239 驕れる者の晩秋
「エイジって、案外子どもっぽいことするのよね」
「申し訳ない」
アクロポリスの民衆を凍りつかせて、エイジはこれ以上なく簡潔に自分の立ち位置を示した。
叩きつけるように。
「ですが意思表明としてはこれ以上ない効果があったかと。そうしなければ大衆の意識に取り込まれて身動きが取れなくなっていたかもしれません」
「セルンはいいこと言う」
結局あれから聖鎚院長と別れ、今度こそ別行動となった。
しかしエイジたちが身を寄せられる場所など、街の中にはどこにもない。
彼らにとってこの都市は、もはや敵地のようなものなのだから。
エイジの存在が明らかになった以上、何処に行こうと人目はつく。
聖剣院本部に忍び込んでアテナのことを調べるにしても不都合が付きまとうであろう。
と思った矢先、懸念に反してエイジたちは安息の場所を得た。
そこはリストロンド王国の出先屋敷だった。
* * *
「よく参られた! よく参られた!」
と言ってエイジを迎える男性。
都市はもう中年と言っていいが、子どものように浮かれている。
しかしそんな浮かれようをからかうことはできない。相手は一国の王。リストロンド王国の君主ディルリッド王なのだから。
「いやー、なんか、お久しぶりです」
「本当に久々ではないか! 余は再会を一日千秋の思いで待ち焦がれていたというのに!!」
同じようなセリフをさっき聞いた気がするエイジだった。
リストロンド王国は、人間族の勢力圏内に散在する人間族の王国の一つ。
かつて同国がモンスターに襲われ、それをエイジが救ったところから縁が始まった。
仮にも一国の王であるのだから、その援助は非常にありがたいものとなる。
「……でも何故こんなところに?」
ここは聖剣院の本拠。ディルリッド王が治めるリストロンド王国ははるか遠くにある。
偶然で出会うにしては、少々都合のよすぎる位置関係にあった。
「卿がここに来ると聞いたので、急ぎ駆け付けたのだ」
「えぇ~?」
「安心せよ。噂が流れているということではない。余と卿との間には太いパイプが繋がっているであろう?」
「ああ、商人のクリステナちゃん?」
リストロンドに本店を持つ女商人のクリステナは、その広い流通網を利用してエイジ一行の交通を助けることが多かった。
彼女にも本国への義理がある。
エイジの動向を逐一伝えているのは勘付いていたが、向こうの事情もわかるし、筒抜けになったところで大して困る情報もないので放置していた。
その結果がこれである。
「しかし助かった……」
むしろ功を奏した。
人間族の国家や大商は、聖剣院への陳情を訴えるため頻繁にアクロポリスを訪れなければならない。
そのため現地での利便を考えて、各々専用の居留地を持っておくのが常であった。
エイジ一行が厄介になっているのは、リストロンド王国が聖剣院訪問時に使用する専用屋敷。
ここならば聖剣院もみだりに押し掛けることはできない。
「ここに招かれなかったら、腰を落ち着けるどころですらなかったな。陛下。本当に感謝します」
「なんの、我が国が卿より受けた恩義は、この程度で返しきれるものではない。もっともっと我らに頼ってほしい。むしろ帰属してほしい」
以前と変わらず押しの強い国王であった。
一国をまとめる者としては、これぐらいの支配力はあるべきなのだろうが。
「セルンとギャリコも息災で何より。我が屋敷にて骨を休めてくれ。ここにいる間は、聖剣院には指一本触れさせんゆえ」
窓を覗くと、門前で押し問答している集団を確認することができた。
外はまだまだ騒がしい様子だ。
「お気遣いは有り難いですが、アナタたちに迷惑は掛かりませんか? 聖剣院との関係が悪くなりかねませんよ?」
「それこそいらぬ気遣いよ。我が国と聖剣院との関係は既に最悪だ」
「たしかに」
そもそもエイジたちとリストロンド王国との縁ができた事件自体、聖剣院の最悪の振る舞いが色濃く絡んでいた。
聖剣を持って人間族を守るというお題目を掲げながら、その義務を果たそうとしない聖剣院に先んじてエイジがモンスターを倒した。
その一件から激怒したディルリット王は、聖剣院への寄付金を一切遮断しているという。
「おかげで聖剣院からは連日避難の嵐でな。魔剣騎士団も併せて、まるで我らが悪の帝国であるかのような貶しようだ。剣神アテナに許してほしくば一日も早く罪を悔い、聖剣院長に懺悔せよと」
「いかにもアイツらの言いそうなことだ」
しかしエイジは、それを聞いてさらに不安になった。
そんな険悪な状態で王みずから本拠に乗り込み危険ではないかと。
「よく都市内に入れましたねというか……?」
「聖剣院のヤツらもな、そこまで強く出られんのよ」
ディルリット王は積年の恨みのこもった笑みを浮かべた。
「聖剣院は、人間族が捧げる寄付金によって成り立っている。それは元勇者の卿とて知っておるだろう?」
「まあ……」
聖剣院は、勇者を派遣して人間族を守る。
人間族は、そんな聖剣院に財を寄付して運営を支える。
そうした相互関係が成り立っている。
「フォートレストータスの一件以来、我が国はその寄付金を断っておる。聖剣院にとっては由々しきことらしくてな。寄付を再開させるため、あらゆる手を尽くしてきておる」
「連中の右往左往が目に浮かぶようです……」
「だろう? もちろん脅しめいた文句も一度や二度ではない。しかし実力行使的な手段に出られたことは一度もない」
聖剣院は勇者を頂点として実働戦力を保有しているというのに。
それは何故か。
「聖剣院が欲しいのは、寄付金ですからね。アナタたちと完全に決裂してしまったら、寄付金の復活も絶望的になってしまう」
「そういうことだ。だからヤツらも決定的に強く出ることはできん。今回アクロポリスを訪問する際も、最悪門前払いを覚悟したが難なく入れたわ」
そうした話を聞いて、エイジがまず強烈に感じたのは『聖剣院の権威がそこまで弱まっているのか』ということだった。
ただ聖剣院が果たすべき義務を果たさなかったことだけが原因ではあるまい。
人間族の各勢力から信頼を失ったことが原因ではあるまい。
一番深刻なのは、モンスターから人間族を守る『新しい力』が登場したと言うことだろう。
それまで聖剣院が唯一保持していた力が、今はもう唯一無二ではない。
先ほどの話にも出た魔剣騎士団は、ギャリコが量産した魔剣をもって戦う王国騎士たちだ。
人間族内で……、いや全人類種初の、聖なる武器を除いた対モンスター戦闘集団というべきだろう。
「……聖剣院は、地位を脅かされている」
それ以前の聖剣院ならば、一言脅しをかけるだけで誰でも黙らせることができた。
ただ一言……。
『お前の領土がモンスターに襲われても、我々は一切助けないぞ』
と。
そう言われたらどんな強国だろうと屈するしかなかった。
モンスターに対抗できるのは聖剣しかなかったのだから。
しかし今、魔剣によって常識は覆った。
魔剣がもたらした状況変化は、当事者であるエイジの想像を超えて激烈であるのかもしれない。
「我らに続き、寄付金を停止するか減額する国も出ておる。しかも一つならず。聖剣院は確実に追い込まれている」
そこまでの話を聞いてエイジはやっと得心できた。
今日の、エイジを迎えて起こった熱狂ぶりに。
同族から次々と見限られている聖剣院は、焦っているに違いない。深刻に。
追い詰められた聖剣院にとってエイジの帰還はどれほどの救いか。
悪化した状況を一気にひっくり返す。それぐらいの希望を懸けていたに違いない。
「だからこそ、余も居ても立ってもいられずここへ来た」
ディルリッド王が重々しく言う。
「卿と聖剣院の決別は知っておる。しかし卿がアクロポリスに再来すると聞き、万が一にも聖剣院と和解することがあってはいかん。時が逆行しかねん」
「そうなることが恐ろしいですか?」
「無論だ。余は、今の流れが世界によい流れだと考えている。この流れを止めることがあってはならん!」
王は唐突に、手をパンパンと鳴らした。
合図なのだろう。部屋のドアが開き、続々と入室してくる大人数。
「おおッ!?」
「何です?」
「なんだなんだ!?」
同行しているギャリコ、セルン、サンニガも、突然の集団訪問に困惑する。
出現した人々は、皆厳かな服装で、威厳漂う大人の男性だった。
その頭に、王冠を頂く者も数多くいる。
「人間族の国王たちか」
「そうだ、いずれも卿のアクロポリス訪問を聞きつけ集まってきたのだ」
人間族全体が、エイジの行動に影響を受けている。
「覇勇者エイジ殿」
「今やアナタの行動に、人間族の運命がかかっておるのだ」
「いや、人間族だけでなくエルフやドワーフ、人類種全体が……!」
「今さら聖剣院に帰順して、時を巻き戻すことなどなきよう」
「伏してお願いする!!」
それは、これまで聖剣院にやりたい放題に耐えてきた同族が、溜まりに溜めてきた憤懣の噴出であるとも言えた。
やはり世界は変わることを望んでいる。
変えるなら徹底的に変えてしまわなければ。





