187 鮮血の赤
赤の聖剣スラーシャ。
聖剣院には青白赤黒の四色に染められた四振りの聖剣があり、その聖剣を賜る四勇者たちがいる。
青の聖剣セルン。
白の聖剣フュネス。
赤の聖剣スラーシャ。
黒の聖剣モルギア。
それぞれ独特のソードスキルを究め、一癖も二癖もある曲者揃い。
そんな中でも赤の聖剣を賜ったスラーシャの性状は、一際エグい。エイジも顔をしかめるほどである。
* * *
「痛ぇ~……ッ!? 斬られた……! 痛ぇ……!!」
一瞬前まで得意満面に強がっていたドワーフ傭兵は、今では背中を斬られて痛みにのたうち回っていた。
彼自身の体によってエイジの視界に死角ができ、スラーシャへの察知を遅らせてしまったのだが。
あるいはそれもスラーシャ自身の計算によるものか。
「お久しゅうございますエイジ様」
たった今人を斬ったとは思えない落ち着きで、スラーシャは恭しく頭を下げた。
彼女が斬ったのはモンスターではない。れっきとした人類種。
それを手にかけては恐怖なり罪悪感なりで手ぐらい震えてもおかしくないようなところを、スラーシャは瞬きの数すら増えていない。
本当に、心底から、人を斬ることぐらいなんでもないと考えているのだ。
「人間族最強の覇勇者のお目に掛かれて、この赤の勇者スラーシャ、恍惚の極みにございます。せっかく運命的再会を果たしたのです。このまま私と共に聖剣院へ戻り、覇聖剣受領の儀を執り行いませんか?」
「近寄るな、吐き気がする」
聖鎚院の大会参加受付会場は、一気に静まり返り、鼓膜が痛くなるような緊張的静寂に包まれていた。
いきなり人が斬られ、その犯人と何者かが睨み合っているのである。
そこに集うは歴戦の猛者ばかりだったが、だからこそ迂闊に動いて修羅場が始めることを予測し、迂闊に動けない。
「お前ほど聖剣を軽々しく使う女はいないなスラーシャ。モンスターから人々を守る聖なる武器を、人殺しの凶器に貶めるなど、どれほどの不遜を極めればできる?」
「私は、人間族の誇りを守ったのです。そこの下等生物は、エイジ様に馴れ馴れしく絡み、挙句エイジ様を倒すとまでほざきました。これを黙って見過ごしては、それこそ人間族のためになりません」
「放言ぐらい笑って聞き流せんのか」
エイジは、もはや会話も無駄とばかりにスラーシャから目を背けると、床でのたうち回る傭兵ドワーフへしゃがみ込んだ。
「痛ぇ! 痛ぇよ! ……死んじまうよ!!」
「動くな傷が広がる……! 最強ドワーフだったらこれぐらいジッと耐えろ!」
背中の傷を診るエイジを、スラーシャが冷たい瞳で見下ろしていた。
「……傷はそれほど深くない。殺すつもりで斬れば殺気が漏れて、僕に気づかれると判断したか。小賢しい女だ」
「もうおしまいだあああ……! 背中の筋肉が断たれちまったら、もうハンマーが振るえねえよおおお……!」
「男が泣きわめくな気持ち悪い! ……医者! 医者はまだか!?」
エイジが応急処置を続けながら挙げる叫びに、ようやく周囲も時間の流れを思い出したように動き出す。
「そうだ医者! 誰か医者を呼んでくれ!!」
「薬はないか!? 酒でもいい消毒するんだ!」
「開けろ! 道を開けろおおお!!」
受付会場は大騒ぎ。
やっと怪我人を医者に任せ、エイジは再びスラーシャに向かい合う。
「で、何故いる?」
「どういう意味でございましょう?」
「人間族の勇者であるお前が、何故ドワーフの都にいるかってことだ。お前はフュネス同様、聖剣院に忠実な勇者だ。理由もなく聖剣院本部から出てくるはずがない」
聖剣院からの指令がなければ、人間族の町村がモンスターに襲われたとしても本部から動かない。
それがフュネスやスラーシャ、『忠誠派』の勇者。
「無論、私が動く時は聖剣院からの聖なる任務を帯びてのこと。聖剣院長は私にお命じになりました……」
ドワーフが企てる邪悪な催しを潰して来い。
「……と」
それは魔武具試用武闘大会を指しているに違いなかった。
武闘大会の告知は世界中に喧伝され、竜人族のライガーやエルフ族のレシュティアまで噂を聞きつけやってきた。
人間族の勢力圏内にある聖剣院にだけ伝わっていないということはありえない。
「だって不遜極まりないじゃないですか。モンスターを倒す力は、聖剣だけが持つ神聖不可侵もの。それを冒す魔武具なる冒涜物。一つ残らず滅し去ることこそ勇者の務めではないですか」
だからスラーシャはここに来た。
「そして下等生物どもの喧伝によればエイジ様がここにおられるということも聞き及びましたので。聖剣院からの正式な下知も得ております。さあ、このような掃き溜めから去って我らの聖域、聖剣院本部へと戻りましょう」
何処までも勝手な物言いのスラーシャだった。
場は、彼女一人への憎悪でいっぱいとなり今にも決壊しそうであったが、実際にはそうならない。
やはり聖剣を携える勇者が怖い。
モンスターすら斬り裂いてしまう聖剣に、ただの人類種がどう対抗しようというのか。
武闘大会に勇んで出場しようとした傭兵力自慢たちも、腰が引けて前へ出ることができなかった。
これが聖なる武器を巡る現実だった。
そこへ。
「お待ちください」
前に出て、スラーシャと真正面から対峙する乙女がいた。
「お前は……、セルン……!?」
「お久しぶりですスラーシャ殿。無沙汰の隔ててこのような物言いをするのは恐縮ですが、スラーシャ殿はすべてを間違えています」
ピキリ。
スラーシャの額から青筋の浮き上がる音が鳴る。
「魔武具は、邪悪なものでも不遜なものでもありません。モンスターに苛まれる人類種を助ける。新たな光明となりえる武器です。私はそう信じています」
「何を……ッ!」
「エイジ様はそのために覇勇者の位を投げ打ち、人類種の新しい希望を追い求めてきたのです。それを貶めることは同じ勇者と言えども許しません。当然邪魔することも」
エイジとギャリコが、魔剣創造を追い求めてきた探求を、もっとも近くで見守ってきたのがセルンだった。
だからこそ彼女は振るい立った。
もはや彼女に、同じ聖剣院の勇者が相手でも対決を躊躇うことなどない。
「……ッ!」
面食らって言葉を失っていたスラーシャだったが。
「……フッ、フフフフフ!」
冷静さを取り戻すと俄かに笑いだした。
「……セルンか。しばらく見ていないから存在も忘れていたけど。まさかエイジ様と一緒にいたとは。ならば彼を連れ戻しもせず、一体何を遊んでいるの?」
「私は、エイジ様の目指すものが人類種のためになると確信しました。ならば全力でエイジ様にご助成するのみ。それは勇者の務めだと考えています」
「はッ」
スラーシャは鼻で笑い出した。
「お前が勇者? 自惚れも大概になさい。お前ごときが勇者を名乗る資格などないわ」
「どういう意味です?」
「言葉通りの意味よ。実力以外の理由で勇者になった卑怯者」
「ッ!?」
その言葉にセルンの体が硬直した。
「私がお前を勇者などと認めたことは一瞬たりともないわ。所詮お前の抜擢は七光りによるもの。そうでなければ『一刀両断』しか使えない落ちこぼれが勇者などになれるものですか!」
スラーシャは、実体化させたままの赤の聖剣をセルンの鼻先に突きつける。
「私はお前を勇者だなどと認めない。青の聖剣はお前なんかに相応しくないわ。わかったらそこを時なさい勇者モドキ。私はエイジ様と二人きりで勇者同士の話をするのよ」
「だったら……!」
さらに一人の勇者が進み出る。
「オイラもその勇者の話に混ぜてくれや。この竜人族の青の勇者ライガー様もな」
「何ッ!? 竜人族!?」
スラーシャが驚く暇も与えず。
「わたくしも参加させていただきます。エルフ族の青の勇者レシュティアも」
「コイツも青の勇者!? 一体何なの……!?」
青の勇者は二人揃って、青の勇者を支える。
「そしてここにいるセルンも当然青の勇者だ。少なくともオイラはそう認めてるぜ。なあレシュティア」
「もちろんですわ。アナタが認めないのは勝手ですが。セルンさんが青の聖剣を持つのは聖剣院が認めてのこと。それに異論することこそ聖剣院への反逆ではなくて?」
聖剣院に忠実なスラーシャにとってこの皮肉は効果抜群。
「何よりセルンさんの実力は充分勇者の名に恥じぬものですわ。何しろ彼女は勇者の剣で覇王級モンスターを討ち取ったのですから」
「オイラもレシュティアも、セルンの腕前には惚れ込んでるんだ。それでもまだコイツに難癖付けるんなら。そのケンカ、オイラたちが買ってもいいんだぜ?」
三種族三人の勇者と対立してはそれこそ分が悪いとスラーシャは怯んだ。
その時だった。
スラーシャの突きつけていた赤の聖剣が、切っ先三寸のところからポキリと折れた。
「えッ!?」
「モンスターのいないところで聖剣は必要ない」
魔剣キリムスビを仮作りの鞘から抜いてエイジは言った。
究極の剣勇者が究極の魔剣をもってすれば、聖剣ごとき折るのは容易い。
「聖剣が! 私の聖剣が……!?」
「放っておけば修復する聖剣が折れたぐらいでガタガタ騒ぐな。スラーシャ。お前の行いは充分に勇者失格だ。お前自身に勇者の資格がないのにこれ以上セルンの資格をガタガタ言うなら、この僕がお前の値打ちを示してやるぞ」





