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176 卑劣なり

 戦いが始まった。

 先に仕掛けてきたのはキマイラからだった。


 巨木も薙ぎ倒しそうなほどの爪撃がモルギアを襲うが、難なく捌いてかわす。


「あの盾……! 思った以上にいい働きをするな……!?」


 はるか遠くから見守るエイジが、その巧みさに唸った。


 山羊髑髏の盾は、先代モルギアがキマイラから斬り落とした山羊の頭部を素材に、ギャリコが加工を施して、今、二代目モルギアの左腕に装備されている。


「山羊の頭蓋骨は、人類種のそれよりも縦に細長い。それに頭蓋骨ゆえ目玉や脳といった器官を収めるために複雑な構造をしているから、それが脆さに繋がって盾としては不利じゃないかと気が揉んでいたんだが……!」


 エイジの心配通り、縦に長い山羊髑髏は、腕に装着すると盾というよりはガントレットに近く、防御範囲の広さに不安がある。

 しかしモルギアは、持ち前の技術で小さな盾を巧みに使い、敵の攻撃を的確に捌く。

 盾の中にはバックラーといって、持ち回りを重視するためにあえて小型に作られたタイプもあるが、山羊髑髏の盾は、そのバックラーの機能を充分に果たしていた。


 大きすぎず重すぎず、蝶のように舞うモルギアの軽快な動きを阻害しない。

 髑髏特有の複雑な構造を逆手に取り、敵の攻撃を引っ掛けて絡め取り、攻撃の隙を作る。

 山羊の頭蓋骨特有の尖った先端で、時おり攻撃を仕掛けるぐらいだった。


「何より、やはり元が覇王級の素材だけあって強度が充分だな。キマイラからの攻撃をシャットアウトしている」

「ギャリコの仕事はまたしても完璧だったというわけですね!」


 並んで見守るセルンも興奮気味だった。

 さらにその後ろで「そんな褒めないでよー」と照れるギャリコもいた。


「それほど優れたものなら私たちも作ってもらったらどうでしょう? 防御手段があれば戦いの安定性は増します!」

「それはどうかな?」


 エイジが、用心深く言った。


「ソードスキルの中には両手持ちじゃなければ効果を発揮できないものもある。セルン、キミの十八番『一刀両断』はその代表みたいなものだ」

「う……」

「そういうのを使う時、左右のバランスを損なう盾は邪魔になるはずだ。モルギアの場合、その奥義たる『方円随器』が特性上片手持ちで使うのを前提としているし、他のレパートリーもそれに合わせて統一してある」

「片手に盾を持たせるに都合がいいスタイルだと?」

「スタイルは大事にしていかないとね。……何よりあの盾は、『方円随器』をリスクなしで使えるようにすることが究極的な目的。それを果たせるかどうか……!?」


 既にモルギアは、エイジ、セルン、サンニガなどとみっちり予行練習を積んで、山羊髑髏の盾を介した『方円随器』の感覚をしっかりと掴んでいる。

 あとはこの本番で、訓練の成果を発揮するのみ。


 しかし何故だろう。


 モルギアは、迫りくる攻撃を回避したり、盾でいなすばかりで一向に反撃の気配を見せない。


 決闘場となった小高い山頂は、お世辞にも充分な広さがあるわけではなく、小兵のモルギアが逃げ回るには不利な環境だった。


「必殺の瞬間を狙ってるんだろう?」

「必殺の……、瞬間?」

「ソードスキル『方円随器』は、敵からの攻撃をそのまま送り返す反撃技。だからこそ受ける攻撃の威力がそのまま必殺に結びつく」

「そうか……!?」


 セルンはすぐさま納得の風を表した。


『方円随器』は、敵が必殺の一撃を繰り出して初めて必殺になるもので、力を小出しにした――、ジャブ程度の攻撃を受け取って返しても、その程度の威力にしかならない。


 まして相手は、勇者から見て格上の覇王級。

 それを仕留めるには、全力をそのまま返す以外にない。


「モルギアは攻防の中から、必殺のタイミングを探り出している最中なんだ。攻撃をかわしながら相手をイラつかせ、不用意な全力攻撃を引き出そうとしている」


 それが黒の勇者モルギアの必殺パターン。


 人類種を、殺されるだけの弱者としか見ていないモンスターは、それを一瞬で殺せないだけでイラつき怒り、用心を忘れてしまう。

 そんな傲慢なモンスターこそモルギアにとって格好の獲物。


「だが……!」


 そろそろエイジも怪しみ出した。

 パターンから言えば、モンスター側はそろそろ痺れを切らしていいはずなのに、戦局が一向に動かない。


 キマイラが冷静さをかなぐり捨てる兆候はまったくない。

 むしろ剣と爪を合わせれば合わせるほど慎重さが増して、腰の引いた攻撃しか繰り出してこない。


「……まさか」


 エイジは恐ろしい推測に行き当たった。


「アイツは、既に『方円随器』を食らっている。先代モルギア殿に首を一つ斬り落とされて、充分痛い目に合っている」


 それこそ二度と忘れられないような目に。

 ましてヤツは、つい先日にも爪と剣を交わし、新たなモルギアも『方円随器』を使ってくることを確認している。


「加えてアイツ自身、用心深さは全モンスターで一番などと言われる種類だ。その用心深さの元とされる蛇の頭もまだ健在……!」


 つまり。


「アイツは、モルギアが『方円随器』を狙っていることを予測している! そして最大限に警戒している……!?」


 そうでなければ、あそこまで腰の引けた攻勢を続ける意図がわからない。

 キマイラは、意味のない行動を意味のないまま続けるほど下等なモンスターではない。


「そんな!? では、このままだとどうなってしまうのです……!?」

「巨大モンスターと人間族のモルギア。……全力を発揮すれば先にスタミナが切れるのは間違いなくモルギアだ」


 キマイラは、それをもまさに狙って戦っている。

 獅子の獰猛さに蛇の狡猾さを備えたあの獣ならありえない話ではなかった。


 力をセーブして、相手の体力を削ることだけに専念し、精根尽きて動けなくなったところを一気に食らう。

 それだけの作戦立てができる厄介なモンスターだった。


「卑劣な……!!」


 覇王級モンスターは、地上最高の戦力を有し、自分以外の他に誰も敵のいない絶対者。

 その強者が、弱者の戦いに徹するというのか。

 獣ごときに期待するのが間違いかもしれないが、強者が強者のプライドを持たない生き汚さに、エイジは怒りで身を震わせた。


「こうなったらモルギアは、『方円随器』での決着を諦めるしかない……! 他のソードスキルで体勢を崩して……!」


 言いかけて、エイジは止った。

 勇者の技、聖剣で、覇王級に通用する手段が『方円随器』以外にあるだろうか。


 あくまで覇王級モンスターは覇勇者と同格なのであり、ただの勇者が真っ当に戦っても勝てないのが常識。


 この不利を覆すのは困難どころか不可能に思えた。


「エイジ様! 我らも加勢しましょう!!」


 辛抱しきれずセルンが叫んだ。


「相手がまともに勝負してくるつもりがない以上、モルギア殿の勝利はありえません!! あの方は聖剣院でも特に貴重な真なる勇者。ここで失うわけにはいかない!!」

「まだだ!」


 エイジは逸るセルンを押し留めた。


 モルギアなら。

 他の誰よりキマイラとの再戦を待ち焦がれたモルギアなら、この程度の窮地を予測していないはずがない。

 きっと対抗策を用意しているはずだ。


 そう思ったから。


 旧きモルギアと新しいモルギアに、目で見えないたしかな絆があったように。

 エイジもまた、同世代の勇者としてともに励んできたモルギアとの絆があった。


 同じ悲しみ、同じ苦しみ、同じ喜びを共有し合った二人には、たとえ場所は違えども同じ戦いを戦い抜いてきたという自負がある。


 その自負が、エイジに『信じろ』と呼びかけていた。

 お前の友を信じろと。


 そしてもう一人の剣士にも、友の信頼に応える用意がある。

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