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169 認め合うために

 エイジが再び少年を発見できたのは、またしても幸運からだろうか。


 その時少年は、森の中をがむしゃらに激走していた。

 エイジは彼に追走するために、彼自身の全力に近い速さで走らなければならなかった。


「待て! ……おい待て!!」


 少年は、エイジが追ってきていることに気づくと、かすかに舌打ちらしい音を立ててからさらにスピードを上げた。


「うあああああッ! 待て待て! もう斬りかかったりしないから! 逃げるな!!」


 一度警戒心を持った野生動物に、それを捨てさせるのは実に困難なことである。

 エイジも、少年に対して同じ困難を味あわねばならなかった。


「クッソ! 全然追いつけない!?」


 勇者であるエイジの脚力に、普通に対抗できている少年がますます尋常ならざる存在に思えてきた。


 モルギアより先に、エイジが彼を発見したのは幸運なことなのか。

 わからぬままに少年との追いかけっこは続く。


「アイツ……、何処に向かっているんだ?」


 追って追われてを続けているうちに、エイジは、すぐさまあるべき疑問を頭に浮かべた。


 少年は、どこかにしっかりと目的地をもって疾走しているのが、少し追走しているうちにすぐわかったからだ。


 目的もなくフラフラ彷徨っているにしては、少年の走り方は真っ直ぐな上に性急だった。


「……このッ!!」


 エイジは、意を決して跳躍し、タックル気味に少年の腰に抱きつく。

 勇者としてはスマートさに欠けるが、それでもなんとか少年に追いつくことができた。


「やっと捕まえたぞッ! ……大人しくしてろよ、モルギア殿がお前とは話すことがあるらしい」

「……に、にがせ」


 少年の口から漏れる声に、エイジは驚いた。

 惨劇のショックで失語していたと聞いたが、実はそれも違うのか。


「み、みさせる。お、おれを、みさせる……!」


 と思ったが、少年の口調はたどたどしい上に意味不明領だった。

 まるで言葉を習い始めたばかりの子どものように。


「見させる? 誰に? 何を……ッ!?」

「こ、ころせば、みる、あいつ、おれ、みる。こ、ころせば……!」


 少年の独白はあまりに不明瞭で、しかも明らかに物騒な単語が紛れていた。


「殺す? 誰を? まさかまだモルギア殿のことを……ッ?」


 それは違うと、エイジはすぐさま思い直した。


 少年は、モルギアのことを恨んでも恨んでいない。彼の、彼に向ける感情はもっと高次に複雑化しているはずだ。


 では、それ以外に少年は誰を殺すというのか。


「まさか……!?」


 エイジは、ついさっきの『少年はどこに向かって走っているのか?』という疑問を思い出した。


 少年は、過去の凄惨な経験からモンスターを察知する直感が異常なまでに研ぎ澄まされているという。


 そのため、モンスターから逃げたり隠れたりすることも容易なため、聖剣院の兵士すら危険と動員できなかったキマイラ討伐にも平気で伴ってきた。


 逃げることや隠れることも可能なぐらい明確にモンスターを探知できるなら。

 逆に追跡し発見することも容易ではないのか。


「まさか殺すっていうのは、キマイラのことか!?」


 少年はカタコトで『見させる』と言った。

 それはモルギアに、自分を『見させる』ということではないか。

 転じて『認めさせる』という意味なのでは。


 そういう意味では、モルギアがエイジと二人がかりで討伐しようとしているキマイラを先立って倒せば、嫌でも彼は認められるだろう。


 しかしそれでも……。


「バカかお前! 聖剣も持っていないお前がモンスターを倒せるわけないだろう! まして覇王級だぞキマイラは!?」

「うぐぐぐぐ……!」


 それでも少年はエイジの拘束から抜け出そうともがき続けた。


「気持ちはわかるが……!」


 そう、エイジは少年の気持ちをわかるようになってしまった。


 とにかく今は少年をモルギアと引き合わせて……。

 そう思っていたら、森の奥からずしんと重い足音が響いてきた。


「まさか……!?」


 少年のモンスター探知能力は、正真正銘のものらしい。


 エイジたちの目の前に、獅子、山羊、蛇の三つの頭が現れた。


『『『グルルルルるるるる……!』』』

「キマイラッ!?」


 出会ったのは最悪の状況だった。

 モルギアのいない単独で、少年を守りながら戦わねばいけない。


「うがあ!」

「あっ、待て!?」


 一瞬の隙を突いて少年がエイジの拘束を振りほどき、キマイラへと向かって行ってしまった。

 エイジは追おうとしたが、それより先に……。


「モルギア殿に報せるのが先かッ……!」


 青の聖剣を実体化した。


「ソードスキル『鞘鳴らし』!」


 それは戦いのためではない、味方同士の連絡のために用いられるソードスキル。


 抜刀の際の鞘走りに刀身と鞘の擦れ合う音で特殊な音波を発する。

 その音は通常の聴覚では捉えきれない高音だが、同じソードスキルを修める者同士ならば聴き取ることができた。


 鞘のない聖剣の場合、剣の腹に指先を擦らせ音を発する。


「この音をモルギア殿が聞いてくれたら……!」


 しかしエイジには、それをのんびり待っている暇はなかった。

 既に少年はキマイラに向けて飛びかかっていたからである。


「があッッ!!」


 少年は渾身のソードスキル『細波』を放ったが、得物がただのナイフではモンスター相手に何の意味もない。

 すぐさまナイフの刀身は粉々に砕け散って、少年も吹き飛ばされる。


「おぐッ!?」

「だから言っただろうがバカ野郎! ……ソードスキル『一刀両断』!!」


 エイジは、少年を庇うようにもっとも基本的なソードスキルを放つが、基本技であるがゆえに『一刀両断』は使い手の力量をもっとも色濃く反映する技でもある。

 自然、ただの聖剣を持ったただの勇者では覇王級に傷もつけられず、一方的な反撃を受けるのみ。


 しかもキマイラは、エイジには目もくれず少年の方へと襲いかってきた。


「くそッ!?」


 必死に少年を庇い、剣を振るうエイジ。


『キマイラは狡猾、もっとも弱いところから狙ってくる』という前情報が実感を持って思い出された。

 ただでさえ格上の相手に、少年という足手まといを守りつつエイジは思ったように戦えない。


「ぐおッ!?」


 正面から迫りくる獅子の牙を迎え撃とうとしたその時だった。横から迫りくる山羊の角に気づき、寸前のところで迎撃に間に合う。

 しかしそれすら陽動だった。

 忍び寄る三撃目、視界の外から飛んできた蛇の尾が、エイジに噛みつく。


「があああああッ!?」


 キマイラの蛇には毒を持つというのも前もって知らされていたこと。

 解毒薬を持ち歩いてはいたが、それを取り出して飲む暇すら与えて貰えない。


「くそ……ッ! このままでは……ッ!?」


 いっそ賭けに出るか。

 グランゼルドから概要を教えられ、実践修行に入ったばかりの『一剣倚天』を一か八か試してみるか。


 そこまで追い詰められた瞬間だった。


「ソードスキル『粗飛沫(あらひまつ)』」


 無数の斬撃がキマイラに命中し、その勢いでモンスターの巨体を撥ね飛ばす。

 さらに乱撃と共に剣の表面に結露した水滴が飛び散り、濃霧となって周囲を覆う。


「これでしばらくは時間が稼げる。さっさと解毒剤を飲め」

「あ、アナタは……!」


 ついに現れた。

 黒の勇者モルギア。

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