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164 黒の回想

 黒の勇者とキマイラとの因縁。

 モルギアの名と、黒の聖剣はいかにして先達から後継へと受け継がれたか。


 それを知るために、再び四年前の昔話が語られる。


 エイジと旧いモルギアが、キマイラとの最初の邂逅を果たした場面から始まる。


              *    *    *


「うわッ!?」

「蛇にばっかり捉われるなって言ったろ! キマイラは三つの頭が独自に考えて動く! そのくせ連携は一級だ!!」


 尾の代わりに生える蛇が一瞬の隙を見せ、そこを斬り落としてやろうと接近した瞬間にライオンの爪が飛んできた。


 モルギアの呼びかけがなかったら、間に合わずに致命傷を受けていただろう。

 エイジは、己が胸部にうっすら浮かんだ切り傷を見下ろして戦慄した。


「……隙がまったくない。あったと思えば必ず罠だし」


 三つの頭が独自に考え、全方位を分担して警戒するからこそ付け入るスキがまったくない。


 それが覇王級モンスター、キマイラのもっとも顕著な覇王級たる由縁だった。


「あッ!?」

「待てクソッ……! 逃げたか……ッ!?」


 エイジが怯んだ一瞬の空白を突いて、キマイラは包囲網を脱し駆け去っていった。


「あっちから襲ってきながら、向こうが先に逃げるって言うのかよ!?」

「敵の戦力分析が済んだってことだろうな。あの慎重さも、アイツを覇王たらしめる由縁だ」


 獅子の獰猛、山羊の憶病、蛇の狡猾を併せ持つというキマイラ。

 一筋縄でいかない相手だということは一戦だけで嫌と言うほどわかった。



 エイジもモルギアも、各々の聖剣を仕舞って戦闘態勢を解く。


「あのまま押し切らずに退いたってことは、オレたちを手強い相手だと認識したんだろう。勝つかもしれないが負けるかもしれない。そういう戦いではアイツは必ず逃げる」

「危ない橋は渡らないってことか……! とすると僕たちは、千載一遇のチャンスを逃したってことにならないか?」


 エイジは、これまでの自分自身の経験を思い出す。


 憶病で、危険な嫌いなモンスターはキマイラ以外にも数種いる。

 そういうモンスターほど、勇者を危険と認識すれば逃げに逃げて絶対戦おうとしない。

 それを執拗に追いかけて叩くことの面倒さは、エイジは既に経験済みだった。


 キマイラも逃げの一手に徹して来たら、討伐の難易度は格段に跳ね上がる。


「大丈夫だ」


 しかし年長のモルギアに慌てた様子はなかった。


「同じ憶病でも、キマイラは他の臆病者とは違う。アイツは獅子の獰猛さも備えているからな。危険への対処法が、少し違うのさ」

「と言うと?」

「自分を脅かす危険があれば、アイツはそれを必ず殺す。そうすることで自分の安全を確保しようとするんだ」


 仮に遠くへ逃げ去ったとしても、世界のどこかに自分を害する危険は必ず残る。

 キマイラはそれが我慢できない几帳面な性格らしかった。


「それにキマイラは、縄張りを作って蟠踞する習性がある。一度作った縄張りを捨てることを嫌うし、縄張りの中に危険が残ることを絶対許容しない」


 既にこの一帯は、キマイラの縄張り化していると言っていい。


「じゃあ、僕らがヤツの縄張りに居座り続ける限り……!?」

「ヤツはまた襲ってくる。ただし必ず殺せると確信が出来てからだ。アイツはこれからオレたちを監視しつつ、絶好のタイミングを待ち続けるんだろうよ」


 あまりにも厄介すぎる状況に、エイジは自然とため息が漏れた。

 狂暴と用心深さのミックス。それがキマイラの覇王級たる理由ということが嫌な意味で実感できる。


「絶好のタイミングって言うと……。たとえば僕らが分断した時とかか?」

「察しがいいじゃないか。たしかに二人いっぺんより一人ずつの方がやりやすいって、判断する知能はあるだろうな、やっこさんには」


 即座にエイジの脳内で、あえて別行動をとることでキマイラを誘い出す作戦が立案された。

 しかしキマイラにどの程度の知能があるのか。罠と見破ってくる可能性もあるし、どの程度まで二人が離れれば、向こうが好機と判断して行動に移るかも未知数だった。


「なあモルギア。キマイラのこともっと教えて……」


 当時のエイジにしては珍しく、他人に教えを乞おうとしたその時だった。


 ガサッと枝葉を散らし、草むらから何者かが飛び出してきた。


「ッ!?」


 瞬間エイジの脳裏をよぎったのは、ついさっき逃げ去ったばかりのキマイラだった。

 高い知能を持つと言うが、まさか逃げたと思わせて油断した隙を突いてきたというのか。


「待てッ!」


 即座に反応しようとするエイジを、モルギアが制した。

 草むらから飛び出した何者かは、他ならぬモルギアを狙って向かってくる。


「大丈夫だ」


 モルギアは、難なく襲撃者の顎を掴み、右手だけで器用に投げ飛ばす。


 それだけで相手はキマイラでないと即座に判断できた。

 キマイラよりずっと小さくて可愛げがあった。


「コイツは……!?」


 先ほど見た野生児だった。

 この子どもはモルギアの連れであったはずなのに、何故そのモルギアを襲うというのか。


「戦いで弱ってると判断したんだろ。でも迂闊だな。キマイラの半分の注意深さもねえ」


 モルギアの右手と地面の間に挟まれて、ジタバタもがく野生児。


 このまま、襲撃に対する何らかのペナルティを課すのかと思いきや、あっさりモルギアは拘束の手を離した。


「戦闘中身を隠していたのは偉いが、まだまだオレを殺すには能力も判断も足りんよ。もっと成長して出直して来な」

「がぁぅッ!!」


 野生児は、キマイラよりよっぽど獣めいた声を上げて再び草むらへ飛び込んでいった。

 そして完全に姿を消してしまった。


「……大丈夫か? 何処からキマイラが狙ってるかわからない状況で一人にして?」


 一応エイジは心配してみせるが。


「アイツの野生の直感は、生半可なソードスキルよりよっぽど便利だ。キマイラに追われても充分隠れきれるさ」


 モルギアは気楽に取り合わなかった。


「一体何なんだあのガキは……!? アンタが保護してやってるんだろう? なのに弱みを突いて襲い掛かってくるなんて……!?」

「とんでもない恩知らずと思うか? そうでもない」


 モルギアは言った。


「アイツにとって、オレにあるのは恩どころか恨みだ。アイツにはオレに復讐する理由がある。多少保護してやった程度で贖いきれない罪がな」

「?」

「アイツが、辺境にある小村の生まれだってことは話したろう? その村がモンスターに襲われて、アイツ一人を残して全滅したと」

「あ、ああ……!」


 率直に、よくある話だとエイジは思った。

 冷酷かもしれないが、その程度で感情が動くこともないほど、この世界ではありふれた悲劇であるからだ。

 だからこそモンスターは、人類種にとって存在の許せない脅威であるのだが。


「そのきっかけを作ったのはオレだ」


 しかし、それでもなお揺れる感情を持つ勇者がいた。

 それが黒の勇者モルギアだった。


「アイツの家族は、オレが殺したようなものだ。だからオレは、いずれアイツに殺されてやらないといかんのだろう。償いのために」

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