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144 境界砕き

 光が放たれたのは、ギャリコの手からだった。


「えッ!? 何!? どういうこと!?」


 正確には、ギャリコの手に握られるもの。

 それは一振りの、木製の杖だった。

 無論ただの杖ではない。


 天神イザナギによって祝福を受けた特別なる杖だった。


「どうしてこの杖がこんな時に!?」


 当初は、魔剣キリムスビを納めるための鞘に掛けられた祝福だが、不適当とわかって破棄。

 その後、魔法によって杖に形を変えさせられた経緯を持つ杖。


 それでも、ここまでの道のりでは険しい山道に、一行の中で一番体力の低いギャリコが寄りかかっていたと杖本来の機能を果たしていた。


 そのため彼女の手にイザナギの祝福の杖はあったのだが……。


「きゃあッ!?」


 突如として驚いたようにギャリコは杖を手放した。

 ……ように見えたが違った。

 実際には杖自身が、凄まじい勢いをもってギャリコの手から飛び出したのだ。


 そしてみずからが飛行推進力を持つかのように、集落の上空を駆け進む。


「なんだ……!?」

「一体何が起こっておる……!?」


 これにはエイジや大長老も、戦闘を中断して見上げるしかなかった。


「ギャリコ! 何をしたんだ? どうして杖がいきなり舞い上がって……!?」

「そんなのアタシが聞きたいわよ!!」


 そんな下界の様子を意に介さぬとばかりに、杖は箒星のような軌跡を残しずついずこかへと飛び去っていく。


「どこへ向かおうというのか……!?」


 オニ族の大長老も、その様にどう対応していいのかわからず呆然と立ち尽くすが……。


「……この方向は、まさか!?」


 すぐさま何かに気づいて、天駆ける杖を追い始めた。


「おい、ちょっと!?」


 それを見てエイジたちも追いかけないわけにはいかないので追う。


「やはりあの方向……!? 狙いはアレか!!」

「何か心当たりがあるのか!?」


 老人とは思えぬ脚力で疾風のごとく疾駆する。

 そんな大長老にもエイジは余裕で追いつくことができた。


「あの方向は、我らが集落の奥底に続いておる……!」

「奥底……!?」


 こんな谷底にある集落のさらに底。


「そこには、あるものが祭られている。我らオニ族にとってもっとも大切なもの。代々守り、受け継いでいかねばならぬもの……!!」


 それは人類種一人分よりさらに大きな巨岩だった。

 名を、『千引の岩』といった。


「あの岩は塞いでいる。さらに地底深くへと続く穴を……」

「そこに封じられているのだ。……我らが創造神。女神イザナミ様が!!」


 エイジたちがたどり着いたその時、光を帯びた杖はそれこそ流星の勢いで急降下し、『千引の岩』と呼ばれる巨岩に深々と突き刺さった。


「ッ!?」



 杖の刺さった地点から中心に、罅が走る。岩の表面すべてを覆い尽くすように。


「何が起ろうとしているんだ……!?」


 そして巨岩は、あっけなく粉々に砕け散った。

 巨岩の消え去った跡には、大長老の説明通り大きな穴が開いていた。

 ぽっかりと、何処までも落ちていけるほど底がないような。

 穴の奥が黒々とした闇に塗りつぶされた大穴。


 その大穴の奥底から、風の音にも似た、しかしハッキリと言葉のわかる声が聞こえてくる。


『う、ら、め、し、や……』


 やがて這い出てきた。

 穴から這い出てきた。


 見る者すべての心を奪うほどに美しい女性。

 若く。

 瑞々しく。

 それでいて妖艶で色香に溢れつつ、母性すら漂わわせた。


 身に一糸も帯びず、豊かな乳房も剥き出しで、その魅了できない者はないと思えるほど。


 しかし、それは上半身に限ってのことだった。


 下半身は醜く腐り果てていた。

 糞尿とヘドロが交ざり合ったような液状の汚物が細い腰から融合して広がり、両足の代わりに這って、妖艶なる上半身を運んでいる。


「まさかあれが……!?」


 世界でもっとも美しいと同時に、身の毛もよだつほど醜く汚いその存在に、エイジの唇が震えた。


 遅れてやって来たギャリコ、セルン、サンニガも悲鳴を耐えきれない。


「あれが女神イザナギだと言うんですか……?」

「恐らくは」


 長老は答えた。


「ワシとてこの目で見るのは初めてじゃ。オニ族の大長老が代々受け継いできた伝承では、醜く成り果てた妻を天神イザナギが封印したという」

「は!?」

「我らオニ族は、その封印の守り部としてこの地に住み、外と交わることを禁止された。以来数千年、まさかこれほど簡単に封印が破られようとは……!?」


 その伝説の真偽はともかく、イザナミを封印したのがイザナギというのなら、あの杖の一撃で解除されるのは道理だ。


 あの杖にはイザナギの祝福がかかっていたのだから。


「でも封印を解いてどうしようって言うんだ……!?」


 イザナミの下半身から広がる……というより下半身そのものである液状腐土は、地面と接した瞬間、その土までも溶かして汚染していく。

 あんなものを生物が浴びたらひとたまりもないが、その液状腐土は際限なく広がって行って、このままでは程なく集落ヨモツヒラサカは覆い尽くされてしまうだろう。


「止めなければ……!」


 エイジはシナイをギャリコへ向けて投げ返し、そしてみずからの腰にある魔剣キリムスビの柄に手を掛けた。


 今こそこの剣の真価が必要とされるときである。


「イザナギ神が何を思っているのか知らんが、あの女神をあのままにしていいはずがない。あれは覇王級モンスターに匹敵する脅威だ。なんとしてでも止めなくては!!」

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