172 過去から今
二人のモルギアを巡る過去の物語は、語り終えた。
この上語られるべき事柄は、もはや現在にしか残っていない。
旧きモルギアが去り、新たなモルギア一人が残った現在。
ただ、それにほんの少し補足を加えるとすれば……。
* * *
「それから半年ほどかけて、僕がコイツにソードスキルの基礎やら勇者としての処世術を叩きこんでやったのさ」
四年前の出来事を思い出しつつ、今や覇勇者となり、その座すら投げ出したエイジは語った。
互いにあの頃から随分成長した。
「コイツ、本当に先代モルギア殿から目で見て盗んだだけで、細々したことはからっきしでさ。日常の言葉づかいから仕込むのに苦労したよ」
「え、エイジ厳しすぎた……! あ、あの日々は地獄だった……!」
四年前から随分、会話もしっかりしたモルギアも、当時を懐かしんでいった。
「そりゃあ期間置いてグランゼルド殿が直接試験するって言うからには本気で鍛えないとダメだろ? もし不合格だったら二人揃ってさらなる地獄特訓だぞ? しかもあの人、合格ラインを示さなかったから全力でやるしかないじゃないか」
去りし日を思い出し、男同士でカラカラと笑う。
そうした訓練期間を経ていっぱしの勇者と認定された二代目モルギアは、先代と同じ辺境巡回の任を買って出た。
それこそモルギアの名を継いだ自分にもっともふさわしい役目であると。元々辺境出身である彼にとって聖剣院のある中央よりも居心地がよかった。
「以来、一度も聖剣院には寄りついてないはずだよな?」
コクリ、と蓬髪塗れの頭で頷く。
それを見て、まずギャリコが「うええええ」と唸りを上げた。
「それって大丈夫なの? 聖剣院が何か言ってこないの?」
「い、今のところ、ない……!」
それどころか聖剣院の上層部は、モルギアが代替わりしたことすら知らないだろう、とエイジは言った。
「グランゼルド殿が上手く誤魔化したって言ってたからな。元々辺境巡回は必要だけれど誰もやりたがらない任務だし、フュネスやスラーシャが必死に阻止したんだろ。コイツに触れることを」
下手につついて辺境巡回の苦役が自分たちに回ってきたら……、というのは白の勇者や赤の勇者にとって悪夢だからである。
「それでいいんだ聖剣院……!?」
相変わらずのいい加減な仕事ぶりに他種族のことながら戦慄するギャリコだった。
「しかし……!」
「ということは……!?」
その一方で、セルンとサンニガが何故か震えていた。
「半年とはいえ、エイジ様の指導を受けたということは……!」
「コイツこそが兄者の一番弟子!?」
「え?」とエイジが首を傾げた。
「そうではないですか! 私がエイジ様のご指導を賜るようになったのは、四年前よりあとですよ! 私は、エイジ様に教えてもらうことを誇りに思っていたのに! エイジ様の一番弟子だと周囲に自慢してたんですよ!!」
「え? そんなことしてたの?」
勇者になる前からエイジに目を掛けられ、何かと世話を掛けられていたセルンである。
「まあでも、僕とモルギアは言ってみれば兄弟弟子の関係だし。そもそもモルギアには先代って言う真の心の師匠がいるから」
「そ、そうそう……」
モルギアも一緒になってなだめるが、意外にセルンはこの件に関して意固地だった。
「だったら私にとってエイジ様こそ真の心の師です! それでよろしいですよね!?」
「キミもどっちかって言うと義理で教えていた部類なんだけど……?」
「悲しくなることを言わないでください!!」
そしてさらに厄介なのが加わる。
「ならばオレこそが真に兄者の教えを受けた直弟子じゃないか!? 何しろ同族だからな!!」
とサンニガが余計に話を引っ掻き回す。
「黙りなさい最新参! アナタこそ一番順位が低いんですから、終わりまで黙っていなさい!!」
「んだとー!? だったら実力で順位入れ替えてやろうかーッ!?」
サンニガが参入してから、セルンはよく彼女とケンカするようになった。
姦しいことこの上ない。
「え、エイジは……、人気者……!」
その様子を眺めて、モルギアは蓬髪を揺らした。
「すまんなモルギア。こういう騒がしいの慣れてないだろ?」
「い、いい。あ、アナタとゼルド様と一緒に修業した頃、思い出す」
二代目モルギアは、四年前から人格面でも成長し、他者をフォローするまでになっていた。
黒の勇者の貫禄は、既に充分備えていた。
「……で、でも今は静かにしたほうがいい」
「「え?」」
「キマイラが狙ってるから」
「「ッ!?」」
言われてセルンはすぐさま青の聖剣を実体化し、サンニガは呼吸を整える。
一行が留まっているのは、キマイラが新たな縄張りとした峠から外れた地点で、敵のテリトリーのギリギリ外側、という境界だった。
そこですでに野営に準備が進められている。
「あ、だ、大丈夫。そんな近くにはいないから。ほ、ほら、あそこ……!」
モルギアが指さしたのは、遥か遠方にある槍のように切り立った山の頂点だった。
エイジたちのいる地点から、全力で走っても四半日はかかるような距離。
「あ、あんな遠くに……!?」
「木も岩も砂粒みたいになって、何が何やらわやくちゃな距離だぞ!? 本当にあの中からモンスターを見分けられるのか!?」
セルン、サンニガの驚き通り、常人の感覚では到底とらえきれない距離。
しかし黒の勇者モルギアは、五感を越えた超感覚で魔を察知できる。
「……いる。見晴らしのいいあの場所から、オレたちを見張っている」
「モルギアのモンスター察知脳能力は、全人類種の中でも一番だろうよ。勇者になる前から定評だった能力だが、勇者になって俄然攻撃性が増したな」
モンスターを察知する能力は、モンスターから逃げる時にも有用だが、追う側に回ってさらに有用性を増す。
事実、辺境巡回を務めるモルギアが一度追いかけて捕まえられなかったモンスターは一体もいないという。
「……で、あのクソ野郎は、あんな山頂で何をしている?」
「も、もちろん、こちらに攻め入るタイミングを推し量っている。こ、この中でどこが一番付け入るべき急所か、探っている最中」
エイジもモルギアも、過去の戦いからキマイラの狡猾さを回想し、表情を引き締める。
その狡猾さこそ、覇王級キマイラのもっとも厄介なところ。
「さすがにこっちの戦力が大きいことを悟って、迂闊に攻め込んでこないか。慎重なのは昔通りだ」
「か、変わったこともある」
モルギアが言った。
「は、覇勇者級の戦力一人に、勇者が二人。こ、こっちの戦力の高さは四年前より上、それがわからないキマイラじゃない。ず、狡賢いアイツなら、不利を悟って逃げてもおかしくない」
「え?」
もしそうなら大問題。
ここでまたキマイラを逃がせば、別のどこかで再び被害を及ぼすだろう。
「しかしその気配はなさそうだぞ。アイツは山頂からずっと僕らを見張ってるんだろう? 縄張りへの侵入者を排除する気満々じゃないか?」
四年前と同じように。
「よ、四年前に失ったものは、あ、アイツにもある」
三つある頭のうちの一つ。
山羊の頭。
キマイラはそれを、先代モルギアによって斬り落とされている。
「き、キマイラの三つの頭のうち、山羊が司る感情は憶病。そ、その山羊の頭を失い、アイツは憶病な性格も一緒に失った」
だから死の恐れよりも、復讐を優先する。
「あ、アイツは逃げない。危険を越えて、自分に傷を負わせた人間族に仕返しするのを、望む。こ、この黒の聖剣を持った相手に……!」
三つの頭から二つの頭になったキマイラは、不完全な存在。
かつて自分を完全たらしめていた感情の一つ、憶病を失った。
先代モルギアの斬首によって。
先代モルギアの成果。
「だ、だからヤツは逃げない。お、オレとの決着を望む。お、オレも望む。あの人のやりかけの仕事を、オレが最後まで仕上げる……!」
決着を望む者はもう一人いた。
双方が戦いを求める以上、戦いは避けて通れない。





