131 黄泉大神
「女神イザナミ……?」
「何それ? 聞いたことない……?」
人類種の中にも、きっちりと伝え継がれている神々の名はある。
各人類種を作り出し、聖なる武器を与えたという女神たちがそれだった。
まさに歴史は勝者が作り出すという言葉通り、かつてパートナーだった男神たちを封じ込めた今、女神たちはこの世界に君臨している。
支配者と言っていい。
しかし女神イザナミという名を、エイジもギャリコもセルンもまったく知らなかった。
一体いかなる人類種を生み出し、いかなる武器を与えた神なのか。
「このアスクレピオス山脈のさらに先……」
喋り出したのは、それまで空気のように存在感が薄まっていた天人族の大長老。
「そなたたちのやって来た方向から見て、まさに裏側と言うべき場所に、とても深き渓谷があり、その谷の底に集落が広がっている。その集落の名は、ヨモツヒラサカ」
「ヨモツヒラサカ……」
「そこに住む闇人と呼ばれる種族こそ、黄泉の神イザナミが生み出した種族といわれておる。我ら天人族にとって、同じ夫婦神より生み出されたまさに兄弟と言うべき種族」
「ま、待って……!?」
そこにギャリコが、疑問を抑えきれぬとばかりに話を遮る。
「さっきと言っていることが矛盾しない? 男神と女神、その二種が合わさらないと人類種は生まれないんでしょう? なのにイザナギとイザナミ? はそれぞれに独自の人類種を生み出して……?」
『我は、神の中でも特に特殊なのだ』
エメゾの口を借りてイザナギ神が言った。
『我の左目には太陽が、右目には月が宿っておる。その陰陽の交合によって天人どもを生み出した。それと同時に、我も他の夫婦新同様イザナミと交じって人類種を生み出した。それが闇人だ』
それは自身のルーツに関わることゆえか、天人の大長老は悲痛そうに自分の胸元を掻いた。
『他の女神どもの愚行を疎んじ、兄にして夫たる我を封じることはなかった。その代わり我が子たる闇人たちと共に、黄泉の奥底へ引きこもってしまった』
我が子たる人類種が、他の女神たちの遊びに巻き込まれ、モンスターによって無為に殺されるのを見たくなかったのかもしれない。
『我も付き合ってやればよかったが、他の男神たちのことを思うとどうしても腹が立ってな。単神にて天人族を生み出し、その血流に細々と真実を語り継がせた。いつかこうして、英雄たるものに伝える日が来るやも知れんと』
「やはりアナタは、人類種を女神たちの支配から解き放ちたいんですか?」
『そうかもしれぬ、しかしそれを人類種に命じ、その命令通りに人類種が女神どもの支配を打ち砕いても、それは結局人類種を傀儡として我が計画を遂行下にすぎん』
それでは、今この世界の支配者となっている女神たちと何も変わらない。
『我は、お前たち自身に決めてほしいのだ。女神どもの支配を受け入れるか、拒むか。それをみずから選択した上で勝ち取った自由にこそ、真の価値がある』
神は言った。
『下るがよい。ヨモツヒラサカへ。そこで我が妹イザナミに頼んでみるがよい。女神の支配に楔を打ち込む、神殺しの魔剣へ助力をくださいと』
「それしか方法はないようだな」
エイジも腹を括ったらしい。
「何だか盥回しにされている気分もするが、これまででもっともたしかな情報だ。行ってやろうじゃないか」
「ここまで来ればもうとことんよ! 自分で完全に納得する魔剣を作ってやろうじゃない!!」
「私もエイジ様に付き従います。この世界の謎に迫ることみ、勇者としてけっして無価値な経験にはなりません」
方針は決まった。
ここ天人の集落で目的を果たせなかったのは残念だが、これまで糸口も見えなかった鞘作りに、ハッキリした有効策が浮かび上がった。
アスクレピオス山脈よりさらに先、ヨモツヒラサカに住むという闇人に接触し、黄泉神イザナミの祝福を貰うのだ。
『そして、それはお前にとってさらに重大な意味を持つであろう……』
「え?」
エメゾの目から、琥珀色の輝きが失せた。
彼女の体より神が去ったということだろう。
神に体を預けるのは、見た目以上に消耗を強いるのか、エメゾはすぐさま膝を折って倒れ込もうとしたので、エイジが慌てて支える。
「大丈夫かッ!?」
「……心配ないわ。神様に預けていた体を急に返してもらって、感覚が戸惑っているだけ。それより……」
エメゾは気丈に、みずからの力で立ち上がる。
「アナタたちは行くんでしょう? 闇人たちの住む集落、ヨモツヒラサカに。闇人とは、私たち天人も存在を知っているだけで何百年も交流がない。正直本当にあるかどうかもわからない」
「そ、そんな難易度高いの……!?」
正直なところ言って訪ねれば何とかなると思っていたエイジたちは、その言葉に重苦しい気分になった。
「ちょっと待ってて」
そう言ってエメゾが手に取ったのは、空の鞘。
せっかくイザナギ神が祝福を与えてくれたのだが、魔剣キリムスビに込められたウォルカヌスの祝福と相性が悪く、要求を満たせなかった。
「『金枝』……!」
エメゾが、覇聖杖を介して何かしら呪文を送り込むと、木製の鞘のそこかしこから芽が吹きだし、凄まじい速さで成長して太くたしかな枝となる。
枝は鞘本体を包み込み、形を変えて、やがて一本の杖となった。
「形は変わっても、イザナギ様の祝福は変わらず宿っているわ。闇人にとってもイザナギ様は創造神の一人。この祝福の宿った杖を見せれば、きっと無碍には扱われないでしょう」
「お、おう……!?」
せっかく神様から祝福を与えてもらったので、何の役にも立たないのは心苦しいと思っていた矢先、助かった。
「それから……」
「まだ何か!?」
「イザナギ様が私の体から去る直前、助言してくださったわ。イザナミ様に頼るより先に、他の手段も試してみようと」
「他の手段」
そう言えばイザナギ神は、鞘に祝福を与える直線に言っていた。
『手段はいくつかある』と。
「魔剣キリムスビが発する暴気は、ウォルカヌス様の祝福が助長したものだけれど、大元は剣の素材になったハルコーンにあるわ。そのハルコーンに作用するアプローチを考えてみては? ってことよ」
「な、なるほど……」
「アナタたちがあらかじめ用意していた鞘は、イザナギ様の祝福を受けて使えなくなっちゃったし、新たに作り直す必要があるでしょう? 試したいことがあるの」
「?」
「私に、鞘作りを手伝わせて」
天人族だけがもつ特別な力。
魔法。
その魔法を使い、大魔導士エメゾがギャリコの鞘作りを手伝う。
「去り際、イザナギ様が仰ったの。私の魔法で、アナタたちを助けてやれって!」





