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177 低きから高きに

 新しいモルギアは、自分の本当の名すら知らない。


 自分の生まれ故郷が消え去ったあの日に、自分の中身も大半零れ落ちて失った。


 あとに残ったのは、この災厄の原因を作った者への憎悪。


 多くの記憶が恐怖と苦痛に磨り潰されながら、なお残った記憶の断片があった。


 村の大人たちが必死に引き止めようとするのに、ソイツはうんざりしたような口調で言った。


『心配しすぎですよ。モンスターが現れたからと言って、必ず襲ってくるわけではありません』と。


 しかし村は、モンスターによって滅ぼされた。

 果たすべき義務を果たさなかった。憎むには充分な理由だった。


 しかしそれでも、恨みを晴らすつもりで男の背を追っていったその先で、村を襲ったアイツよりさらに強くて恐ろしい怪物たちと死闘を演じる男の姿を見た。


 自分のすべてを壊した凶獣が、いつしかザコとしか思えなくなってしまった。


 そして何より、あの人自身が自分の過ちを悔いすぎるほどに悔いていた。


 一人で背負うにはあまりにも大きすぎる役割を背負い、人ならば必ず犯す過ちに誰より悔いて、その悔いまで背負って進む男。


 いつしか、そんなあの人を助けたいと思うようになっていった。

 自分があの人を助けて背負う荷物を分け合えば、過ちが繰り返されることもないと。


 なのに。


 その思いが新たな過ちを引き起こし、そのせいであの人は死んだ。


 あの人を助けるという望みは永遠に叶わなくなった。

 だからこそ。

 せめて自分があの人の代わりとなって、あの人の果たすはずだった役目を自分が果たさなければ。


 あの人と出会った意味がない。


              *    *    *


 戦況は最悪だった。


 キマイラは既にモルギアの手の内を見透かしている。

 起死回生『方円随器』を放つパターンに乗ってこない以上、他に勝利の手立てはない。


 このままジワジワと嬲り殺しにされる以外、モルギアの未来はなかった。


 しかしそれでも。

 唯一の勝機を阻まれたとしても、それで諦めるのは勇者モルギアの名が許さない。


 モルギアが背負うのは、ただの勇者の名ではない。


 かつてもっとも憎悪し、もっとも尊敬したあの人から受け継いだ勇者の称号、モルギアの名。


 その名に恥じる行いだけは絶対にしてはいけない。


『勇者は、モンスターから人々を守る』のが務め。


 その務めを放棄して、どうしてモルギアは勇者モルギアでいられようか。


「かああああああああああッ!?」


 モルギアが放つ一閃。

 それは右手の聖剣からではなかった、左手の盾からだった。

 モルギアの左手を覆う山羊髑髏の盾。山羊の頭蓋骨は、先端が尖った特徴的な構造をしている。

 勢いよく突き出せば刺さるほどに。


 その特性を活かし、まさにモルギアは盾を攻撃の手段として使い、とがった先端をキマイラの体に突き刺した。


『ギャオオオオオオオオオッッ!?』


 しかも穿ったのは、キマイラの残る二つの頭の一、獅子の頭の眼球だった。

 まったく予想しなかったのだろう、この不意打ちにキマイラは、大きく驚き大きく痛がる。


「じ、自分の体の一部で、さらに傷つけられる気分はどう、だ……?」


 目というもっともデリケートな部分とは言え、モンスターに傷を負わせたのは魔盾ゆえのことだろう。


 しかし、攻撃によってモルギアにも一瞬の隙が生まれた。

 その隙を見逃す狡猾獣ではない。


 頭を打てば尾が襲い、尾を打てば頭が襲う。


 そんなどこかの格言をなぞるかのように、キマイラのもう一つの頭、蛇が大口開けて襲ってくる。

 まだ盾の先端が突き刺さったままのモルギアは、それを引き抜き逃げる暇もない。

 蛇の牙に宿る猛毒で、一挙に勝負を決めてしまう勢い。


「か、かかったな……!」


 モルギアに残る手段は一つだけ。

 自由に動く右手、それに握られた聖剣で蛇の牙を受け止める。


「あ、あの人は言った……! 『方円随器』の極意は水。水のように自由に流れ、自由に形を変える。そ、そうなって初めて『方円随器』は真に完成するのだと……!」


 左手で攻撃を受けて、右手で返す。

 そんな決まりきった流れに凝り固まって、『方円随器』は、真の秘奥義と言えるのか。


「み、水は高きから低きに流れていくもの……!」


 ならば低きから高きに逆流することは絶対ないのか。


 真に自由な水ならば。

 低きから高きに流れていくことだってあるはず。


「ソードスキル『方円随器』!!」


 数あるソードスキルの中でも、もう一つの究極と讃えられる秘奥義がさく裂した。


 その技によって、キマイラの頭が粉々に吹き飛んだ。

 残った二つの頭の一つ、獅子の頭が。


 蛇の頭からの攻撃を、右手の聖剣で受け、左手の魔盾に伝えて、獅子の目に突き刺さったまま解き放ったのである。


『方円随器』は左手で受けて右手で返すもの。

 その先入観を逆手にとって、まったく逆の流れを創造することにより、見事格上の裏をかいた。


 ソードスキル『方円随器』は、敵の攻撃を一部も漏らさずモルギアの体内に流し通し、元の主へ炸裂させた。


 木っ端微塵となった獅子の頭が、千の肉片となって周囲に散る。


「か、勝った……!」


 長き辺境での戦いで準備していた奇策が、ものの見事に功を奏した。

 キマイラが『方円随器』を警戒して引け腰となった場合の、命を懸けた大芝居。


 モンスターを傷つけられるのは聖剣しかないというのに、その聖剣で攻撃を受け取るなど予想できようか。


 無論その代償として、攻撃役に回す左手でキマイラを倒せる保証はどこにもない。

 そこは先代のモルギアのように、左腕が完全に破壊されたとしてもキマイラに手傷を負わせるつもりだった。自爆覚悟の決死行だった。


 それを無傷で完遂できたのは、偶然の奇跡で手に入れた山羊髑髏の盾あってこそ。

 覇王級モンスターの体を素材に使い、恐らく聖剣級の強度を持った魔盾だからこそ、同じ覇王級の体を破壊する決め手になった。

 左手を失う覚悟をしたモルギアの左手を救ったのは、先代が遺した成果の証拠だった。


 先代モルギアの生きていた頃にこの盾があれば……。


 勝利の喜びより先に、そんな妄想がモルギアの胸をよぎった。


『シャア、シャアアアアアアア……ッ!!』


 しかし勝利はまだモルギアの手にはなかった。


 頭部を粉々にされたキマイラの体が、それでもなお立ち上がって来たのだ。


「そ、そうか……! へ、蛇の頭……!!」


 尾の代わりに後部から生えた蛇が、怒りの感情たっぷりに喉を鳴らす。


 三つの頭を持つと言えどもベースの体は獅子のもの。

 山羊と蛇の頭はそこから不自然に生え出たもので、獅子の頭こそ中心でありそれさえ潰せばすべてが死ぬ。

 ……と思っていたが違うらしい。


「や、やはりすべての頭に主の権限が……!」


 山羊に続き獅子の頭まで失い、首なしとなった獅子の体を蛇の尾が操っている。


 モルギアも新たなラウンドにつき合おうとしたが、足が震えて膝をついた。


「……ッ!?」


 どうやら奇策であった逆流『方円随器』は、想像以上にモルギアの体に負担を与えたらしい。

 傷こそないものの、体中が悲鳴を上げて軋む。


 こんなコンディションで、再び必殺の一瞬を読み取って『方円随器』を放つことができるのか。


 しかも最後に残った頭はよりにもよって狡猾を司る蛇。

 一度は虚を突いた逆流『方円随器』も、見せてしまったからには警戒される。


「そ、それでも……!」


 モルギアは立ち上がる。

 先代からのやりかけの仕事を務め上げる、これが大詰め。


 ここで止まる選択肢など最初からない。


「その通りだ」


 一人と一凶のみのはずであった決戦場に、もう一つの声が上がった。


「黒の勇者の意地、先代モルギア殿が遺し伝えた成果、しかと見届けさせてもらった。ゆえにここからは僕も参戦させてもらう」


 既に魔剣キリムスビを抜き放った……。


「あの日、与えられた任務を果たせなかった無能勇者のエイジがな」

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