219 黄金の主
「は……?」
最初ドレスキファは、自分がおかしくなったのかと思った。
周囲に誰もいない、しかもそこかしこにマグマが満ち溢れる地獄のような場所で、何者かの声が聞こえてくるのだから。
『アナタにできることはまだあるわ。だからお願い諦めないで』
近くにいるエイジの声でもなく、ウォルカヌスの声でもなかった。
声質も喋り方も女性のもの。
戦いを見守っているセルンやギャリコは、とても声の届くような距離ではない。
仮に届くとしても、そのためには喉を張り上げ大声を出さねばならない。
しかし今ドレスキファの鼓膜を撫でる声は、とても大声と呼べるような激しい響きではなく、囁くような優しいものだった。
「誰だ!? 誰かいるのか!? 何処で喋ってやがる!?」
周囲を見回しても誰もいない。
エイジは既に居合いのかまえのままウォルカヌスへ突撃し、周囲を飛び跳ね翻弄しながら新技を放つ機会を窺っていた。
よってドレスキファの混乱に気づくことはできなかった。
『落ち着きなさい我が子よ。ワタシはアナタのすぐ傍にいるわよ』
「傍……?」
『アナタが手に持っているじゃない』
ドレスキファが手に持っているもの。
それは黄金色に輝く覇聖鎚だった。
「まさか……!?」
『今、この戦いに決着をつける鍵はアナタだわ。お願い。奮い立ちなさい。そしていわれない封印に囚われ苦しむあの方を救ってあげて』
「いや、なんだよ!?」
しかしドレスキファは混乱するばかりだった。
「覇聖鎚が喋ってんの!? いや、なんで!? ハンマーが喋るのかよ!? たしかに特別なものだけど、特別だからって喋る!?」
『んもう、今は些細なことにいちいち驚いている場合じゃないでしょう』
「些細だろうか!?」
『そんなんだから小物感がいまいち抜けきらないのよ』
「小物言うな!!」
覇聖鎚の声を聞く。
覇勇者になって以来、覇聖鎚を手にしながらしかしこんなことは生まれて初めてのドレスキファ。
「わかった……! わかったよ……! なんで覇聖鎚が喋れるかは今、置いとこう。何とか頑張って……!?」
飲めないものも飲み込まなければ前に進めない。
「それで、お前はオレに何を伝えようって言うんだ? なんか言いたいことがあるから今まで今までだんまりなのに喋り出したんだろう?」
『ワタシの声を聞けるようになったのは、アナタが成長したことも一因なのよ。心が成長し、一歩先に進めたのね』
「ぬ?」
『覇勇者となった段階でワタシとシンクロできるほどに完成した者は少ない。アナタもそうだった。しかしあのアテナの眷族と出会い、自分を見つめ直すことで、私と深い段階で結び合える心をアナタは持ったのよ』
「よくわからんが……、それっていいことなのか?」
『ええ、とても。おかげで勝ち目が現れたわ。アナタが彼の役に立つ方法も』
「あいッ!?」
『アナタがそれを望んだから、ワタシの声を聞けるようになったのでしょう。ワタシたちは同じ方向を向いている。ワタシたちそれぞれの愛する方々を救い出すのよ!』
* * *
『どうした? 攻めあぐねておるではないか?』
魔剣キリムスビを納刀したまま、エイジはウォルカヌスの攻撃を回避してばかりだった。
必殺のタイミングが見出せない。
ウォルカヌスが強力であることもさることながら、まだ彼の心に鞘を失うことへの迷いが払しょくできなかった。
できることなら失いたくないという気持ちが、心の隅に残っている。
ギャリコがエイジのために、技術と心を込めて作り上げたもの。
それを壊して罪悪感がまったくないと言えばウソになる。
これまでも散々ギャリコ手製の魔剣を格上の覇王級モンスターに叩きつけて壊してきたエイジだが、それでも壊すつもりで壊したことは一度もないつもりであった。
さらに、この鞘の制作にはギャリコだけでなくセルンにまで恥ずかしい思いをさせている。
そんな気持ちがこもった鞘を、壊れるとわかっていながらあえて壊すことができるのか。
そうした迷いを抱えたままでは『一剣倚天』から通じる新奥義も成功しないので、完全に迷いを払しょくするためにも時間がかかる。
その時間で、マグマもどんどんエイジの足元に忍び寄ってくる。
『八方手詰まりのようじゃのう? どうする? ここでやめておくならワレはかまわぬが……』
「一度抜いた剣を、血塗られることなく収めると?」
エイジは、中途半端をできるように育っていなかった。
「一度始めた勝負は決着がつくまで終わらないものだ。でなければ始めてくれたアンタにも失礼というものだろう」
『強情な……。そんなお前だからこそ、そこまで登り詰めたということであろうが』
ウォルカヌスは、最強者としての威厳を隠すこともなかった。
触れるだけですべてを焼き尽くすマグマ。神としての万能性。
そうした最強存在がただの殺し合いではなく敬意をもって挑戦を受けてくれる。
だからこそエイジは、無様に引くことなどできなかった。
せめてすべての力を出し切るまでは。
『お前はこれまでも、強情を貫くことで新たな一歩を踏んできたのだろう。よかろう。人の子が神の領域まで踏み込むために、一切容赦はせんぞ!!』
マグマがかつてない勢いで波打ち、泡立つ。
魔剣を鞘に収めたままでは『水破斬』でフレキシブルに斬り分けることもできない。
長く凌ぎ切ることは不可能だった。
「エイジ!」
そんなエイジの背後から、勇み立つ声。
振り返るとそこに、覇聖鎚を携えたドレスキファがいるではないか。
「まだ下がってなかったのか!? いいからここは僕に任せて引け!」
「いいから黙って聞け! あるぞ! 鞘を壊さないままバケモノを倒す方法がある!」
「!?」
マグマでと化された鎧を脱ぎ、半裸状態のドレスキファは女性のプロポーションが剥き出し。
ハンマースキルを使うがゆえにパワー型で総身も太く、鎧をまとえば男と見分けがつかない彼女。
なのにインナー越しにハッキリわかる乳房や尻のラインも気にせず、息せき切って駆けてくる彼女の姿には女神のような色香があった。
「妙案か?」
「ああ、オレの発案じゃないがな」
「?」
では一体誰が思いついたというのか。
ドレスキファが一度ギャリコたちのところに戻って作戦会議した様子もない。
「オレが鞘になる」
「!?」
「オレが、今持ってるそれの代わりになるって言ってるんだよ! そうすれば鞘を壊さず新技使えて、あのバケモノも倒せて万々歳だろうが!」
「お前何言ってるの!?」
人類種は、鞘の代わりにはならない。
さすがに暑さで頭がおかしくなったかと心配するエイジだった。
「やっぱりそういう顔するかよ。わかってるよオレだって。おかしいこと言ってんだろうなあって! でも仕方ねえだろ! ヤツがそうしろって言うんだから!」
「ヤツって誰!?」
「覇聖鎚だよ!!」
いよいよおかしくなったかと戦慄するエイジだったが、しかしドレスキファの瞳に宿る光は静謐だった。
以前の驕りに塗れた彼女とは別人のようだった。
「仕方ねえから見せてやる。覇勇者蹴ったお前が見ることのできなかった領域をよ!」
「?」
「そうすれば納得するだろうぜ! オレの言ってることがすべて理に適っていたとな!!」
ドレスキファの手にする覇聖鎚から黄金の光が迸る。
その光が、覇聖鎚の柄を握る手からドレスキファの体へ移っていく。





