167 過ちすら実直
聖剣の切っ先を向けられて、少年は濁った唸り声を上げた。
まさに危険を察した獣の風だった。
「お前の存在は、モルギア殿の勇者の業を曇らせている」
エイジは、モンスター以外の相手に聖剣を向ける正当性をみずから語る。
「人の知性を失ったお前にはわからないだろうが。あの人は勇者と呼ぶに値する勇者だ。そういう人は、ムカつくことに本当に貴重だ。僕の知る限りで二人目だ」
彼のモルギアに対する評価は、既にそこまでに上がっていた。
「だからこそ、あの人は何者にも邪魔されることなく、勇者の務めを進めて貰わなければならない。晴れやかに。……わかるか? お前の存在そのものが、あの人の勇者の務めの邪魔なんだ」
「…………う」
「勇者の助けは、憐憫は、あまねくすべての力なき人々へ平等に配られなければならない。お前はそれを独占している。あの人のたった一度の過ちに付け込んで、あの人の大いなる仁愛を独り占めしている!」
真の勇者たるモルギアに負債を意識させ、償いと称して彼から擁護を、心配を、一身に引き出している。
それはエイジにとって看過しがたい占有だった。
聖剣が生み出す利益を私物化する聖剣院が重なって見えた。
「一人で生きていくことができないなら、それ相応の施設に送ってやる。だがモルギア殿に付きまとうことは金輪際僕が許さん。あの人には、お前ごときにかまける無駄などあってはならないからだ!」
エイジが、聖剣を出しながらそれを語るのは、「従わないなら斬り捨てる」という明確な脅しだった。
「……ぐるるるるるるるる」
少年はそれに対して威嚇の唸りで応えた。
「従う気はないか。……仕方ない」
青の聖剣を振り上げる。
「浮浪児が行方をくらますなどよくあることだ。お前はここで消えろ」
未来の覇勇者と謳われたエイジの剣技。野生の直感が鋭いだけで凌ぎきれるものではない。
「はあッ!」
無拍子の剣が振り下ろされようとした、その寸前……。
別の者が、それを阻んだ。
「ソードスキル『方円随器』」
エイジの脳天に凄まじい衝撃が走った。
「うわた……ッ!?」
激痛走る頭を押さえて、エイジは二、三歩と交代する。
頭のてっぺんを何かでしたたか叩かれたのだ、エイジはすぐにそう察した。
「オレが使ったのが、その辺で拾った木の枝じゃなく黒の聖剣だったら、お前今頃縦に真っ二つだったぞ」
「モルギア殿!?」
エイジの剣撃を防ぎつつカウンターの攻撃まで食らわせたのは、別行動をとっているはずの黒の勇者モルギアだった。
「ガキが、オレ様を出し抜けるとでも思っていたのか?」
「お見通しだったというんですか……、いや……!」
エイジはたった今、自分が食らった奥義を意識して戦慄する。
「今のが『方円随器』……!? 『一剣倚天』と並び称えられる、もう一つのソードスキル……!?」
その噂はグランゼルドから伝え聞いていたエイジ。
黒の勇者だけが使う、あらゆる攻撃を受けて、そのまま能力を敵に返す究極の返し技。
理論上、勇者が格上である覇王級を打倒しうる唯一の手段だという。
「初めて見たか? モノを知らない小僧には勉強になっただろう? お前が、コイツを斬るつもりがなく寸前で止める予定じゃなかったら、もっと大きな威力になってたぜ」
そこまで見抜かれていたとは、とエイジは身震いする思いだった。
そしてやっと、エイジの独りよがりに対する咎めが来た。
「お前がしているのは大きなお世話だ」
モルギアはキッパリといった。
「オレの過ちはオレ自身のもので、お前にとやかく言われる筋合いはない。余計な口出しはやめてもらおう」
「勇者は公のものです。私事も公に関わることがあります」
エイジは怯まず反論した。
「フュネスやスラーシャのようなゴミ勇者、腐敗しきった聖剣院がのさばるこの状況で、アナタの存在はとても貴重なんだ。そんなアナタの貴重さを曇らせる汚点が、そこの小僧だ。それを排除する自分の行いを間違いだとは思えません」
「自分だって小僧のくせに……」
モルギアは、エイジの頭をしたたか叩いた小枝を捨て、代わりに黒の聖剣を発生させた。
「自分が正しいと確信したガキほど始末の悪いものはない。……ただ、間違いすらしっかり貫こうとするところは、さすがグランゼルド様の直弟子と感嘆しないでもない」
「恐縮です」
「貫く刃はへし折るしかないが、どうする?」
剣士が言葉で語り合うのは無粋なこと、とばかりに周囲の空気が張り詰め始めた。
既に双方、得物を抜いている。
その状況で導き出される結果は、想像するまでもないことだった。
「……ジャッ!」
「えッ!?」
しかし次なる局面はエイジにも想像できないことだった。
なんとあの野生少年自身が、モルギアの脇をすり抜けてエイジに襲い掛かって来たのだ。
「何を……!?」
戸惑いながらもエイジは応戦するが、戸惑いは応戦するほどに大きくなった。
少年の攻撃は、モルギアから与えてもらったのだろうナイフでもって行われた。
エイジはそれを青の聖剣によって受けて立つ。立つのだが、エイジはそれが一瞬の攻防で終わると信じて疑わなかった。
あらゆる剣の中で最強に位置する聖剣。あらゆる剣士の中で最強に位置する勇者の技をもってすれば、ただの鉄で撃たれたナイフごとき一合のうちにへし折れるに違いないからだ。
なのに折れない。
鉄のナイフはおられぬまま、次々エイジに向けて突き出される。
「バカな……ッ!?」
「ウソだろ……ッ!?」
それは傍観者の位置になってしまったモルギアですら驚くことだった。
勇者エイジが聖剣をもってすら折ることができない。
その異常事は、ナイフに何の変哲もないならば、それを使う少年に原因を帰するところだろう。
「この剣筋……!? この緩急が不規則な連撃はまさか……!?」
エイジは、少年の繰り出す連撃にすぐさま心当たりを得た。
「ソードスキル『細波』……!?」
連続した斬撃に、不規則な緩急をつけることで相手のリズム感を惑わし、防御を困難にするソードスキル。
敵を選ばず使える有用なソードスキルとして、多くの剣士が多用する。
「このガキがソードスキルを使うだと!? しかもこんな上級スキルを!?」
しかし『細波』をマスターするには、相応のソードスキル値が要求され、気軽に多用できる上級剣士は少なかった。
それをこんな子どもが使用している。
「こなくそッ!!」
しかしエイジも、若年ながら全剣士の頂点に君臨する勇者の一人である。
『細波』のタネさえわかれば対応するのは容易で、剣を剣で捌いた瞬間、同時に蹴りを繰り出し、少年を吹き飛ばすことで即座に攻防は決した。
「……ギギッ!」
蹴飛ばされた少年は、すぐさま体勢を立て直す。
蹴りによるダメージは一切ないようだが、心底悔しそうな表情を浮かべて跳躍し、森の奥へと飛び去った。
「あッ!? 待て……ッ!?」
「ソードスキル……!? アイツがソードスキルを使う……!?」
その事実に、モルギアまで衝撃に硬直した。
「モルギア殿……。アナタ、アイツにソードスキルの手ほどきを?」
「いや……! アイツは、オレと面と向ったら突っかかってばかりで、モノを教える暇さえなかった」
だから……。
「オレから学んだとすれば、オレから盗んだんだな。アイツの見てる前で『細波』を使ったことは、たしかに何度もある」
「見ただけで会得したというんですか? 『細波』は上級ソードスキルだ。そんな浅い技じゃないでしょう!?」
その時エイジは、あの少年にとてつもない才覚が眠っていることを初めて意識した。
勇者に匹敵する才覚を。
「しかし何故そんなことを……? オレを殺すため? オレに復讐するには、力が必要だと……?」
「違います」
即座にエイジが言った。
「『細波』の会得に必要なのは、技術筋力よりもなお一層、自分自身を寄せては返す波に同調させるための心の静謐さ。復讐にかられる濁した心では一生かかっても獲得できぬものです」
何故だろう。
ついさっきまで、あれほど毛嫌いしていた少年の心を、エイジは色眼鏡なく見通すことができた。
一合でも剣を合わせた相手だからこそ、だろうか。
「モルギア殿……、もしかしたらアイツは、アナタのことを恨んではいないのではないのでしょうか?」
「え?」
「アイツは、アナタのようになりたいのではないでしょうか?」





