146 魔を動かす
そんな大変な時ではあるが。
ギャリコは唐突に幻影を見た。
* * *
戦闘に入るとまるで役に立つことのできない彼女ではあるが、さすがにエイジやセルンが必死に戦っているその時に眠りこけていられるのは良心が咎める。
しかし彼女は、その幻覚を振り払うことができなかった。
何故なら幻影となってギャリコの前に現れたのは、過去彼女にもっとも絶望的な恐怖を与えた相手だったから。
『あの男が好きか?』
と馬が言った。
馬が人語を介すること自体、幻覚の荒唐無稽の成せる所業だろう。
『あの男に抱かれたいか?』
「ぶッ!?」
その明け透け過ぎお質問に、ギャリコは噴き出した。
「馬風情が何てこと聞いてくるのよ!? このスケベ!!」
『俺は処女が好きだ』
馬が言った。
ただし普通の馬ではない。額から一本、刀剣のごとき鋭い角が生えている。
覇王級モンスターでも王者の格と恐れられるハルコーン。
はるか以前にエイジによって両断され、息絶えたはずの凶馬。
『嫌いなのは男に抱かれた女だ。むしろ男より嫌いだ。男はせっかくの処女を汚してしまうから嫌いだが、それをしないなら男はそんなに嫌いではない』
むしろ……。
『一部の強い男は好きだ。俺の角を折ったアイツや、俺を斬り殺したアイツなどには敬意を持っているぐらいだ。強い男はいい、俺と戦ってくれるから』
「アンタの好みなんて聞いてないわよ!」
ギャリコは、いい加減この幻覚から逃れたくて叫んだ。
「というか何なのよこれ!? アタシ夢でも見てるの!? エイジたちはどうなったのよ!? たしか滅茶苦茶ピンチの真っ最中で……!」
『俺が非処女を嫌いなのは……!』
「まだ語るのか馬!? いい加減こっちはそれどころじゃないって察しなさいよ!?」
『子を生む女が、女神どもを思い出させるからだ』
女神。
この世界にモンスター災禍を送り込んだ元凶。
『そう、俺は女神こそがもっとも嫌いなのだ。アイツらは俺たちを生み出して、出来るだけたくさんの人類種を殺してから、人類種に殺されろと命じてきた。アイツらは俺たちを何だと思っている?』
馬体からふつふつと怒気が噴き上がってくるのをギャリコは察した。
誇り高き最強モンスターの憤慨。
『アイツらは俺たちを侮っている。アイツらは俺たちの生み主だが、それだけで俺たちを自由にできると思っているのか? だから俺は女神が嫌いだ。女神どもを思い出させる子どもを生んだ女も嫌いだ』
しかし、だからこそ……。
『その女神を斬るという、あの男を助けてやってもいい』
「!?」
『もはや俺には命なく、物言わぬ道具と化してしまった。それでも魂は宿っている。あの熱き神の祝福が俺を霊的に解放してくれた。お前たちの乳臭い匂いの染みついた鞘を通じて、こうして語らえるのもその証拠だ。お前たちの恋心が宿った鞘はとても居心地がいい』
まるで、母親に抱かれているかのように。
『あの男を助けたいなら。心からそう念じて見るがいい。鞘を通じて、俺とお前たちは繋がっている。お前たちの想いを俺が力に変えてやろう。今や器物となった俺に力が宿れば、それを振るうアイツの力になる』
「アタシたちを助けてくれるの!? モンスターであるアナタが……!?」
『今は違う。俺はただの斬り裂く道具だ。お前が俺を作り出した』
母が子を生むように。
『俺は処女が好きだから、あの男に抱かれる前のお前なら助けてやってもいい』
* * *
瞬時、ギャリコは現実に引き戻された。
気づくと同時にセルンと目が合った。イザナミのヘドロを必死に食い止めていた彼女も、一時剣を振るう手を止めていた。
ギャリコと同様の幻覚を見ていたのかもしれない。
それですべてを懸ける気持ちになれた。
「エイジ!!」
勝利へと続くただ一人の名を呼ぶ。
「剣を鞘に収めて! 今すぐ!!」
* * *
それを聞いて驚いたのはエイジだった。
「はあッ!?」
ちょうど邪魔する大長老と対峙していた時なので、エイジは大いに戸惑った。
まさかギャリコまで大長老に賛同するのかと。
「いいから言う通りにして! それが多分、解決に一番近いルートだから!!」
「私からもお願いしますエイジ様!」
セルンも一緒に叫ぶ。
「魔剣キリムスビを、私たちの鞘に戻してください!!」
戸惑うしかないエイジだが、彼女たちを信じるのに言葉はいらない、そう言う段階に至るほど、ギャリコともセルンとも苦楽を共にしたではないか。
エイジはさほど迷うことなく、魔剣キリムスビを鞘に戻した。
「そうだ、それでいい」
オニ族の大長老は、エイジが自分に従ったと勘違いして満足した。
「オニ族がイザナミ様に逆らうなどあってはならんことなのじゃ。これより我ら、必死の気構えでイザナミ様をお鎮めする。たとえ最後の一人まで死穢に飲み込まれようとイザナミ様のために……」
「魔剣キリムスビが完成してから」
エイジは言った。
剣を鞘に収めた瞬間、すべてを悟ったような感覚が彼を襲った。
「それを振るうたび、まったく同じ感覚が僕の手に伝わってきた。何かが繋がりそうで繋がらない。そんなもどかしい感覚だ」
その感覚のために、エイジの『魔剣は未完成だ』という想いが強く蟠っていた。
「しかし何故だろう、今この瞬間、繋がらないものが繋がりそうな予感が全身に満ち満ちている。思えば今回の旅は……」
高山で天人族に出会い。
谷底でオニ族に出会う。
魔剣キリムスビとエイジ自身を構成するさまざまの要素を解明し、理解し直すための旅であった。
エイジにはそんな気がしてならなかった。
エイジの中に流れる人間族の血とオニ族の血が、気剣合一の理合をエイジの中に成立させた。
魔剣キリムスビには、素材となったハルコーンの暴意と、祝福を与えてくれたウォルカヌスの優しさが。
そして忘れてはならない。魔剣に想いを込めてくれたギャリコ。エイジをどこまでも尊敬するセルンの想い。
それらがすべて混然一体となった時に……。
「今まで繋がらなかったものが繋がる」
究極ソードスキル『一剣倚天』
その名の意味は『天に倚る一つの剣』。
天から放たれる剣は生も死も等しく斬り滅することができるという。
「両頭(生と死)を共に截断すれば……」
エイジの右手が、魔剣の柄に。左手が鞘に添えられた。
そして抜き放つままに放たれる剣閃。
「一剣、天に倚って……」
寒じ。





