い廃人がいた。


 聖剣院長だった。


 兵士たちを床に転がせても、彼だけは豪華なベッドに横たえられて、まだ特別扱いさせてもらっている。

 医者が忙しく駆け回る中で、心なき聖剣院長を取り囲む中年たちがいた。


「ふううむ……!」

「これは、どうしたことか……!」


 渋面を並べる四、五人の中年男性。

 彼らは聖剣院の枢機卿。

 聖剣院長に次いで大きな権力を持ち、中枢に位置してきた権力者たちである。


 いわば聖剣院長の取り巻きとも言えたが、当の聖剣院長が事実上消え去り、これからの展開に動揺が隠せない。


「まさかグランゼルドが、これほどの暴挙に出るとは……!?」

「聖剣院長様に刃を向けるとはなんと不遜な。早急に会議を開き、処分を下すべきでしょう?」

「そんなことに意味があると思うか? ヤツを怒らせたらどうなるか、その実例が目の前にあるではないか」


 全員見下ろす。


「えへへ……、えへへへへへへ……!」


 不気味な笑いを漏らす聖剣院長を。

 その股間がじっとりと濡れだした。尿意を覚えたからと言って手洗いに行くという考えすら、この廃人にはない。


「…………」

「も、問題はこれからのことだ」


 どうしようもない人間は早々に話題から消し去られる。


「この男がこのザマである以上、聖剣院長の重職を担うことは不可能だ。早々に退位いただき、代わりを立てるがよかろう」

「後任は誰が?」

「当然我らのうちの誰か、ということになる」


 枢機卿たちの中に重苦しい沈黙が流れた。


「サンスケール卿、やはり一番年上のアナタが務めるべきでは?」

「いやいや、ワシなど耄碌して大役は務まらん。ここは一番精力的なモッコス卿が……」

「ワタシのような若輩者が聖剣院長など荷が重すぎます。ここは正統後継というべきでも前聖剣院長の妹婿であるカサリバー卿が……!」

「アイツとは今日で離婚することにしたのですよ!」


 本来ならば血眼になって奪い合うべき次期聖剣院長の座。

 しかし今就任すれば、覇勇者グランゼルドとの直接対決の矢面に立ってしまう。

 誰も危険は冒したくないので、逆に壮絶な押し付け合いが繰り広げられていた。


「いやいや! まずはこの不始末の責任を、現聖剣院長に取ってもらうことを優先すべきでは?」

「たしかに、他種族の代表を斬殺しようなど不祥事にもほどがありますぞ!」

「ですが当人はこの様子で、責任の取りようが……!」

「生きているだけ儲けものではないですか。罰と称してこのまま火の中にでも投げ込めばいいんです。処刑ほど重い罰なら皆納得いたしましょう!」

「たしかに!」


 これまで共に権力の蜜を舐め合ってきた不正仲間であろうと、役に立たなければ即座に捨て去る。

 これが聖剣院の上層部だった。


「では、早速火刑の準備を……」

「あわわわわわーーー……」


 当の、切り捨てられようとしている聖剣院長が唸った。

 もはや意思もない、風鳴りと同じようなものであるはずだったが、唸り続ける。


「あわわわーーー。あわわわわわわーーー。あわーーー」

「煩い! 誰かこのゴミの口を塞いでしまえ! 耳障りじゃ!」

「いだいなる、けんしんあてなよー」

「!?」


 枢機卿たちの喉が強張った。

 もはや意味ある言葉など吐くこともできないはずだった聖剣院長が、たしかに言ったのである。


『偉大なる剣神アテナよ』


 と。


「われにちからを、あたえたまへー、ざいにんを、うちころす、ふだんのちからをー、しんじゃたるこのわれにー」

「これは……、まさか意識が!?」


 急変に、枢機卿たちは目の色変えて聖剣院長を取り囲む。


「聖剣院長! 聖剣院長!?」

「まさか、意識が戻ったのか!?」

「心を刈りとるグランゼルドの剣を受けながら、何という奇跡!」

「それでこそ剣神アテナにもっとも近い場所にいる聖剣院長! 我らが導き手!」

「まさに人間族の代表者!このカサリバー、アナタの義弟として誇りに思いますぞ!!」


 とまさに手の平返して聖剣院長を持てはやす。

 しかし、事態の変化はなおも続く。


「われにちからを、われにちからを、われにちからを……」


 聖剣院長の、枯れ木のように細い腕が、急に膨らんだ。

 力自慢の剛腕のように、筋肉の詰まった太い腕へと。急速に異常なまでに。


「えへぇッ!?」


 枢機卿たちも想像を超えた事態に驚き、後ずさる。

 一方心なき聖剣院長は手足と言わず、体のあらゆる部分が膨らみ、巨大化する。


 完全に異常だった。

 人の変化とはまったく思えぬ肥大化巨大化。

 いつの間にか聖剣院長は、元の身長の二倍以上にまで膨らみ、頭部が天井に達しそうになっていた。


「ひべーーーッ!?」

「だだだだだだ……ッ!?」


 見上げる枢機卿たちは驚愕と恐怖で指一本動かせない。

 聖剣院長、だったものは、それら一瞥にも値しない者たちを見下ろし……。


「けんしんあてなに、さからうもの、みなごろし……!」

「ちょっと待ってください! 我々はアテナ神に従う者! 決して逆らったりあじゃばああッッ!?」


 肥大化聖剣院長が腕を薙ぎ払うだけで、五人の枢機卿の上半身が一気に砕け、周囲に血肉を撒き散らした。

 残った下半身は、ほんの少しの間、事態を理解できないとばかりに立ち尽くしていたが、やがて自分が死んだことを思い出したかのように次々倒れていく。


 惨劇はそれだけで収まらない。

 変質したのは聖剣院長だけでない。同じく心を斬られて担ぎ込まれた数十人の兵士。彼らもまた一斉に肥大化し、怪物化する。

 治療に当たっていた医者たちを殴り殺し、次々と医務室から出て、目につく生き物を手当たり次第に殺し始める。


 一体いかなる災いか。

 どんな祟りが、このような酸鼻を尽くした状況を作りだしたのか。


 それは奇しくも、エイジとグランゼルドとの戦いが決着し、覇聖剣を借りて女神アテナが顕現したのと同じタイミングであった。


『さあ暴れろ、私の可愛いオモチャたち。心を空にした無能者は、容易く私の支配を受け入れる。理力を注ぎモンスター化したお前たちを殺せる者はいない。その力をもって、私の遊びを邪魔するクソらを皆殺しにしてしまえ!!』

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