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230 倭人の覇者

「ディンゴ殿ー」


 エイジがフランクに、そのゴブリンへと駆け寄る。


「やっぱりテメエか」


 それにゴブリンが答える。

 全身の肌が漆塗りのように黒光りしていた。


「テメエのビリビリした剣気は百里先から突き刺さってくんだよ。もう少し切っ先を丸くしたらどうだ? 擦れ違うヤツ皆ブルっちまうだろうが」

「えへへ、面目ない」

「威圧するだけじゃ覇勇者の威厳とは言えねえぞ」


 エイジが注意を受けている。

 そんな光景滅多にあるわけではなく、皆驚きと戸惑いに溢れる。


「あー、皆さん。こちらがディンゴ殿。ゴブリン族の覇勇者です」


 と紹介。


「僕が聖剣院を辞める一年ほど前に知り合ってね。グランゼルド殿以外で初めて目撃する覇勇者だったんで色々勉強させてもらったよ。極限にある人の心構えとか」

「テメエはその勉強した一切合切を投げ捨てたって話じゃねえか。グランゼルドの旦那から長ぇ愚痴を聞かされたぜ」

「付き合ってあげてくださいよ。グランゼルド殿が愚痴れる相手なんてアナタぐらいしかいないんですから」


 交わされる会話に、周囲の者たちにとっては別次元の印象が強まる。


「んで? テメエはいきなりこんなところに何用だい? いきなりギラついた剣気が修羅場を覆い尽くすから前に出てみりゃ、見知った顔だ。聖剣院やめてあちこちぶらついてるとは聞いていたから、もうオレッちの生きてる間に巡り合うことはないと思っていたぜ?」

「偶然通りかかっただけですよ。しかし僕にもお役に立てそうなことがあるようで、知らぬふりで素通りはできないでしょう」

「中途半端に殊勝なヤツだ。余所様を気にするぐらいなら最初から迷惑かけんじゃねえよ」

「人を思うからこその自分勝手があるんですよ」


 ゴブリンの覇勇者ディンゴは、ゴブリンとしては年配の域に達しているのだろう。

 くたびれた容貌をしているが、いまだ四肢には力が漲っており、仮にエイジと正面からぶつかり合ったとしてどんな結果になるか想像つきがたかった。


 かつてのドレスキファのような、なんちゃって覇勇者とは明らかに違う。


「僕のことはともかくディンゴ殿。また毎度お馴染みの問題に悩まされているようですね」

「応よ。エルフの皆さんは相変わらず扱いに困らあ。テメエだけがいつだって正しいと信じて曲げねえ連中ほど始末の悪いもんはねえぜ」


 その言葉に、ついにレシュティアが反応し、威圧を跳ね除けてまくしたてた。


「聞き捨てなりませんわ!」

「おお、ここにもエルフさんがいたかい?」

「わたくしたちエルフは自然を守り育む神聖なる種族! アナタたちのような自然を壊す邪悪な種族! それは紛れもない事実ですわ!!」

「厳しいこと言うお嬢さんだ。邪悪なオレッちらは報いを受けて滅べ、とでもいうつもりかい?」

「いえ、そこまでは……」

「ご指摘いただかなくても。自分らが自然に生かされてることなんざ重々承知之助よ。なんせオレらは、土から実るものを食ってかなきゃ生きていけねえんだ」


 みずからの手で農作物を育てるゴブリン族ほど、その実感を持ち合わせる種族はなかろう。


「エルフ族は基本的に長寿で数が少ない。だから森の木々がこぼす種や山菜だけで充分に生きていける。しかしオレらゴブリンはまた違った造りでねえ」


 ゴブリン族は人類種一の多産短命の種族である。

 目まぐるしい世代交代によって種そのものを生き永らえさせる。そういう繁栄方法を選択してきた種族である。


「そんなオレたちを養うには、自然様のほどこしだけじゃ足りねえのさ。みずからが自然を整え、自然の恵みを生産して行かなきゃならねえ」


 それがゴブリン族の行う農作業である。


「そんなの不遜ですわ! 人は、自然が与えてくれる恵みだけで満足すべきです! それ以上を求めるのは貪欲ですわ!!」

「それで、お恵みに与れなかったヤツは潔く飢えて死ねってのかい? それも自然の意思だと?」

「うッ……?」

「ある意味じゃそれも正しい。何より『死』はもっとも厳正な摂理だ。だがだからこそ人も必死になって生きられる。時には他者の命を奪ってまで生きようとすることも大局的には許される」

「そんな暴力的な……ッ!?」


 なおも食い下がろうとするレシュティアの肩を、エイジが掴んだ。


「やめときな」

「エイジ様」

「ディンゴ殿は、ゴブリン族の覇勇者として数え切れない矛盾を乗り越えてきた。そんな人に論戦を挑むには、キミじゃまだまだ場数が足りない」


 勇み出たレシュティアを下がらせ、再びエイジが前に出る。


「さてディンゴ殿。このレシュティアの話ではエルフたちの植林地にゴブリンが侵入し、勝手に農地化したという。その点についてアナタ方サイドの言い分も聞いておきたいな、と」

「おいおい、本当にグランゼルドの旦那の真似事する気かい? 覇勇者になるのはゴメン被るんじゃなかったのかい?」

「聖剣院の傀儡になるのがゴメン被るだけです。覇勇者なんて厳かな呼び名で、利権の亡者どもに顎で使われるなんてお断りなだけですよ」

「言いわけにもなってねえ。あのグランゼルドの旦那が、権力者に使われてるように見えるのかよ?」


 まあいい、とディンゴは言葉を切る。


「エルフ側からの非難だが、もちろんこっち側からも言い分はある。この辺は休耕地でね」

「ほう」

「農地っていうのは、使い続けると作物に養分を吸われてカラッカラになっちまう。そんな土地だと作物も育てねえから定期的に休ませて、土に命を戻してやるのさ」


 無論ただ放っておくだけでなく、籾殻を撒いたり灰を撒いたりなどして栄養を与え、率先して土に栄養を取り戻させていくのだという。


「……で、そろそろ農地に再起用できそうだって訪れてみたら、何故かそこら中に木が植えてあった」

「何故かじゃ全然ないですよね?」


 エイジの視線が、レシュティアの方を向く。


「わ、わたくしは知りませんわ! わたくし、ゴブリンとの小競り合いが起きたと報せを受けてから駆けつけてきたクチですし。発端はなんとも……!」

「だったら、最初の方を知っているエルフからもっと詳しく聞いた方がいいと思う。血を流さなければ理のある方の勝ちだよ」

「…………」

「すまんが、これまでセルンと仲良くしてくれたキミでも私情は挟めない。あくまで公平を貫くのが調停者の役目だ」


 レシュティアには一度エルフの陣営に戻り、しっかり事情を把握してから再び訪れることを進めた。

 念のためにセルンを伴わせて、レシュティアは自分の陣営に引き返していった。


「本当に調停役を務めるつもりかい? 物好きだぜ?」


 その場に止まるディンゴは、エイジに対して懐疑的な口調を投げかけるのが常だった。


「物好きですかねえ? グランゼルド殿がよくしていたことだ。僕もやってみたいと常々思ってたんですよ」

「旦那の真似なんて軽々しくするもんじゃねえよ。人間族にとって、ゴブリンの作る農作物は大事な商品の一つだ。その時点で人間族とゴブリン族の利害は密接に共有されている」


 そんな人間族は、あらゆる場面でゴブリン族の味方と取られてしまうだろう。


「そんな中でグランゼルドの旦那が幾度となく調停役を務め上げてきたのは。いかなる時にもどちらにも肩入れしない公正さがあるゆえだ。その公正さはあの人の性格から出たもんだ。剣そのものを思わせるあの人の性格ゆえのな」

「僕には出せないと?」

「少なくともテメエにはそうした実績がねえんでな」


 天剣を極めたエイジになお、鋭い疑念を突き付けることのできる心胆。

 それこそ同じ覇勇者の称号を持つ者にしかできないことだろう。


「……だからこそ、ですよ」

「ほう」

「僕はグランゼルド殿を尊敬している。あの人のできることに何でもチャレンジしておきたいんです。あの人は剣の大人であるだけでなく、こうした俗人同士のイザコザの中でも人物を発揮する」

「俗人、ねえ……」

「あの人に近づける修行の機会が目の前にあるんだ。飛び込まなければ剣人と言えますまい」

「エルフとゴブリンで戦争するかの瀬戸際が、修行の場かい?」


 ディンゴの赤い目が、一瞬大きく見開かれたように見えたが、それをしっかり確認する暇もなく笑顔に細められた。


「ハッハッハッ!! その身勝手さ! 剣人というよりは剣鬼だな!!」

「剣の鬼ですか」

「剣の道を究めるためなら神だって斬れる輩さ。グランゼルドの旦那はそういうお人じゃない。テメエとは違う」

「あの人の真似をするだけ無駄だと?」

「テメエにはテメエの道があるってことさ。しかもテメエは生粋の我道を行くタチらしい。他人様の道をなぞるなんぞテメエらしくねえこった」

「余計な口出しをするな、ということですか?」

「どちらにしろ刃傷沙汰を避けるには調停役は絶対いる。毎度グランゼルドの旦那に頼るのも悪いしよ」


 ディンゴは自嘲気味に言った。


「弱り目のオレッちは、テメエに何とかしてもらうしかねえわけだ」

「弱みを隠そうともしませんね。覇勇者の座まで登り詰めた人が」

「自然の前に強がりなんぞ何の意味もねえ。ゴブリン族なら皆知っている」


 エイジは正式に、エルフとゴブリンの諍いを調停する役目を得た。

 果たして彼のお手並みは。

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