128 神降ろし
儀式場に現れたエメゾ。
しかしその様子は、先ほどまでとは打って変わっていた。
「おお……!?」
準備とは、着替えのことだったらしい。
先ほどまでの、山歩きや戦闘に即した厚手の法衣は脱ぎ去られ、代わりに目の覚めるような純白の衣を着ている。
もっとも重要な覇聖杖は手放してはいないものの、肌を覆う部分は少なく、元々天人族の肌が白いために遠目だと裸と誤解してしまいそうだ。
その余りに扇情的な出で立ちのため……。
その隙間からチラチラと脇や太ももが……。
「ぐごがッ!?」
エイジは両サイドのギャリコとセルンから同時に肘鉄を食らった。
「なんでッ!?」
「エイジ様、彼女のことをふしだらな目で見たでしょう?」
「そういうのはダメなのよ!」
見られるエメゾも男性の目を意識してか、純白の頬に朱が差している。
「こ、これより降神の儀を執り行います。物質界では感得することのできない神を実感するため。この身に神をお迎えするのです」
エメゾは説明口調で言う。
「神をお迎えするために、私は自分の体を極めて神に近いものにしなければいけない。つまり出来る限り清浄に、と言うことなの。そのために沐浴して身を清め、新品の薄絹衣をまとい。穢れた肉体としては限界まで清浄に保ってきた。この格好はそういう意味があるの」
だからいやらしい目で見るな、と言わんばかりだった。
「早速降神の儀を執り行うわよ」
そういってエメゾは祭壇の中心に立ち、携えた覇聖杖を掲げたまま両目を瞑った。
空気の色が、明らかに変わり始めた。
* * *
天人族における覇勇者に相当する大魔導士の大役には、代々若い女性が選ばれる。
優れた魔導士であることは無論のこと。
それに加えて歳若い、未婚の女性でなければ覇聖杖は賜らない。
何故ならば大魔導士という役職には、覇聖杖をもってモンスターを駆逐する以外に、もう一つの重要な役割があるからだった。
それは人と神を繋ぐ、巫女の役割。
この世とかの世を結ぶ媒介としての役割は、成り余った男には務まらない役割。
だからこそ聖杖の大魔導士エメゾが、その身をもって神を降ろそうとしている。
今行われるこの儀式こそ、大魔導士に生娘が選ばれる最大の理由だった。
* * *
『不愉快な……、呼び出しだ』
エメゾは言った。
しかしその声は、それまでの彼女とはまったく別の色だった。
声の質も使えば、口調も違う。
声の中に宿る魂の波長さえも。
「誰だ……!?」
エイジがそう問うてしまうのも無理のないことだった。
『無礼な』
そしてエメゾは、さらなる男口調で言う。
よくよく観察してみれば、瞳の色が琥珀の輝きを放っていた。
『そちらから呼び出しておいて誰か尋ねるなど……。アテナとポセイドンの眷族はやはり礼儀も弁えぬ脳なしよ。……いや』
琥珀色の瞳が、一点を睨む。
『お前には、さらに混じりものがあるな』
「……?」
『なるほど……! お前に流れる血に免じて、こたびの無礼を許してやる。そして疑問に答えてやろう。我はイザナギ』
エメゾの口から、エメゾ以外の名が漏れた。
『天地万物を司る陰陽。そのうちの陽たる男神イザナギ。傲慢なる女神どもは我らを「敵対者」ともいう』
「「「ッ!?」」」
その名は、これまでことあるごとに聞かされてきた天人族の創造神の名ではないか。
何故エメゾが、神の名を語っているのか。
「今神は、エメゾの体を通して我らを引見なさっている」
大長老が言う。
「それこそが大魔導士の重要な役目。我らと神とを繋ぐため、自分自身の体を触媒とするのじゃ」
つまり今、神はエメゾの体に憑依して、エメゾの体を通してエイジたちと会話している。
エメゾの耳で聞き。
エメゾの目でものを見て。
エメゾの口から神の意思を告げているのだ。
「無論気軽にしていいことではない。降神の儀を執り行うのは、天人族の未来を懸けた重大事項をイザナギ神にご裁可いただくために行われること。五十年に一度あるかないかの儀式じゃ」
「そんな重大なことを、僕らをきっかけに……!?」
恐れ多くて、手足の震えるエイジたち。
『たしかに。気軽に我を呼び出す不遜な輩には、天誅を下さねばならん』
エメゾの肉体を借りて、天神イザナギが言う。
『しかし、このアテナやペレの眷族どもが持ち込みし用件。我が子、天人族にとって未来を左右する重要なものと見たか?』
「御意」
大長老が跪く。
「彼らの企てもさることながら、我らが偉大なるイザナギ様の他に『敵対者』の存在を、ワシは生まれて初めて聞きました。恐らく天人族全体の歴史を通じて初めてのことでしょう」
『うむ、ウォルカヌスとか言ったな……!』
神は、それ以前のエイジたちの会話も既知しているらしい。
「この世界全体が変わる潮目と感じ、イザナギ様のお考えを賜りたく、降神の儀を催してございます。どうかイザナギ様より益ある御神託を賜りたく存じます」
『よかろう、貴様はこれより黙れ』
大長老、平伏の姿勢のままじりじり後退する。
『あとはこのイザナギ直々に、こやつらを質してやるとしよう。残忍なるアテナ、陰湿たるペレの眷族どもを』
琥珀色の瞳が、エイジ、ギャリコ、セルンの三人を捉える。
『お前たちにも聞きたいことがあるのはわかっておる。しかしここはまず、我が問いに答えてもらおう』
その妖しさ神々しさに、ギャリコとセルンが恐怖に耐えきれず互いの体を寄せ合う。
エイジだけが厳しく自分を律しながらも、その気配は臨戦体制そのものだった。
『ウォルカヌスというのは……、カマプアアのことであろう』
「!?」
『ペレの眷族どもの都市に封じられているならば、ヤツ以外の男神は思い当たらぬ。長い時間の経過で忘れ去られ、新たに付けられた名がウォルカヌス。……といったところか?』
「恐らくそうだと思います」
さすがにエイジも敬語で喋らざるをえない。
「ウォルカヌスは、一度だけその名前を漏らしました。『敵対者』カマプアアと」
『さもあろう。その魔剣に込められた祝福。それを成すには真名を晒すしかないゆえに』
一体どんな話に向かっているのか、エイジも皆目見当がつかなかった。
鞘作りという最初の目的を、気を抜けばすぐさま忘れそうになる。
話のスケールが大きくなっている。
「一体、『敵対者』とは何者なのですか!?」
辛抱堪らぬ、という風にエイジが問いただす。
「僕たちがここに来たのは、あくまで魔剣キリムスビの鞘を作り出すためです。その手がかりだけでも得たいと。ですがここに来て、僕たちはとても大事な、世界の秘密に触れようとしている……!」
そんな気がしてならない。
「『敵対者』とは何なのか? 僕らの知る神とどういう関係にあるのか? モンスターとは? 何故聖なる武器でしか倒すことができない? 何故神はごく少数の聖なる武器しか人類種に与えない!?」
今まで意識もしなかったが当たり前のことが、『敵対者』という謎の言葉をきっかけにどんどん疑問として浮かび上がる。
「アナタならその疑問に答えられるというんですか、神よ?」
『答えられるが、それがわかったところでどうする?』
「多分、見えてくると思います」
何が見えるというのか。
「魔剣キリムスビを振るって斬り捨てるべきものが」
魔剣は完成して終わりではない。
剣は道具である、道具なれば使わなければ意味がない。
エイジはこれまで、魔剣を完成させて目につくモンスターを片っ端から斬り捨てればそれでいいと思っていた。
しかし違う。
エイジが、ギャリコの最高傑作をもって斬り殺さなければいけない相手は、もっと明確な形でどこかに潜んでいるのではないか。
『敵対者』というエイジの知らない領域に住む相手と触れ合い、そう思うようになった彼だった。
『よかろう。教えてやる』
神は言った。
『お前たちの望む助けを施してやる前にな。これは愚痴よ。遥か昔、信ずべき端女どもに裏切られた哀れな男どもの愚痴。聞いてくれる相手を我はずっと待っていたのだ』





