238 覇者の帰還
大城壁の一部を斬り崩すという大破壊をしてのけたのだから、騒ぎにならないわけがない。
すぐさま野次馬が雲霞のごとく集まり、エイジたちを中心に集まってくる。
「なんだ!? 何があったんだ!?」
「城壁が崩れている!?」
「一体何で!?」
「見ろ、誰か入ってくるぞ!」
剣都アクロポリスは、聖剣院本部がある聖剣院のお膝元。
街そのものが聖剣院の一部と言っていい。
住人の八割以上が聖剣院と何らかの関わりを持っているか、聖剣院に所属する当人だった。
そんな観衆たちの注目が集まる中に、エイジたちは乗り込んだのである。
「もういいや」と捨て鉢な気分で、変装用マントは脱ぎ去っていた。
「お、おい……! あの御方は……!」
「見覚えがあるぞ。まさか彼は……!」
「後ろからついてくる女性は、青の勇者のセルン様じゃないか!?」
「ではやっぱり……!」
観衆の熱気が異様に盛り上がっていく。
ずっと待ち焦がれていたものが、ついに到来した。
そう言わんばかりに。
「エイジ様だ!」
「覇勇者エイジ! 覇勇者エイジ!」
「新たなる覇勇者が聖剣院に帰ってきた!!」
津波のような歓声が街並みを押し流していく。
街全体が震えるかのようであった。
しかし当の本人は、その熱狂を極めて無表情で受け止めた。
「さすがにここに来ると、顔見られただけで正体がバレてしまうなあ」
勇者の中では異常なほど名も顔も知られておらず、『謎の勇者』とまで称されていたエイジであったが、聖剣院の本拠地にいてまで謎でい続けることは不可能だった。
「完全に大騒ぎになってるわよー。どうするのよー?」
取り返しのつかないこの状況に、ギャリコが脱力気味に言う。
元々秘密裏に潜入することを掲げていたので、初手から躓いた印象だった。
「しょ、しょうがないだろう? 聖剣院の連中がここまで腐っていたなんて予想外だったんだ」
「エイジ様が出奔される前までは、まだ少しはまともでしたからね。やはりグランゼルド様お一人だけでは腐敗を食い止めるのにも限界があるのでしょう」
しかし、かすまびすしい現状だった。
街の歓声はいまだ鳴りやまない。
「……どんだけ嬉しいんだ僕が帰ってきて?」
別に嬉しいとか照れるとかの感情は湧かないエイジであったが、代わりに酷く不審であった。
現役勇者であった頃は良識派であり、不正腐敗に厳しく目を光らせていたエイジである。
そのエイジが戻ってきて、むしろ煙たがる層はたしかにいるだろうに。
しかしエイジを迎える歓声には、媚びる感情や演技の風が一切感じ取れない。
純粋にエイジの帰還を喜ぶかのようだった。
「一体何故……!?」
「昔所属してたところに帰ってきてそこまで警戒するのもどうかと思うけど?」
エイジと聖剣院の関係は、まことに屈折したものだった。
「どけどけ! 通せ通せ!!」
そうこうしているうちに次の段階が来てしまった。
狂喜する人垣を押しのけて現れたのは、厳つい兵士たちの列だった。
「おお、彼は……」
「エイジ知り合い?」
兵隊を率いて先頭に立つのは、鎧の豪華さから明らかに一段上の身分とわかる隊長格だった。
「エイジ様、お久しゅうございます!」
そして迷わずエイジの面前に跪く。
衛兵のくせにサラサラの髪質を襟首まで伸ばした優雅な髪型。あまり兵士らしくない兵士長だった。
「えーーと……、ああ、シンバルさんだっけね。お久しぶり」
「シュバルでございます!」
拝跪の姿勢から立ち上がる兵士長の長い髪がサラリと揺れた。
毎朝気合いを入れて髪の手入れをしていそうだった。
「我ら聖剣院の勇士一同、覇勇者エイジ様のご帰還を一日千秋の思いで待ち焦がれておりました! それが今日ついに叶いました。これほど嬉しい日はございません!!」
「うん、ああね」
「どうぞ聖剣院長の下まで! 我々が先導いたします! エイジ様が戻っていただけたなら聖剣院は安泰でございます!」
「その前に」
エイジは後ろを振り向く。そこには無惨に斬り抜かれた城壁があった。
「このことには何の言及もないの?」
城壁は防衛のために巡らされるものであり、そこに穴が空くのは大問題。
防衛を職務とする兵士から見れば顔色を変えるべきことだった。
まして看過するなどできるわけがない。
「はッ! それでは……!」
兵士長が合図するとすぐさま背後の兵士たちが駆け出す。
そして向こう側でガヤガヤしているかと思ったら、すぐさま駆け戻ってきた。
何かを引きずってきていた。
「ひえええええッ!?」
「助けて、助けてええええッ!?」
それは門番だった。
エイジと聖鎚院長の一行を遮り、賄賂を要求した二人の門番が、両手を掴まれ罪人のごとく引き出される。
顔がボコボコに腫れ上がっていた。恐らく引き出される前に殴られたのだろう。しかも一発ならず数え切れないほどに。
「……これは?」
エイジが尋ねると、兵士長が恭しく答える。
「この門番どもがエイジ様に無礼を働いたのでしょう。聖剣院を代表する覇勇者に対し、まこと不遜な輩です。我々から懲罰を与えていおきますので、どうかご心配なく」
「待って、待ってください!」
腫れ上がってボールのように丸くなった頭部を振り乱し、門番は泣き叫ぶ。
「知らなかったんです! 相手が覇勇者だなんて知らなかったんです!」
「知ってれば全力でお迎えいたしました! 知らなかったんです! だから許して!」
泣いて許しを請う門番たちに、兵士長は無言で蹴りを入れた。
「ぐえッ!?」
それに加えて部下の兵士たちが折り重なるように袋叩きにして、門番たちを痛めつける。
「覇勇者様の顔を知らぬなど聖剣院の兵士失格。このクソどもは二度と視界に入らぬよう取り計らいますのでご安心くださいエイジ様。それでは聖剣院長の下へご案内いたします」
弱い者、瑕疵のある者は徹底的に痛めつけ、排除することで自身の高潔を保つ。
『自分は、コイツらのようなクズとは違うのだぞ』という意識が兵士長のサラサラ髪から匂い立つようだった。
「その前に……」
エイジは言った。
「行くところがある」
「はい?」
相手の承諾も待たずスタスタ行くエイジ。
周囲の者は、誰彼なくあとに続くしかなかった。
エイジが辿り着いたのは街中にある広場。その中央にはいかにもな像が設置されていた。
煌びやかな衣をまとう女の像だった。
それこそ聖剣院が主神と崇める剣神アテナの像だった。
「なるほど! 聖剣院に帰還する前に剣神アテナへの祈りを捧げようというのですね! さすが覇勇者! 敬虔なること!」
兵士長が上げる歓声に、民衆たちも多く同調した。
覇勇者のなんと信心深きことか。
これで聖剣院は安泰だ。
そんな言葉が端々から聞こえてくる。
そんなはずはないと知っているのは、エイジのそれまでの旅を少しでも知っている者たちだった。
チン、と鯉口が鳴った。
抜き放った刀身が、鞘の中に帰る音だった。
エイジの抜刀の瞬間に気づいた者は誰もいない。
抜き放たれた魔剣が役目を果たすと同時に、ゴトンと地面が鳴った。
高みから落ちた金属の塊が、レンガ敷きの地面と激突した音。
金属の塊というのは、斬り落とされたアテナ像の頭部だった。
「エイジ様!? 一体何を!?」
銅像であるとはいえ、聖剣院が最上位に置く女神アテナの首が刎ねられたのである。
兵士長を始めとして詰めかける多くの観衆が凍り付き、動揺した。
「聖剣院長に伝えろ」
落ちたアテナ像の首を拾い、そのまま兵士長に投げ渡す。
「これが里帰りの目的だとな。無論こんな紛いものの銅像ではない。正真正銘剣神アテナの首を取るために僕は帰ってきた」
浮かれる民衆に冷や水を浴びせかけるには充分な行為であった。
ここは剣都アクロポリス。
聖剣院の本拠地。





