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175 それぞれ臨む

 ギャリコが疲労回復して起き上がる頃、モルギアの稽古相手はエイジからセルン、サンニガへとシフトしていた。


「ああ、やっぱり途中で体力尽きたんだ」


 ギャリコの視界に、全身汗だくになってゼーゼー突っ伏しているエイジの姿が入った。

 どんな強豪モンスターと戦った直後でも、彼がこんな姿を晒したことはこれまで一度もなかった。


「だ、ダメだ……、オレも休憩……!!」


 サンニガもヘロヘロになって、モルギアの面前から離れる。


「ちょ! 待ちなさいサンニガ!! アナタと私でやっとモルギア殿の猛攻を防ぎ切れているのですよ!! この洪水のように激動、かつあらゆる隙間から漏れ入ってくる攻めは、まさしく水の……、うにゃああああああああッッ!?」


 単独では一瞬も耐えきれず、全身を滅多打ちにされてセルン倒れる。

 現在モルギアが使っているのはその辺で拾った木の枝なので、叩かれても痛いだけで済んでいるが。


「やっぱり頑固真面目のセルンじゃ、モルギアの流水の剣に対応しきれないか。彼の稽古につき合っているって言うのに、セルンの方が指導されてるじゃないか」


 セルンは新人として、ベテランの力量を見せつけられる結果になってしまった。


「も、申し訳ありませんエイジ様……!」

「もっと勉強しなさい」


 セルンを優しく励ますエイジ。


「すまんなモルギア。この二人にまだお前の練習相手は役不足だった。そろそろ息も整ってきたし、また僕がやろう」

「い、いい、しばらく型の確認するから。え、エイジはもう少し安いんでて」


 と言うと、黙々素振りを始めるのだった。


「す、凄まじいですね……! 稽古への直向きさに、エイジ様とはまた違った凄みがあります」

「彼が強くなろうとするのは、義務感からだからな。そりゃ焦燥感も伴うだろう」


 周囲の者すら圧倒するほどの。


「……セルン。彼の『方円随器』を受けてみてどうだった」

「は、はい……!!」


 この稽古の主目的は、新装備、山羊髑髏の盾を併用した『方円随器』の完成にある。

 なのでセルンも、木枝を使った練習とはいえ、その身に嫌と言うほど究極奥義を食らってきた。


「…………あの魔技をどう攻略するか? 結局私は糸口さえつかめませんでした。『方円随器』の理合は、私の想像より遥かに広く、深い」

「まさしく海のように」


 エイジが付け加える。


「『方円随器』を単純な返し技と思っているなら、その時点でソイツは死ぬ。『方円随器』は水の奥義であるがゆえに、千変万化。あらゆる状況、あらゆる攻撃に対応できる」

「あらゆる……!?」

「先代モルギア殿は、モンスターの吐く炎や、飛び道具の類も『方円随器』で返していたらしい。想像を超えるよ。一体どうしたらそんなものを刀身に乗せて返せるのか」

「エイジ様だったら、『方円随器』をどう破りますか?」

「『一剣倚天』しかない」


 エイジは究極ソードスキルの名を断言した。


「生と死を同時に斬滅する『一剣倚天』なら、『方円随器』の流水の理合もまとめて斬滅できるかもしれない。無論『一剣倚天』の天に倚る理合すら、『方円随器』は流し返してくるかもしれないが」

「突き詰めれば使い手の力量次第と?」

「そうだな。ただ現状なら僕が勝つだろう」


 自分が勝つとは言いつつも、エイジの口調に虚勢は一切匂わなかった。


「モルギアの『方円随器』はまだ完成していない。彼の過去への執着が、本来清流であるべき彼の剣に一点の濁りを残しているからだ。

「濁り……?」

「その濁りがある限り、彼はあの秘奥義を万に一つでしくじるだろう。そして世の中には、その万に一つを千に一つ、百に一つまで抉じ開ける使い手もいる」


 自分なら、十に一つまで迫れるだろうとエイジ自身は値踏みしていた。


「だからこそキマイラとの勝負は不安なんだ。勝負を邪魔するつもりはない。あれを乗り越えることこそ、懸念する一点の濁りを消し去る唯一の方法だからだ」

「はい……」

「それでも一か八かの賭けで失うには、モルギアはこの世界にとって貴重すぎる。絶対に彼を、あの死地から生きて返さなければならない」


 既にギャリコが、戦い行く彼に最良の贈り物をしてくれた。

 エイジもエイジで、最大限の配慮をしなければならない。

 そう心に誓っていた。


「…………」


 モルギアは黒の聖剣を振り回し、入念に型の確認を続けていた。


              *    *    *


 獅子の頭が司るのは、獰猛と傲慢。

 蛇の頭が司るのは、狡猾と冷酷。

 山羊の頭が司るのは、憶病と貪欲。


 それら三つのまったく異なる思考が折り重なることで、覇王級モンスター、キマイラは最強の一角に連なる。


 元々モンスターとして異常の戦闘力を持ちつつ三頭がそれぞれの感情を適所で発揮し、生存を勝ち取ってきた。


 戦う時は獅子が、策略には蛇が、逃げる時には山羊が。


 それぞれの特性を十二分に発揮し、それぞれの行為を完遂してきた。


 しかし、ここにいるキマイラには、その三つあるうちに一つが欠けて、不完全となっていた。


 四年前、一人の剣士の命と引き換えに山羊の頭を失ってから。


 三つのうちの一つを失うことで、彼は彼を生きながらえさせる行為の一つを失った。

 逃亡。

 生きるために危険から遠ざかる重要な行為を、彼は選択できなくなった。


 危険から遠ざかるために、危険を恐れる心を、山羊の頭と共に斬り落とされてしまったから。


 残る頭は獅子と蛇。


 獅子は、獰猛と傲慢を司る闘者の頭。

 戦うべき時には猛威を振るって勝利を噛み千切る獅子は、それ以外の行動を知らない。


 かつて自分から掛け替えのないものを斬り落とし、不完全な存在へと堕さしめた。この屈辱を与えた怨敵を再び目の前にして、戦わぬことなどできようか。


 彼の中にはもはや復讐しかなかった。


 再び現れた黒い剣の使い手。

 あの漆黒の刀身を忘れたことは一度たりともなかった。


 あの使い手を、再びこの牙で噛み千切り、鬱憤を晴らさずして、どうして縄張りの主として君臨し続けることが出来ようか。


 この傲慢なる怒りに、狡猾な蛇は軽挙を戒めることは出来ても、戦いそのものを押し留めることはできなかった。

 所詮蛇もまた、獲物を飲み込むことしか知らぬハンターだった。


 そんな彼らの前に、獲物の方からノコノコとやってきた。


 黒い剣を携えた、非力なる人間。


 その剣、その佇まい、その気配。


 四年前とまったく同じヤツだと、キマイラは獣の本能で察した。


              *    *    *


 宿命の戦いがついに始まる。


 エイジたちはその決戦にたまたま居合わせた観戦者にしかなれなかった。


「エイジ様……、こんなに離れていていいのでしょうか。見守るだけにしてももっと接近した方が……!?」

「ダメだ。大人数で攻め寄せたらキマイラは不利と悟って撤退してしまう。アイツはまだそれぐらいの判断力は残している」


 キマイラは見張り台として使っていた山頂から動くことなく、そこに挑戦者を迎えた。


 まるで一対一の、正当な決闘であるかのような風情だった。


 エイジたちはそこからはるか離れた地点に、戦いを克明に見守ることのできるギリギリの位置に陣取る。


「……宿命の帰結、か」


 四年前に始まった宿命に決着をつける時が来た。


 無意味な復讐であろうと自己満足であろうと、モルギアは、モルギアの遺した命題を乗り越えさらに前に進むため、あの形ある凶運を砕かねばならない。


 覇王級モンスター、キマイラ。

 黒の勇者モルギア。


 その戦いが今始まった。

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