141 吐納武法
「何なのよ……!? 会っていきなり戦えだなんて……!?」
「闇人……、オニ? これまで会ったどの種族より滅茶苦茶です……!?」
ギャリコとセルンが見守る中、戦いの火ぶたは切って落とされる。
「ぬうううッ」
大長老が突き出す掌底。
しかし両対戦者の間にはいまだ間合いが大きく開けていて、まず互いに駆け寄りでもしない限り攻撃が当たるとも思えない。
だから今の掌底も、とてもエイジの下まで届かぬ無意味な行為に見えた。
だが……。
「ふッ!」
エイジは、自身のみぞおち辺りを庇うかのように手にするシナイを押し出す。
その途端、シナイは見えない何かとぶつかり合うかのようにギリギリと軋む。
「はッ!」
そして渾身の力を込めて見えない何かを押し返した。
「圧縮した空気を飛ばしたのか。さっきの人を押し潰したのもこれかな?」
「ただの一度で見切ったか。まして防ぎきるとは」
オニ族の大長老は、再び空気を抱え込むように大きく両腕を広げる。
「気を体内に収めることを納気。気を体外に吐き出すことを吐気。呼吸はその二つの作法で成り立っておる。呼吸を通じて体の内と外とを繋ぐことができ、ゆえに呼吸を極めれば、体の外にある、この手で触れることの出来ぬものすら自在に操ることができる」
大長老は再び手の平を押し出した。
しかも今度は左右の両手を同時に。
エイジは、襲い来る圧縮空気の二弾を、一方はシナイで受けつつ、もう一方を身を捩じってかわす。
「一度に受けきれるのは一発までか。呼吸スキル外気法『間の呼吸』。この段階まで進める者はオニ族においても少ない」
オニ族の大長老が圧縮空気を打ち出す感覚は驚くほど短く、途中から乱れ打ちの様相を呈してきた。
その猛攻にエイジは防戦一方。
縦横無尽にシナイを走らせ、我が身に触れそうになる圧縮空気弾のみを効率的に叩き落すが……。
「……既に『威の呼吸』を使っておるの」
大長老は、エイジの動きを見て言う。
「なるほどたしかに、我らのみの至宝であるはずの呼吸スキル、体得しておるようだな。しかし所詮呼吸による身体強化など呼吸スキルの初歩の初歩。『威の呼吸』程度子どもでも使えるわ」
「くっ……、『炉の呼吸』!」
さらに呼吸を整え身体強化率を上げるが、それに合わせて大長老も打ち出す圧縮空気弾の数を増やし、何が何でもエイジを押し切るかまえ。
「これで仕舞いか? 所詮外の者が使う呼吸スキルなど児戯に留まるか」
「……たしかに、僕の呼吸スキルは我流」
エイジが、シナイを上段から真下へと振り下ろす。
それだけで礫のような圧縮空気弾の無数が、一挙にすべて消えだった。
「何ッ?」
「何が起きたのッ!?」
観戦するギャリコたちも突然のことに戸惑う。
猛攻を断ち切り、余裕の出来たエイジは柄から手を放し、滑り止めの唾を掛ける。
「教わる人が誰もいなかったから、己が才能一つを頼りに試行錯誤を繰り返し、使えると思った身体強化を徹底的に突き詰めた。まさか他にそういう使い方があるとはね。勉強になる」
しかし、そんな呼吸スキルの幅広さを知ったところで、エイジにとって大した問題ではない。
「そんなスキルがあったとしても覚える価値はないしな」
「なんだと?」
その挑発的な発言に、大長老の眉がピクリと吊り上がった。
「何故なら僕にはソードスキルがあるからだ。昔、僕に剣を教えてくれた人に言われたよ。『気剣合一、それこそがソードスキルの最奥』だと」
気剣合一。
剣だけで斬るのではなく。気をもって剣を振るう。
それが叶った時、剣はただものを斬るだけの凶器に留まらず、あらゆる事物に通じ斬ることもできれば繋げることもできる神器と化す。
「一は多に通ずる。その一とすべきにもっとも都合のいいものがたった一振りの剣だ。アンタは呼吸によって体の内外を繋げると言ったが、それでは足りない。僕はこの剣を根源に、気の吐納を通じて世界のすべてと繋がり、世界のすべてを斬る」
グランゼルドのその教えに従い、エイジは呼吸スキルをあくまでソードスキルとセットにして鍛えてきた。
すべての呼吸は、剣を振るう彼の体を思うがまま走らせるために。
その先にある剣は、世界のすべてを繋げるために。
気剣合一。
その境地に達したからこそエイジは聖剣の覇勇者になれた。
「ソードスキル『真空破』」
エイジの繰り出した剣閃が、その周囲にある空気そのものを引き裂いた。
これではどれだけ空気を圧縮しようと無意味。
生み出された真空波が大長老の額を掠め、薄皮一枚を裂いて、たらりと血を流させた。
「加減したつもりだが、やりすぎたな」
シナイを肩にかける動作をしてエイジは言う。
「やはりシナイは扱いが難しい。刃が付いてないから、よほど頑張らないと真空波を生み出せる斬閃が作れないけど。だからこそ慣れずに加減を間違う」
勝負は決した。
少なくともオニ族の大長老が圧縮空気弾のみを戦いの手段とするなら、エイジは悉く『真空破』の斬閃で幾千の圧縮空気弾だとうと一薙ぎにて全滅させるだろう。
「……貴様は、呼吸スキルを侮るか?」
ややあって大長老が口を開いた。
額の傷はもう出血が止まっていた。
「呼吸スキルは、極めればあらゆることが可能となる。しかし貴様は剣のスキルがあるから、そこまでする必要がないと?」
「まあたしかに、今の時点で大抵のことはソードスキルでできるから、今さら呼吸スキルのあれやこれやを覚え直す必要はないかな」
「だが所詮、剣使いは剣がなければ何もなすことが出来ぬ。何事も剣を頼らねば何もできぬのであれば、それは真の完全者とは言えまい」
「それは大きな間違いだ」
エイジはきっぱりと言った。
「たしかに僕たち剣士は、剣がなければただの一般人と同じだ。聖剣院を出て、聖剣を手放した一時期それを身にしみて感じたよ」
しかしだからこそ。
「僕は剣に頼ることの有難味を……。僕のために剣を作ってくれる人の大切さを知ることができた。どのような強者であろうと、人に頼らず生きていくことはできない。傲慢になってはいけないということを剣は教えてくれる」
エイジはちらりとギャリコ――、そしてその隣に立つセルンを一瞥した。
「オニ族の大長老よ。アナタは強さというものを根本から誤解している。欠けた部分があるからこそ力は使う意味がある。真なる完全は、不完全すら備えているものだから」





