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173 誠実すぎる者(二)

 黒の勇者モルギアは、勇者としての心構えを疎かにしない。


 勇者のもっとも優先すべき使命は『モンスターから人々を守る』こと。

 それは個人の復讐より優先されてはならない。


 だからこそ縄張りから逃げ去り行方不明になったキマイラは捨て置き、目の前にいる、今にも人間族に被害を与えそうなモンスターを続々と狩ってきた。


 それがもっとも誠実な勇者、黒の勇者モルギアの流儀だった。


 しかし、因縁の相手が目の前に現れてなお、それを見過ごすほどモルギアも聖人にはなれない。

 まして敵は今なお人間族に危害を加えようとしている。勇者の使命から鑑みてもキマイラを放置する理由はなかった。


 今や黒の勇者モルギアとキマイラの対決に……。

 いや、再戦に。


『待った』をかけるものは何もない


              *    *    *


「……一つ意外なことがある」


 野営の決定をしてから時は過ぎ、完全な夜になった。


 エイジとモルギアは焚火を囲みながら、万一襲ってくるかもしれないキマイラに備えた。

 しかしキマイラは、見張りに絶好の山頂から動く気配はないらしく、撥ね火の音を除けば、静謐に包まれた夜だった。


「い、意外とは……?」

「あのキマイラだ。先代モルギア殿によって手傷を負わされて四年。アイツの音信は今日までまったく伝わらなかった。あれほど凶悪なモンスターにしてはありえないなと思ってさ」


 エイジたちがここでぶつかったのも完全な偶然であるし、この偶然がなければ運命の再戦はもっと先延びになっていただろう。


「……き、キマイラの、山羊の頭が司る感情は、お、憶病の他にもう一つある」

「他に?」

「ど、貪欲……!」


 山羊のような草食獣は、肉食獣よりも遥かに食に意地汚く、草原を食い尽してからしてしまうことすらあるという。


「や、山羊の頭を斬り落とされたことで、ヤツは憶病さだけでなく、貪欲さも失った。の、残った頭はライオンと蛇。ど、どちらも肉食獣」

「ハンターは満腹になれば、眠ってしまうだけ。山羊頭のないキマイラも肉食獣の本能に支配され、活動が鈍ったってことか。しかし、憶病でなくなったくせに、こうして正面衝突を避けて機を窺っているのもおかしくないか?」

「や、山羊の憶病さは失っても、蛇の狡猾さは残っている。だ、だからアイツは、オレたちを倒すのに、どんな汚い手も厭わない」


 依然厄介な卑怯者であることに変わりないと、気が重くなる情報だった。


「しかしお前も勉強したな。そうまでモンスターに対する知識がスラスラ出てくるとは。ウチのセルンに見習わせたいところだ」

「じょ、情報の大切さを、オレに叩きこんだのは、エイジ。ま、毎日の小テストで文字漬けになった辛さは、忘れない」

「まあな」


 実際のところエイジが情報の大切さを自覚したのは、先代モルギアと共にしたキマイラ討伐がきっかけだった。


 あの時モルギアに頼るばかりでキマイラの対策を何も思い出せなかった悔しさに、二代目モルギアに知識を叩きこむのと同時にエイジ自身も文献を読み漁った。


 それが今、どんなモンスターと当たっても、その傾向と対策をすぐさま出せることに役立っている。


「と、特にキマイラは、オレが倒すと決めたから。特に……!」

「ヤツに関する知識は僕以上か……。本当にやめる気はないんだな?」

「う、うん、エイジも、手を出さないで。お、オレ一人でやりたい……!」

「先代モルギア殿が、それを望むと思うのか?」


 ここで彼の恩人の名を出すのは卑怯だと思ったが、無謀を止めるためには仕方なかった。


「あの人が個人的な復讐を望むとでも? あの人は、勇者として何よりも純粋だった。余計な欲望も希望も持ち合わせなかった。お前は、あの人のようになりたいんじゃなかったのか?」


 キマイラを殺すこと自体エイジに何ら異論はない。


 なれば、ここに居合わせた全戦力をもってキマイラを囲み殺しにすべきである。敵討ちにこだわって一騎打ちに執着するモルギアを、彼自身の安否のためにも承服することができなかった。


「や、ヤツはバカじゃない。袋叩きの死地には絶対飛び込まない。い、一対一の環境こそ、誘い込むには不可欠」


 ならば自分こそが……、そう言いかけてエイジは言えなかった。

 モルギアの、あの敵に対する執念を無視することはできなかった。

 あの日あの場にいた一人として。


「……あ、あの人は、言った。じ、自分の代で完成できなかった『方円随器』を、オレの代で完成させてくれ、と」


 先代モルギアは言った。

『自分の「方円随器」は未完成だった。だからキマイラにとどめを刺せなかった』と。

 二代目モルギアにとって、同じ『方円随器』でキマイラを絶命させることこそ、完成した『方円随器』を示す最高の手段。

 そのチャンスを得た今、モルギアは脇目もふらないだろう。


「あ、あの人が、唯一、オレに直接望んだこと。だ、だからオレは何があっても、『方円随器』を進化させ、完成させる……!」

「モルギア。お前、左手を見せてみろ」


 相手の返事を待つことなくエイジは、モルギアの左手を取って引き寄せた。

 かなり無惨な状態になっていた。


 明らかに『方円随器』の反動によるものだった。


「指がまだ五本あるってのを幸いに思うべきなのかな……?」


 しかし左手は全体的に傷だらけに、かさぶたが重なって角質化している部分も多くあった。


 ソードスキル『方円随器』は返し技であるがゆえに、必ず敵に先手を打たせ、その攻撃を我が身に受けなければならない。

 その攻撃は大抵、捌くに器用な左手をもって受けるが、だからこそ受け止めきれなかった僅かなダメージは、左手に蓄積する。


 先代モルギアは、数十年『方円随器』を使い続けたことで左手が磨り減り、最後には肘より少し先しか残っていない凄惨さだった。

 それと比して、三年少々でまだ指が全部残っている二代目モルギアは、まだ軽傷と言えるだろう。


「え、エイジや、ゼルド様が、よく効く薬草を教えてくれたから」

「当然だ。『方円随器』の致命的な欠陥こそ、この蓄積されるダメージ。これを何とかしてこそ『方円随器』は完成するんだからな!」


 二代目モルギアが黒の勇者に正式就任してから、恐らく先代と同じか、それ以上の頻度で『方円随器』を使用してきたはずだ。


 ここまでボロボロになった左手で、彼をキマイラに向かわせていいものか、エイジはその点にも不安だった。


「ね、寝る」


 モルギアは急に言った。


「え、エイジのアドバイスに従う。今は決戦に備えて体力を養う。お、おやすみ」

「ああ、見張りは僕がやっとくからぐっすり寝ろ」


 そして毛布に包ると、すぐさま寝息を立てた。

 周囲では、セルンやサンニガ、それにタグナックから派遣された兵士も眠っていて、夜の静謐は穏やかだった。


「皆よく寝てるわね」

「ギャリコ起きてたの?」


 と思いきや、ギャリコだけがまだ眠っていなかった。

 とはいえ眠たそうに眼をシパシパさせていたが。


「ちょっと気になることがあって……。でも、モルギアさんって随分真面目な人なのね。アタシ、エイジ以外の勇者ってダメなのばかりかと思ってたんだけど、そうでもないみたい」


 そもそも同行のセルンが真面目でいい子であるし、覇勇者グランゼルドはその肩書きに恥じぬ偉人である。

 他種族にもライガー、レシュティアのような気風のよい勇者もいた。

 そして今回のモルギア。


「モルギアは、今まで出会った勇者の中でも特に純粋だ。勇者本来を務めを果たすこと以外に何の望みもない。それこそ澄んだ水のように」


 そこに唯一願望の濁りがあるとすれば、それこそ今回のキマイラだろう。


「モルギアは、先代から多くのものを受け継いだ。剣、名前、技、望み。そして欠点まで受け継いでしまった」

「欠点?」

「自分のミスに対して誠実すぎるところだ」


 モルギアは、自分のミスのせいで自分の恩人を死に追いやったと思っている。

 自分の力を認めさせようと、みずからキマイラに向かっていった。

 あの無茶さえなければ、しっかりと態勢を整えた先代モルギアと若いエイジの二人がかりでキマイラを封殺できたのではないかと。


「その誠実さがアイツを意固地にし、キマイラの決着を拘らせている。そんな私心こそ『方円随器』完成の大敵だというのに……!」

「エイジは、彼が戦ったら負けると思ってるの?」

「わからない。でも、勝てる戦い方をわざわざ放棄するのもな……」


 かと言って、モルギアの二代に渡る因縁を知っているだけに、強いて止められないエイジでもあった。


「エイジは、単純にモルギアさんが心配なだけなんじゃないの?」

「かもしれない。昔から手のかかる弟分だったから」


 モルギア二代に強い絆があるように、エイジにも二人のモルギアそれぞれに培われた絆があった。


「仕方ないわね。じゃあこのアタシが、エイジの心配をやわらげる、いいものを作ってあげる」

「へ?」

「これの形が面白そうでね。大きさもちょうどさそうだし、色々チェックしてたら寝るのが最後になっちゃった」


 というギャリコの手の中にあるのは、一塊の白骨。

 二代目モルギアが、先代の成果の証として常に持ち歩いていた、山羊の髑髏。

 キマイラの体から斬り落とされた三つの頭のうちの一つだった。

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