140 地底の生域
そしてエイジたちは到着した。
闇人改めオニ族の集落、ヨモツヒラサカへ。
「ここがヨモツヒラサカ……?」
「そう呼ばれていたこともあったらしいな。オレたちはそんな風に言うことは、とっくの昔になくなってしまった」
外との交流を断ち、自分たちの在所しか知らずに生きていけば、いちいち名前を付けて自他を区別する必要がない。
地底集落ヨモツヒラサカは、地底という割には明るく開け、しかし拭いようのない寂しい印象の強い種楽だった。
そこかしこに、かの光るコケや、光を吸収してみずからも輝く水晶があり、陽光差さぬ地の底といえど互いの顔を見分けられるほどに明るい。
粘土質の土を焼き固めて作ったと思われる家屋は飾り気なく質素。
そしてそんな街並みの中で、人の気配は少しも感じられなかった。
「……いや、息を潜めているのか?」
少なからぬ人々の吐息をエイジは感じ取った。
「アンタたちが来ることは先に知らせておいた。掟に従って身を隠しているのだ」
しかし、長い空白の末に現れた外からの来訪者。
やはり興味を抑えきれないのか。
いくつもある建物の間でに目をやると、子どもらしい小さな影が驚いたように頭を引っ込めた。
「僕たちはどこに向かっているんだ?」
「集落の奥に、獄卒を育成するための修練場がある。そこで大長老がお待ちだ」
「獄卒?」
「我らオニ族において、集落の警護や異変の調査を行うために訓練された強者のことだ。オレたちも皆、大長老から一定のお墨付きを得た獄卒だ」
戦闘職ということらしい。
「オニ族も、モンスターと戦うのか?」
「魔物か、オレは生まれてこの方一度も見たことがないな」
明らかに三十代に達しているだろう年配オニが言う。
「創世の始め、我らが創造主イザナミ様は、子たる我々を魔物の脅威から守るため、このような地の底を住処に定めたという。そのおかげで魔物たちもここまで攻め込むことはない」
モンスターのことは伝承でしか知らないという。
「オレたちは、女神イザナミ様に守られた種族なのさ。だから俺たちはこうして日々を安らかに過ごしていける」
「…………」
オニ族たちは誇らしげに語るが、そんな中にエイジは言い知れぬ違和感を覚えた。
とても小さく、言葉にできないほどの違和感であったが。
なお、遭遇初期の時はあれほど喧しかった女オニ族サンニガは、移動中ずっと押し黙っていた。
しかし沈黙のままにエイジやセルンを睨みつける目には、たしかな憤懣に輝いていた。
* * *
「着いたぞ」
エイジたちがたどり着いたのは、野外の広々とした空間だった。
地面は気味が悪いほど平らで、人工的に均してあることがわかる。
修練場ということで厳めしい建物を想像していたエイジだが、こんな地の底では雨の心配も必要ないのだろう。
自然のままにシンプルに。
それがオニ族のスタイルのようだ。
ただ、平らな地面には何かしら幾何学的な文様が描かれ、それが複雑な上に充分な広さのある修練場にびっしりと埋め尽くされて気が遠くなる。
その中央に、老人が座っていた。
しかし全身が漲るように張り詰めていて、見れば見るほど老人という印象が薄れていく。
なのに長く伸びる白髪や、顔に刻まれた深い皺を見ると老人でないとも思えない。
老人と言うにはあまりに力強く。
若者というにはあまりに乾涸びている。
そんな矛盾を持った人だった。
「大長老」
そんな老人へ、あの分別顔のオニが駆け寄る。
「先に報告が届いているかと思いますが、外より参った我らが同胞をお連れしました」
「たわけ」
老人は言った。
物静かであるが、余人を寄せ付けぬ冷酷さのこもった声色だった。
「そんなことがあるわけがない。我らオニ族は、この集落の外には一人足りとておらぬ。おらぬものが外から訪ねてくるわけがないではないか」
「私も最初はそう思いました。ですが来訪者の使う呼吸スキルは、たしかに我らと同じもの。これを同胞と呼ばずしてなんと……。ぐあッ!?」
その瞬間だった。
分別顔のオニがひとりでに吹き飛ばされ、大きく宙を舞った。
「危ない!?」
慌てたエイジが駆け出し、地面に激突する寸前のオニを受け止める。
オニの胸部には、深々と手形の痕があった。
「なんだこれは……? いや、こんなに深くめり込んでいたら、ろっ骨が折れているかもしれない。医者は!? 医者はいないか!?」
エイジが叫ぶと、やっと他の者も硬直を解いて仲間の下に駆け寄る。
「あまり激しく揺さぶるなよ。ろっ骨が折れていたら臓器に刺さるかもしれない……!」
負傷した分別顔のオニは、両側から支えられて修練場を出ていった。
自然、エイジと大長老の間を取り持つ者はいなくなり、直接対決の構図となる。
「オニ族っていうのはスパルタなんだな。気に入らない報告をするだけで重傷を負わせるのか?」
「イザナミ様の定めた禁忌。余所者を村まで招き入れたのだ。本当ならあのまま心の臓まで押し潰してもよかったのだが」
長老が、結跏趺坐の姿勢から立ち上がった。
しかし座の姿勢から一瞬の間もなく立ち上がったように見え、その途中の段階を誰も確認できなかった。
「審判を下すのは、真実をたしかめてからにしよう」
「真実? 何の?」
「貴様の操る呼吸スキルが、真に我らと同じものであるか。もっとも直截な方法であろう。紛い物であれば、そのまま殺すこともできる」
大長老は、己が両手を左右に広く伸ばした。
まるで周囲の空気を覆い尽くすかのように
「戦いの構えか」
エイジはシナイを抜き放ちかまえる。
「ほう、そんなナマクラでよいのか? 刃の付いた剣でなくてよいのか? このオニ族の大長老アルテイを見縊れば……」
すぐさまその場で死ぬことになる。





