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162 黒登場

 キマイラが居座るという峠まで、もう一息というところだった。


「……?」

「どうなさいましたエイジ様?」


 相手に感知されるギリギリ手前まで迫って様子を探ろうとしたところで、エイジの様子が変わる。


「この音……!」

「音?」


 他の者は気づかなかったが、エイジの鋭敏な五感だけが真っ先に異常を察知した。


 カキンカキンと、金属のぶつかり合う音。

 それに交じって獣の唸り声が聞こえてくる。

 微かにだが、たしかに。


「まさか……、もう戦っている? でも誰が……!?」

「あッ!? エイジ様!?」


 突然駆け出すエイジに、取り巻きたちは大慌て。


「ギャリコたちはそこで待機! サンニガはこの場を守れ!!」

「待て兄者! 私も行く!」


 追いかけようとするサンニガの首根っこを掴んで、引っ張り戻す者がいた。

 セルンだった。


「指示を守れと散々言われたでしょう! エイジ様には私が付きます!!」


 エイジとセルン、同時に峠道を駆け登り、登り切ったところに見たのは、本当にキマイラと戦う何者かの姿だった。


 総身真っ黒の刀身が、太陽光を反射して黒曜石のように煌めく。


「あの剣……! まさか聖剣!?」


 エイジと共に坂を駆け登ったセルンが、驚愕と共に言う。


「間違いない……、ヤツは、黒の聖剣を賜りし勇者モルギア」


 獰猛な獣を相手に、一瞬も留まることなく舞う黒剣。

 持ち手を中心にぐるぐると周り、使い手自身もモンスターの攻撃を避けるために飛び跳ねるので、その様はさながら黒蝶が舞い飛ぶかのようだった。


「何と言う流麗な剣技……!? 今まで見たどの剣筋とも違います……!?」

「水のごとく流れ渦巻き、千変万化にして留まることなし。……それが黒の勇者の剣筋だ」


 エイジの解説通り、キマイラから繰り出される猛攻は、一撃として敵に命中せず、まるで水を掻き分けるかのような無意味さだった。


「でも何故、黒の勇者がこんなところに。エイジ様、あの人が本当に黒の勇者なのですか……!?」


 謎多き黒の勇者と面識のないセルンはあまりに唐突な展開に窺わざるをえない。


「たしかにモルギアだ……! 僕も俄かに信じがたいが……! あのキマイラに、因縁のモルギア……! 何かの運命なのか……!?」


 あらゆる人々を置いてきぼりにして繰り広げられる死闘。

 しかし攻撃を行うのは常にモンスターの方。黒の勇者はヒラヒラかわすばかりで、一向に反撃に転じない。


「あのキマイラ……! 本当に山羊の頭がありませんね……!?」


 通常ライオン、山羊、蛇の三頭を備えているはずのキマイラの体には、前情報通り二つの頭しか存在していなかった。


 あるのはライオンと、蛇の頭のみ。

 山羊の頭のあるはずだった場所には、痛々しい古傷が残るのみ。


「黒の勇者の、執念だ……!」

「それは……!?」

「狙っている。今も。攻撃せず回避に徹しているのは、必殺のタイミングを計っているからだ。黒の勇者だけが使う、『一剣倚天』に並ぶもう一つの究極ソードスキル……!!」


 その話は以前にもあった。

 覇勇者だけが使い、全ソードスキルの頂点に立つはずの『一剣倚天』。


 その絶技に並ぶソードスキルが他にあるわけがない。

 それが常識のはずだった。


 攻め続け、避け続ける均衡はいましばらく続いた。

 エイジとセルンはその場に駆け付けながら戦闘に加わらないのは、モルギアの放つ気迫に圧倒されるから。


 これは自分だけの勝負だと、物言わずして剣気が叫んでいた。

 邪魔をするなと。


 その気迫に押されてセルンなどは足が固まって動けずにいた。


 一方エイジは確信があって動かなかった。

 必殺の時が迫っていると。


 攻防の経過に苛立ちを覚えたキマイラが、不用意な一撃をモルギアへ向けて放つ。

 爪を剥き出しにした四肢の前足が、モルギアに向けて迫る。


 人間族など一撫でて三つにも四つにも斬り分けられるほどの。


「今だッ!! あの攻撃なら理想的に返せる!!」


 エイジの判断と、モルギアの行動は合致した。


 敵たるキマイラの攻撃と同時に、モルギアもカウンターのように手を放つ。

 しかしそれは剣を持つ右手ではなく、空手の左だった。


「バカなッ!? モンスターの攻撃を素手で捌くというのですかッ!?」


 セルンの指摘通り、キマイラの前足とモルギアの左手が交差した瞬間、人間族であるモルギアの方が体ごと吹き飛ばされた。


 モンスターの剛腕は人間族一人はね飛ばすには充分すぎる威力があった。


 モルギアが勢いのままに猛スピードで、空中で体を何回転もさせる。


「いや、このままでいい!!」

「ッ!?」


 エイジは言う。


「あれが、もう一つの究極ソードスキル。敵の攻撃をあえて受けることで、その威力を取り込み、刀身に乗せてそのまま返す!!」


 空中で猛回転するモルギア。


 その回転の勢いのまま、黒の聖剣が振り上げられる。


「敵の攻撃が強ければ強いほど、反撃の威力も増す。だからこそ格上の覇王級にも通じる剣撃となる。敵の力量に応じて斬れ味鋭くなるゆえに、理論上斬れないものはない……!」


 それが黒の勇者の使う因果応報の剣。


「……ソードスキル『方円随器』」


 黒い刀身が、キマイラの体を縦一文字に斬り裂いた。


『ギャアアアアッ!!』


 獣から苦悶の咆哮が上がる。


「やった!?」

「まだだ、浅かった!?」


 エイジが判断した通り、キマイラは傷を負いながらも足取りをしっかりし、倒れる様子がない。


 逆に、技を出し切り隙だらけのモルギア目掛けて追撃を放つ。


「いかんッ!!」


 即座にエイジが傍観をやめて、二者の間に乱入する。


「んぎぎぎ……! このぉッ!!」


 相変わらず鞘から離れようとしない魔剣キリムスビを無理やり引き抜いて、寸前でキマイラの爪を弾き返す。


『……ッ!』


 狡猾なキマイラは、増援に気づくとすぐさま後退し、逃げ去ってしまった。


「あっ、待て……!」

「追うな! 言っただろうヤツは狡賢い。不用意に追跡すると逆撃を食いかねない」


 魔剣を鞘に戻し、その場はこれで治まった。


「……え、エイジ?」

「久しぶりだなモルギア。因縁の相手を仕留めそこなったか」


 モルギアは、そこで初めてエイジの存在に気づいたようで、呆然とした表情で見上げる。


「今の『方円随器』は失敗だな。空中で回転しすぎて、キマイラからもらった攻撃の威力を分散してしまった。だから致命傷を与えられなかったんだ。あれでは『もう一つの究極ソードスキル』の誉れにほど遠い」


 咎めるような口調だった。

 まるで先輩が後輩を責めるかのような。


「私心で剣筋が曇ったか。先代から受け継いだ絶技を四年経ってもモノにできずにいたとは」

「エイジ様……!」


 セルンが駆け寄る。

 しかし、場の刺々しい雰囲気にどう声をかけていいかわからず立ちすくむ。

 それでも意を決し……。


「エイジ様……! その方が……!?」

「ああ、黒の勇者モルギア。いまだ先達の域に至らぬ半人前だ」


 モルギアは、失敗した奥義の反動でへたり込んでいたが、息を整え立ち上がった。

 長い髪が、直立してなお地面に届かんばかりだった。


 手足は生傷と土ぼこりに塗れ、靴も履かず裸足のまま。


 五体はガッシリと大人として完成しつつあるが、いまだに全体の印象は野生児そのものだった。


「先代から、その名と黒の聖剣を受け継いだ二代目モルギア。それなのに彼のもっとも得意とした剣技はいまだに受け継げていない」


 四年前にエイジが出会ったモルギアと、今日再会したモルギアは別の人物だった。


 野生児のうつろな瞳が。

 四年前に起きた出来事の凄惨さを物語っていた。

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