165 誠実すぎる者(一)
黒の勇者モルギアは、人類種の寄り付かない辺境部をあえて巡回していたという。
それはいずれ人里へ移動するかもしれない強豪モンスターを駆除する予防的意味合いによるものだが、数ある勇者の任務の中でもっとも過酷なものであるのはたしかだった。
隔絶された地であらゆる援助が期待できず、ただひたすら独力で生き抜かなければならない。
その上でモンスターまで倒さなければならない。
名声役得目当ての俗物勇者ではけっして果たせぬ任務だろう。
そんな役目を黒の勇者モルギアは十年以上務めてきたという。
そして務めが長ければ自然、馴染みが発生する。
モルギアは、長い辺境巡回の中で、絶界と思われた辺境地にも人々の住む集落が点在することを発見した。
『人間族とネズミはどこにでもいる』というが、こんな辺鄙な場所にまで住みつくものかとモルギアも驚いたという。
無論豊かな平地に比べれば規模も小さいが、それでもモルギアにとっては一息つける重要な休憩地点となった。
住民とも顔馴染みとなり、宿や食事を提供してもらう代わりに、遠く離れた隣村への便りを預かったり、また近づくモンスターを駆除したりと共生関係が成り立っていた。
……その日も、村へ立ち寄ったモルギアへ村人たちは頼みごとをしてきた。
『近くにモンスターの気配があるから駆除してほしい』と。
しかしモルギアは気が進まなかった。
村人からの証言で推測を立てると、相手は取るに足らない兵士級モンスターであり、勇者である自分が直々に乗り出すほどのことか、と疑問に思った。
元々モルギアの任務は、人の密集地に接近する前にモンスターを呼ぼう排除することが要点。
それだけに率先して狙うのは覇王級のような超危険モンスターで、逆に兵士級などの弱兵は効率化のために避けることを推奨されてすらいた。
そうでなくとも、最近村人たちが自分を便利使いしすぎているのではないか、という思いが当時のモルギアにムラムラと湧き起こっていた。
慣れ合いすぎたがゆえの感情の行き違いが彼らの間でも起こっていた。
モルギアは、不満を表に出さず『近くにいたとしても必ず村を襲うわけではない』と丁寧に言い含めて村を出た。
しかし、モルギアは数日荒野を進んでから急に不安になった。
『本当に大丈夫だろうか?』と。
胸騒ぎが起こって、すぐさま踵を返し村へと戻った。
そこには既に村はなかった。
村人が訴えていたモンスターによって滅ぼされたのだった。
村が全滅してから数日は経っていたようだが、モンスターはなおも居座り、生き残って隠れた村人を執拗に探し出しては殺していた。
そのモンスターを、モルギアは発見した瞬間に二十の肉片に斬り分けて殺した。
瞬時の出来事だった。
結局のところ問題のモンスターは最弱の兵士級であることに変わりなく、勇者にとって敵ですらなかった。
黒の勇者モルギアにとっていつでも殺せる相手。
それは村が健在だった時でも、村が滅びたあとでも、変わらぬことだった。
* * *
「オレはそれ以来、勇者の資格をなくしたと思っている」
キマイラの縄張りと化した森で、モンスター討伐の打ち合わせを立てながら、いつしかモルギアの昔話に変わっていた。
いつ来るかもわからぬキマイラの襲撃に備えつつ、たき火を囲んで英気を養う。
「…………………………それは、仕方のないことじゃないのか?」
慎重に言葉を選んでエイジは言った。
「勇者と言えども万能じゃない。全モンスターを皆殺しに出来るわけじゃない。だからこそ、どのモンスターを優先して討伐すれば、より人類種の安全を保てるか、厳しく判断しないといけない」
そして判断ミスは必ず起こる。
人生において正しい選択だけをしてきた人など存在しない。判断ミスを犯したことのない人間は、生まれてから一度も判断したことにない人間だけだ。
「大きな役割を担う者は、自然重要な判断を迫られる。見誤れば多大な犠牲を強いられるような。その犠牲をも受け止めて進むのが真の勇者じゃないのか?」
「それ、グランゼルド様の受け売りだろ?」
図星を突かれてエイジは押し黙った。
「あの人は強いからな。間違いも全部背負って歩き続けることができる。だからあの人は覇勇者になれたんだ」
「アナタは違うと?」
「どうかな? ただ勇者であれば、出来るか出来ないかに関係なく、すべてを背負って進まなければいけない。だからオレは今も黒の聖剣を捨てずに戦い続けている」
この一言だけで、モルギアは真の勇者だと、エイジは確信した。
ただモンスターを殺せば勇者なのではない。
そんなことすら、この人に出会うまで気づけなかった自分自身を恥じた。
「あの小僧は……」
モルギアは、とっくに日の落ちた闇夜の森を見渡した。
あの野生児が今も、木々に潜んでモルギアを付け狙っているに違いない。
「オレを殺したがっているのさ」
「何故?」
「復讐だ」
あの野生児は、滅ぼされた村のただ一人の生き残りだという。
「まさか……、村が滅びたのはアナタのせいだと思っているのか!?」
「まったくの的外れでもないしな」
村を滅ぼしたモンスターは、個体の習性なのか一通り破壊したあとも村に居座り、瓦礫の下や地下室に隠れて生き延びようとする人々を見つけ出しては殺したという。
何日にも渡って。
不安を覚えて引き返したモルギアによって斬殺されるまで。
それまで発見されることなく生き残ったのが、あの野生児一人だけだった。
「その数日間は地獄以上のものだったろう。極限の恐怖にさらされながら、物音一つ立てることはできない。食事できないし、便所に行くこともできない。眠ることだって。事実アイツは隠れている数日間一睡もしなかったらしい」
数日にわたる極限状況の継続は、人の精神を壊すには充分なものだった。
モルギアによって助け出された時、少年は精神的ショックで言葉を失い、記憶をも失っていた。
「アイツは、それ以前のアイツじゃなくなっていたのさ。生と死の極限に挟まれ、残ったのは生き延びようとする本能だけだ。でも、他にもわずかに残っていたらしい」
「他にも」
「アイツは目撃していたらしいんだ。モンスターを駆除してほしいと頼み込む村長に、言いわけ並べて上手いことはぐらかすオレの姿を。それだけは忘れなかったらしい」
それゆえに少年は、助け出された直後からモルギアに襲い掛かった。
自分の家族を、生まれ故郷を滅茶苦茶にした罪人へ復讐するために。
無論、ただの子どもに勇者を殺すなどできるはずもないが。
「それ以来アイツはオレに付いてきている。いつか隙を見てオレを殺そうとしてるんだろう」
「逆恨みだ」
エイジは即座に言った。
「モルギア殿は判断を誤っただけだ。村を滅ぼしたのはモンスターだし、そのモンスターを倒したのはモルギア殿だ。第一、あのガキに命があったのは、モルギア殿が助けたからじゃないか!」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
モルギアの、たき火を見詰める瞳に、赤い炎の揺らめきが反射した。
「オレは思うんだ。アイツはオレの罪そのものだと。オレはまだ死ねない。勇者の務めを果たし尽すまで。そしてそれが終わった時、アイツはオレを裁く。それがオレの、アイツにしてやれる唯一の償いじゃないかとな」
「それが正しいと思っているんですか?」
「わからんよ。それもアイツが決めてくれるんだろう」
モルギアは勇者として、自分の犯した過ちでさえも真っ向から受け止める勇者だった。
あまりにも誠実すぎる。
ここまでの誠実さは、グランゼルドですら持ち合わせていないだろう。
その愚かなまでの誠実さは、本当に正しいものなのかどうか。
それはともかくとしてエイジは、その瞬間からモルギアを尊敬するようになった。





