158 追憶
四年前。
その頃エイジは、いまだ聖剣院に所属する勇者の一人だった。
手には青く輝く聖剣があり、モンスター出没の噂を聞いては向かって両断する。
そうして人間族の勢力圏内に留まらず地上各地を飛び回る毎日だった。
権威を示すため、所属の勇者は出来る限りコントロール下に置いておきたい聖剣院とはケンカの毎日。
待機命令を無視して、発見した傍からモンスターを殺すことなど日常茶飯事だった。
聖剣院は、諸王国へ借りを作るため自発的にモンスターを駆除しない。
村や街に実害が出て、正式な討伐依頼を受けて初めて勇者を動かし、その見返りとして金品を要求する。
エイジはそんなことおかまいなしだった。
モンスターの存在が知られれば、一人の犠牲者も出す前に仕留める。
それが当たり前ではないか。
という建前はあるものの、実際のところ当時のエイジにとってはもっと大きな命令無視の動機があった。
単純に聖剣院のことが嫌いだったのだ。
だからこそ相手の困ることを行いたい。聖剣院が『戦うな』と命じてくれば率先して戦うのが、在りし日の彼。
そんな捻くれた反発心の権化だったエイジにも、昔から変わらず逆らえない相手がいた。
覇勇者グランゼルドその人。
ある日エイジは、グランゼルドから呼び出しを受けた。
勇者としての出動命令だった。
* * *
「今回発見されたモンスターは覇王級だ。お前にはまだ手に負えん相手。けっして急いて戦ってはならん」
そんなことはない、と若いエイジは生意気を言った。
まだ少年と言っていい年頃だったが、才気煥発。全ソードスキルの半分以上を使いこなし、究極ソードスキル『一剣倚天』を極める基礎修練に入っていた。
そんな生意気盛りだったので、覇王級モンスター何するものぞと反発心が煮えたぎったが、そんな麒麟児すらグランゼルドの前では仔馬のようなものだった。
「無論、覇王級となれば、覇勇者たる私みずから滅殺するべきところだが、今回二ヶ所同時にモンスターが発見された。最悪なことに両方とも覇王級だ」
さすがのグランゼルドも体を二つに分けることはできない。
一度に対処できるのは一ヶ所一体のみ。
「そこで私が一方の討伐に向かっている間、もう一方を足止めする策をとることにした。しかし足止めといえど、覇王級相手にそれを果たせる手錬は限られている。エイジ、お前がその大役を担うのだ」
倒してしまっていいんでしょう、と気軽に問うた結果、「バカ者ッ!!」と大いに怒鳴られた。
「小僧が、まだまだ図に乗れる腕前と思うなよ! 重ねて言うが覇王級はまだお前の手に負えん! 正面からぶつからず足止めに徹するのだ! いいな、絶対に倒そうなどと思ってはいかんぞ!」
そうしつこく念押しされると、逆に戦えと言われているような気分になる。
グランゼルドも、このまだまだ心身不安定な愛弟子がちゃんと指示に従うか、不安を消しきれない様子だった。
「だったら……」
そこにもう一人の声がした。
潤いを失った、年経た男の声だった。
「オレも一緒に行っていいすかね?」
「?」
声のした方へグランゼルドは振り返り、同時に目を見開いた。
「モルギア!? 戻ってきたのか!?」
エイジが、黒の聖剣の勇者モルギアを見たのはこれが初めてだった。
一見してくたびれた中年男性にしか見えない風体で、勇者というにはあまりにきらびやかさが足りない。
砂埃に塗れた旅装マントを羽織り、無精髭たっぷりの顔は、妙に愛嬌がよい。
一見して親しみやすそうな印象だったが、それが勇者として正しい佇まいなのかエイジにはわからなかった。
「アンタが……、正体不明の黒の勇者か」
エイジも驚きに呟かずにはいられなかった。
「おう、初めまして新人さん」
そう言って黒の勇者モルギアは、エイジの頭をワシャワシャ撫でた。
肩書きは双方勇者。同格に対して無礼な振る舞いと言えるが、年齢的にまだ少年のエイジへ、中年のモルギアがするには自然な印象に収まる。
その横でグランゼルドが、優しげな苦笑を漏らした。
覇勇者の笑顔は聖剣院において非常な珍事だった。
「まったくお前は……! 消えるも現れるも気まぐれで困ったものだ。今回はどこを徘徊していた?」
「徘徊はひどいじゃないですか。こちとら聖剣院の目が届かない辺境地をくまなく回ってモンスターを殺してるんですぜ。ねぎらいの言葉もあっていいじゃないですかい?」
「まったくだ。……失礼したモルギア。お役目ご苦労であったな」
「覇勇者みずからの慰労、痛み入ります」
そのやり取りを傍から見て、エイジは心底驚いたものだった。
グランゼルドが、このように畏まった態度をとるのは聖剣院長相手でもないことだった。
戦友同士が見せる惜しみない交友のあと、古強者の目がエイジに向いた。
「……で、このガキがアナタ秘蔵の天才少年ですか? なるほど生意気そうなツラしてやがる」
「困ったことに、生意気になれるだけの才気を備えていてな。上手く鍛えて、私のあとを継がせたいと思っている」
「本人の前で言っちゃ、ますます調子に乗りますぜ。アナタが愛弟子を猫っ可愛がりするとは知らなんだ」
そんなことはない。
エイジにとって恩師グランゼルドとの思い出は大半が叱られたことであり、ここまで明け透けに褒められたことなど今まで一度もなかった。
それゆえに飛び上がりたい心地のエイジであったが、同時にグランゼルドともあろう者が思わず本音を零してしまうのは、黒の勇者が相手であればこそ、ということも理解できた。
「それほど自慢の愛弟子であれば、その腕前、戦いでたしかめてみたいものですなあ」
「うん?」
「さっきも言いましたが、覇王級モンスター足止めの任務、オレにも拝命くださりませんか。勇者二人も揃えば、より安心でしょう?」
「モルギア……!」
グランゼルドに戸惑いの色が浮かんだ。
長い不在から帰還したばかりだというのに、すぐまた戦いに出るのか、という意味での戸惑いだとエイジは推測した。
それが見当外れだったことを、若いエイジはのち知ることになる。
「……大丈夫なのか?」
「まだなんとかね」
ほんの少しだけ深刻げなやり取りを交わし、グランゼルドはため息をつく。
「よかろう。……黒の勇者が出てくれるならば、命令は一部変更しなければいかんな」
「?」
「改めて命じる。黒の勇者モルギア及び青の勇者エイジ。両名は協力し、覇王級モンスター討伐を成し遂げよ」
足止めの命令が、討伐命令に変わった。
エイジ単独の時点ではあれほど執拗に『戦うな』と注意していたのに。
「エイジ」
彼の動揺を見透かすかのようにグランゼルドは言い添える。
「モルギアの剣技は、現四勇者の中で間違いなく最強だ。彼を援け、彼からよく学べ」
「いやいや、こっちこそ天才くんの剣技、勉強させてもらいまっせ」
何処までも飄々としたモルギアの態度に、若い反骨心が即座に燃え上がった。
『戦場でコイツより手柄を立ててやる』と、エイジは心に誓った。
「……では討伐隊を編成してきます。兵数は僕の判断でやっていいですね?」
「いや」
忙しなく退室しようとするエイジを、グランゼルドが止める。
「今回、兵の動員はなしだ。相手が相手だからな」
「え?」
「生半可な者では役立つ前に食い殺される。今回お前たちに当たってもらう覇王級モンスターはキマイラなのだから」





