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168 矛盾せず矛盾

 敬と憎が、一個の体の中に同居するなどよくあることだった。


 仮にそれが、まったく同じ対象に向けられて、その事実自体が矛盾する敬愛と憎悪であったとしても。


「アイツの村が滅ぼされたのはアナタの判断ミスのせいかもしれない。しかしそれでもアイツは、アナタが自分を救ってくれたことを知っている。……アイツにとってアナタは、憎むべき自手であると同時に大恩ある相手でもある……!」

「……ッ」

「その矛盾にアイツ自身も苦しんできたんだ。極限状況に晒され壊れてしまった心をもっても、アナタへの恩に報いようと必死になった。その結果が、あの『細波』ではないのですか?」


『細波』は復讐のために会得できる剣技ではないと、エイジ自身が言ったばかりだった。


「オレはアイツに、負い目ばかりを感じていた」


 モルギアはポツリと言った。


「アイツから家族と故郷と、幸福が約束された人生を奪ったのはオレだと。アイツは一生オレを許さないだろうし、オレはそれを甘受すべきだと思いながら接してきた」


 エイジは、モルギアの独白に何も言うことができなかった。

 彼のごとき若造に、先達の懊悩をどう言い添えることが出来ようか。


「それ自体が間違いだったんだな。オレが負い目に塗れているからこそ、アイツは復讐心を捨てきれずに余計にアイツを苦しませた。……何が勇者だ。オレは何度自分の情けなさに呆れればいい?」

「これからではないのですか?」


 それでもエイジは、人生を知らない若僧の生意気言だと知りつつも言わないわけにはいかなかった。


「これからアナタが行うすべてのことに意味があるのではないのですか? アナタはこれからもモンスターを倒して、多くの人々を守れる。アイツをもっと真っ当な人間族に育て上げることもできる」


 それが彼の償いであり功績になるのだと。

 前を向くこと以外に許されることがあるのだろうかと。


「それはできない」

「えッ!?」

「オレは今回の討伐を最後に引退する。元々その件をグランゼルド様と図るため、何年かぶりに聖剣院へ戻って来たんだ。ちょうどいいタイミングで上がったこのキマイラ討伐を、最後の花道にするつもりだった」

「何故です!?」


 エイジは、モルギアの唐突な引退宣言を理解できなかった。


「何故引退などと!? 失礼ながらアナタは、引退を口にするほど老齢とも見えません。アナタより年上のグランゼルド様だってバリバリの現役じゃないですか!?」

「あの人は特別だよ。それにオレが引退する理由は年齢じゃない」

「?」

「さっきお前にも見せただろう? ソードスキル『方円随器』は、返し技。一度敵からの攻撃を受け、その威力をそっくりそのまま相手に返す」


 たしかに、実際その技をその身に受けたエイジは、真剣勝負でなかったとしてもその恐ろしさを骨身に刻んだ。


「『方円随器』の極意は、自身を水ごとく平らかにして、あらゆる変化に応じること。水のようにあらゆる形の器に随って応変してこそ、あらゆる攻撃を自分の剣に宿すことができる」

「は、はい……!?」

「しかし所詮人間の体は固体だ。どれだけ極意を掴もうとも真の液体にはなれない。である以上、真の水のようにすべてに応じて形を変えることなどできない」


 その結果がこれだ、とモルギアは自身を覆う旅装マントを脱いだ。

 エイジが、彼と出会ってから一度も外したのを見たことがないマントを。


 その内に隠されていたものは……。


「…………ッッ!?」


 それを見た瞬間、エイジは呼吸を忘れ、息を飲んだ。

 体中から脂汗が噴き出した。



 モルギアの左腕。

 左手がなかった。


 正確には左腕の前腕部中ほどから先が、バッサリ斬り落とされたように存在していなかったのだ。


「それは……!?」

「これこそ、水になれない人が、水になろうとした愚かな行為への代償だ」


 先細った左腕をエイジに見せつけつつ言う。


「ソードスキル『方円随器』は、まず敵の攻撃をその身に受けて始まる。それは大抵左手で行う。無数の関節、神経が集中した手で器用に捌くことで、こちらの負担を最小限に減じつつ、得た威力を反対側の右手へ最大限に伝えられるからだ」


 しかし最小限はゼロではない。


 いかにソードスキルの最奥によって減衰させた負担だろうと身体には響き、蓄積される。

 戦えば戦うほど、奥義を使えば使うほど蓄積は大きくなる。


「その結果が、その左腕……!?」

「『方円随器』が、『一剣倚天』に迫る究極ソードスキルとされながら、結局及ばない理由がこれだ。『方円随器』は、修得さえすれば敵との力量差を無意味にするが、その代償はしっかり請求される」


 モルギアの、欠損した左腕は、一度の戦いで斬り落とされたものではない。

 何百何千という戦いの末に、少しずつ磨り減っていったのだ。


 砥がれた剣が、少しずつ体積を失って小さくなっていくように。

 究極奥義が使われていくそのたびに。


「先輩からの忠告だがエイジ。お前はこんな技、覚えるなよ。グランゼルド様から『一剣倚天』を教えてもらうんだろう? あれこそ真っ当な剣士が最後に到達すべき究極奥義だ」


 モルギアは自嘲気味に言った。


「オレはせっかちでな。そこまで至るのに待ちきれなかった。一刻も早く、覇王級からも人々を守ろうと代償大きい『方円随器』に手を出した」


 もはや左手としての機能を果たせなくなっている左腕を見下ろす。


「摩損が、もうすぐ肘関節にまで達する。そうなったらさすがに『方円随器』で敵の攻撃を完全吸収することもできなくなる。だからその前に引退をとグランゼルド様に訴えてな。『後任もいないのに』と嘆かれたよ」

「モルギア殿……」

「そしてはれて引退した後にアイツに殺されてやるつもりだった。それがオレの人生の、最上の決着だと思ってな」


 しかしそれは間違いだった。


「オレを殺したあと、アイツの人生はどうなる。目標も、心を満たす感情も失い、空虚からまた生きるべき理由を探さなければいけないのか?」


 違う。


「オレがアイツに遺してやるべきは、そんなものじゃない。オレがアイツに渡すべきは、もっと別のものだ!!」


 モルギアの瞳に、まばゆい輝きが宿った。


「エイジ、手伝ってくれ。アイツを探す!」

「は、はい……!?」


 エイジはもはやこの二人に圧倒され、ただ押し流されるままとなってしまった。


「オレはアイツに、面と向かって話さなきゃならない。今までずっと避けていた。でもオレは、もっと早くアイツと話をしなければならなかったんだ!!」


 エイジとモルギアは再び二手に分かれ、森の中を散っていったが、探す相手はまったく別のものに変わってしまっていた。


 いつの間にか、本目的であるキマイラ討伐は脇に押しやられて。

 話の中心にはこの黒い師弟が座っていた。

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