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136 黄泉津平坂

 女神イザナミの住まうヨモツヒラサカは、天人たちの集落よりさらに秘境の奥底にあった。


 アスクレピオス山脈を越えて、さらに先に進むと、エイジたちは大地を真っ二つに両断するかのような深くて長い谷に出会った。


 地溝、というものだろか。


 谷は左右に長く伸び、地平線に隠れてその端が見えない。そして谷の深さも、闇に隠れて底が見えぬほどだった。


「まるで……、世界の果てに来たかのようですね……!?」


 セルンの呟きに、エイジもギャリコも同意した。

 天人たちから収集した情報がたしかならば、この谷の底に闇人の集落があるという。


 問題は、そこまでどうやって降りるかだが、幸い安全に下れそうな緩やかな勾配を見つけ、そこから慎重に谷底へと下る。


 しかし相当深いのか、どれだけ進んでも終わりは見えなかった。


「……ねえ、どれぐらい進んだのかしら?」

「わかりません……」


 何の奥底まで下ると、日の光も届かず周囲は真っ暗。

 今が昼か夜かもわからず、エイジたちの時間の感覚は完全にわからなくなっていた。


 そして、何年もかかったかのような膨大な経過感の末に、エイジたちはようやく谷底にたどり着いた。


「これは……」


 底は、意外にも明るかった。


 谷底の地面や側壁には、みずから光を放つ苔らしき植物が青白い光を放っていて、さらに地下から自然出土したかと思われる水晶質の鉱物が光を吸収し、みずからも光を放っていた。


 幻想的な光景に、訪れた者たちは息を飲む。


「……僕たち、これまで随分あちこち旅してきたけど、ここまで変わった風景に出会ったのは初めてだな」

「思えば遠くへ来たもんだ、って気が唐突にしてきたわ」

「見てくださいエイジ様」


 セルンが何かに気づいたようだ。


「川です。谷底だから当たり前かもしれませんが、流れている水はかなり綺麗で、飲用にもできそうです」


 谷底とは言っても、谷自体が恐ろしく巨大なため、底の面積も常識を覆すほど広い。縦の長さは無論のこと、左右の断崖を結ぶ横の距離も、街の一つ二つ収めるに充分なスペースがあった。


 川は、そんな巨大な谷底のほんの一部を占有する細い支流。

 それでも、人類種一人を溺れさせるに充分な水量を湛えていた。


「もし本当に、こんな谷底に人が住んでいるとしたら、水は必ず必要です。この川を生活用水として利用している可能性は極めて高いかと」

「この川に沿って行けば、ヨモツヒラサカに行き当たるってことか」


 セルンの案を採用し、一行は川に沿って進むことにした。

 上流に進むか下流に進むかで一時揉めたが、「上流に集落があるならば、何か生活臭のするものが流れてくるのでは?」という意見から下流へ向かうこととなる。


 移動中、周囲は静謐で、モンスターが襲ってくるということもなかった。


「天人たちに伝わる伝説が本当ならば……」


 エイジが独り言のように言う。


「イザナミは他の女神たちが催すゲームを忌み、自分の生み出した種族ごとこの谷に引きこもった。それは、自分たちの種族をモンスターに関わらせないためなんじゃないだろうか」

「人類種とモンスターを戦わせるのが女神たちのゲームなのですよね? だったらたしかに、そのゲームに反対するイザナミは、自分の子らをモンスターと戦わせたくないと思うはずです」

「優しい神様ってことなのよね?」


 何故かその言葉に空々しさが伴った。

 この谷底の暗く湿った空気のせいか。


「もっとも、伝説は所詮伝説で、この谷にも誰もいないってこともある。何百年も他種族から確認されなかったって話だからな。天人以上の幻の種族だよ」


 そんな幻種族の奉じる女神イザナミに謁見する。


 字面以上の困難さが、その言葉からにじみ出ていた。


 とにかくまず集落を探す。

 人の住んでいる痕跡を見つけ出さないことには、どうにもならない。


 三人はまずそこに意識を集中し、川に何かしら浮かんでいないかと目を見張っていたが……。


 異変は、岸の方からやってきた。


「ッ!? 危ない!」


 殺気に気づいたエイジが、いち早くセルンギャリコを抱きつつ無用に抑える。

 瞬次、彼女らの頭があった空中を、鋭い蹴りが通過していった。

 エイジが咄嗟に伏せさせなければ、彼女らは蹴りをまともに食らっていただろう。


「何です!?」

「誰、誰!?」


 セルンも咄嗟に青の聖剣を実体化し、ギャリコを背中に庇う。


「人の痕跡を見つけるどころか、人そのものが出てきやがった……!」


 現れたのは、六人ほど。


 谷底の暗がりに紛れてまだ潜んでいるかもしれないが、全員が頭まですっぽり覆うマントを羽織っている。


 おかげで相手の顔形どころか、大まかな体格や性別すらも読み取れない。


「闇人というのは恥ずかしがり屋なんだな。そんなに顔を見られたくないのか?」

「狂暴でもあります。こちらの素性も窺わずにまず不意打ちとは、とても社交的に洗練されているとは言えません」


 セルンは青の聖剣を正眼に構え、その切っ先で相手をけん制する。

 しかしその行為は、逆に思ってもみない効果を相手に発揮した。


「その剣……!」


 マント勢の一人が、声を上げた。

 少年のように、高くて滑らかな声色だった。


「青い剣、まさか……!」


 一時膠着状態に陥っていたマント勢の中で、一人が突出して駆けだした。


「!? サンニガ、待て!?」


 それは他のマント勢にとっても想定外だったらしい。

 仲間の制止も聞かず、たった一人突進する。


 その目標は、何故かセルンだった。


「えッ!?」


 マント勢の一人は、セルンの眼前で立ち止まる。

 そして言い放ったその言葉は……。


「……『威の呼吸』!!」

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