160 異形の子
エイジが、言われた通りよく目を凝らしてみると、たしかにそこに人がいた。
幼い少年のように見えたが、しかしほとんど獣と変わらなかった。
全身を覆い尽くさんほどに伸び放題の髪の毛。その毛隗から飛び出すかのような何日も洗っていないのか垢と土塗れだった。
靴も履かず裸足。
そのあまりに野性味溢れた様相に、エイジは一見のうちに顔をしかめた。
「なんだあれは……?」
草葉に隠れながら、けっして全身を晒さぬよう。警戒心を全開にしつつ、エイジたちへ向ける視線を外さない。
しかし、感じた殺気はあの少年が放ったものでたしかなようだ。
人間の放つ殺気を、モンスターの放つ殺気と取り違えるとは……、エイジは自分の判断ミスにショックを受ける。
「人なのか? アレは、本当に?」
「酷い言いようだな。あれでも立派な人間族だぜ」
モルギアはまったく落ち着きを崩さず、逆にその野生児へ呼びかけた。
「おーい! お目当てはもう見つかったのか!?」
「…………」
しかし野生児は何も答えず、再び森の奥へと引っ込んでしまった。
「……見つけたらしい。ここからは急ぐぞ。いちいち待ってくれる優しさはアイツにはないからな」
「は? 見つけた? 追う? どういうことだ?」
しかし答えることもせずモルギアは駆け始めたので、エイジも慌てて追わなければならなくなった。
木々が連なり障害物だらけの森林を、モルギアは何もないかのように真っ直ぐ駆け進んでいく。
「おい、勝手に行くな! 説明ぐらいしろ! あの獣みたいな子どもは何なんだ!?」
「アイツは勘がよくてな。野生の感ってヤツか。それで遠くにいるモンスターの気配を敏感に察しとる」
「ッ!?」
それが意味するところを、エイジは明敏に推察した。
「まさか、アイツの行く先にキマイラが……!?」
「アイツの探知能力は、音とも匂いとも関係ない。だから追われる側にとっても察知が難しいんだ。狡猾なキマイラに対してはこれほど有効な追跡法はない」
しかし野生児は、その外見に見合ったアクロバティックな移動でエイジたちを困惑させる。
意図的にエイジたちを振り切ろうとしているかのようだった。
「勇者二人が付いて行くのにやっとなんて……! どんな脚力だよ……!!」
エイジはずっと混乱の極致にあった。
そもそもあの野生児が何者なのかということ自体について、モルギアからも野生児当人からも説明は一切ない。
「オレが巡回中に拾った子どもだ」
と思ったらモルギアが説明した。
「最初はもっと大人しかったんだがな。連れているうちに何故か野生化しちまった。オレの育て方が悪かったんだろう。所詮オレには剣を振るしか能がないらしい」
「だが……! アンタが巡回していたのは人のいない辺境だって言ってなかったか……!?」
「『人間族とネズミはどこにでもいる』って聞いたことないか? たとえ険しい辺境であろうと少数だが人はいて、小さいながら集落もある。アイツが生まれたのも、そうした集落の一つだった」
「だった……?」
「今はもうない。モンスターに滅ぼされてな。オレが駆け付けた時には、生き残りはアイツ一人だった」
近辺に別の集落もなく、置いていくわけにもいかないので同行させることにしたという。
「ただ、家族や故郷を失ったショックなのかな。言葉が喋れず、まともなコミュニケーションも取れない。治療法もわからず、そのままにしていたら立派な野生児と化しちまった」
「アンタ……!?」
「しかも、その野生の勘を利用して斥候役まで任せてるんだからなおさら罪深いよな。本当なら、孤児院にでも託して、まともな精神状態に戻してやらないといけないといかんのに……!」
勇者失格だな、とモルギアは自嘲した。
そうして話している間も、野生児は容赦なく森の中を進み、エイジたちは必死についていく。
そして急にストップした。
「おおう……ッ!?」
あまりに急なので、エイジは疾走の勢いを殺しきれず、つんのめって転びそうになった。
勇者としての意地で、何とか踏みとどまる。
「いきなり止まるな! 何処まで自由なんだこの野生児!?」
「黙れ」
モルギアが静かに、しかし鋭く制した。
「コイツが止まったってことは、ここがギリギリの範囲だってことだ。みだりに騒ぐな」
「ヤツ……!?」
「決まってるだろう、キマイラだ」
キマイラは覇王級の中でも狡猾で、警戒心が強いという。
そんな相手に不用意に接近するのは愚でしかない。
あの野生児は、それこそ野生の勘でキマイラの感覚が及ぶ範囲を見抜き、そのギリギリ手前で立ち止まったというのか。
「くれぐれも気をつけろよ。キマイラは強豪のくせに、並のザコより遥かに目端が利く。……何しろ、目が六つあるからな」
「目が……、六つ……!?」
どういうことかとエイジが疑問に思うより先に、奇怪な奇声が上がった。
「キシャアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
それは野生児の放ったものだった、頭上を睨みつけ、全身を震わせるのは威嚇のつもりか。
「やはり気づかれたか! コイツの野生をもってしても隠れきれないとは!」
一瞬遅れて、天を覆うような巨体が上方から振ってきた。
それは紛れもない獣だった。
毛むくじゃらの四肢持つ獣。
ただし当然のように異形だった。
異形の主体は、その獣が持つ頭の数。
全部で三つある。
獅子を思わせる胴体から獅子の頭があるのは普通だが、それに加えて、本来草食獣である山羊の頭が枝分かれして伸びていた。
さらに頭部とは正反対の後部、尻尾が伸びているはずの部分から代わりに伸びているのは蛇の体。
尻尾の先が蛇の頭となって、エイジたちにシャアア、と威嚇のうなりを上げている。
「これが……! キマイラ……!!」
「そうだエイジ! 最初に言っとくがヤツに死角があると思うなよ! 三つの頭に六つの目だ。山羊の頭は広い視界で全方位を見渡し、蛇の鼻先は匂いでなく獲物の体温を嗅ぎ分ける! さらにライオンの目と耳はハンターとして調整されたものだ!!」
キマイラは、警戒心たっぷりにエイジたちに唸りを上げた。
今はまだ、相手が獲物なのか敵なのかを用心深く見定めている段階なのだろう。
黒の勇者モルギアが、旅装マントの内側から右手を出した。
そこには既に、黒の聖剣が握られていた。
エイジは初めて目にする聖剣だったが、他のものよりも武骨で切っ先がなく、剣よりも鉈という印象だった。
そして刀身は、黒の聖剣というだけあって当然のように黒曜石のごとく漆黒だった。
「オレが正面を受け持つ。エイジは後方に回って蛇の尾を牽制してくれ。だが、蛇だけに集中するなよ。アイツらは三位一体。驚くような連携で襲い掛かってくる!!」
エイジも青の聖剣を引き抜き、野生児は変わらず悲鳴のような唸り声を上げていた。
かくして、青の勇者と黒の勇者の共同討伐が幕を挙げた。





