126 祝福の仇
「そしてこれが、完成した魔剣キリムスビです」
エイジの手によって差し出された魔剣。
持ち運びの際には箱の中に厳重に密封されているために、取り出すのも一苦労。
こうして外気に晒されると、見ているだけで寒気を催される妖気を発している。
「…………」
天人族の長老は、無言のまま懐から何かを取り出した。
それは懐紙だった。
鼻を噛んだり、汚れをふき取ったり、子どもに菓子を与える時の皿代わりにするなどのために持ち歩いているのだろう。
「何を……?」
「そのまま」
大長老は、魔剣キリムスビの上から、一枚の懐紙を落とした。
紙は空気の抵抗を受けてゆっくりと落ち、キリムスビの刀身に触れた瞬間真っ二つに斬れた。
「……ッ!?」
「紙の自重だけで斬れたッ!?」
それを実現するには、剣自体に魔性を帯びるほどの斬れ味が備わっていなければならない。
しかし魔剣キリムスビの恐ろしさはそれだけにとどまらなかった。
真っ二つに斬り分けられた懐紙が、さらに重力に引かれてテーブルの上に落ちた。
紙とテーブルが触れた瞬間、懐紙はさらに細かく無数に斬り分けられて散った。
「……!?」
「まさしく魔剣じゃのう」
大長老の声は平坦だったが、魔剣の凄烈さにおののいているのは確かなようだ。
「まずアタシたちは思いました。いかなる武器も通じないモンスターの体。そのモンスター自身を素材に武器を作れば、聖なる武器を使わずとも人類種はモンスターと戦えるんじゃないか、って……!」
ギャリコも共に訴える。
「その結果、完成させたのが魔剣キリムスビです。でもこの究極魔剣はアタシたちの想像を超えて強力すぎました。あまりにも斬れ味がよすぎて、どんな材質で作った鞘でも収めることができないんです!」
「アナタがた天人であれば、地上人にはない知識と技で解決策を見つけ出せるかもしれない。その望みに縋ってここまで登って来ました!」
ここで手がかりだけでも得られなければ、魔剣キリムスビの鞘を作り出す望みは断たれてしまう。
そして鞘が出来なければ魔剣は完成しない。
先日、覇聖剣を持った覇勇者グランゼルドとの打ち合いでは魔剣を持つエイジが押し負けてしまった。
ギャリコなどは、その原因が魔剣キリムスビの未完成にあると信じて疑わない。
刀身自体は完成しているのだが、やはり鞘まで作り初めて魔剣は完成したと言えるのだ。
だからこそ彼女の天人との交渉にかける意気込みは並々ならぬものだった。
後ろで見ているセルンやクリステナが及び腰になるほどに。
「……この剣が、これほどまでに凶状を見せつけるのは」
生き字引の感がある大長老が言う。
「やはりこの剣の元となった魔物の凶暴さが原因であろう。誇り高き一角馬ハルコーン。その身を失い、角のみになってなお長きに巻かれることを拒むか」
やはり、とエイジたちは納得した。
それぐらいは彼らの当て推量でもわかることだった。魔剣キリムスビの異常な点は、何と言ってもそこなのだから。
「しかし」
だが、天人族の大長老はさらなる点を指摘する。
「この剣に宿る異常さは、それだけに留まらぬ」
「? どういうことです?」
魔剣キリムスビの、覇王級モンスターの体から作られたことの他にある、もう一つの異点。
そんなものに、エイジもギャリコもまったく心当たりがなかった。
「おかしいとは思わぬか? いかにモンスターの頂点に立つ覇王級といえど、死してなお、しかも体の一部のみとなってまで暴性を保てるか? まるで呪いのごとく持ち主を悩ませることができるか?」
「それは……!」
言われてみればそうである。
しかしハルコーンというモンスターの暴王と言っていい最強者。
その最強者だからこそ、死してなお荒れ狂うという非常識が許されるとエイジもギャリコも何となく思ってしまったのだろう。
それゆえに刀が内側から鞘を打ち破るという非常識も、特に疑わず受け入れてしまった。
「エメゾ。お前はどう見る?」
そう言って大長老は、孫娘に魔剣の検分を促す。
エメゾは天人族の固有スキルというべき魔法を極め、覇聖杖を賜るほどの使い手だという。
その彼女ならば、魔剣キリムスビに宿る異状を見極められるというのか。
「この剣に宿る尋常ならざる魔力……。モンスターのものとは思えません」
「何故そう思う?」
「モンスターが元となっているにしては神聖すぎるからです。これは、まるで……!」
「そうじゃ」
大長老は結論を言った。
「この剣には祝福がかかっておる。神なる者の祝福が」
大長老は皺まみれの手をかざし、魔剣が発する気の感触を確かめるように刀身に近づける。
決して直接触れようとはしなかった。
危険である以上に、畏れ多いという感情が窺えた。
「その祝福こそが、素材の凶猛さ、作り手の信念、使い手の絶技を何倍にも高めた。しかし同時に刀身に宿る前世の凶悪さを魔力的に呼び覚まし、使い手の意に従わぬじゃじゃ馬剣へと成ってしまった」
「ハルコーンの反骨が、神の祝福を介して現れてしまったのですね」
「左様じゃ。異なる要素が複雑に絡まり合った結果じゃのう」
エメゾと大長老だけがわかったように語り合うが、エイジたちには何のことやらサッパリ。
「待って! 待ってください! どういうことです? 神なる者の祝福って……? 僕たちにはまったく心当たりが……!?」
「本当にないかな?」
大長老からの見透かすような視線に、エイジの脳内で何かが煌めいた。
「まさか……! ウォルカヌス……!?」
「ッ!?」
ドワーフ族の使う炉では、魔剣キリムスビの原料となったハルコーンの角を溶かすことはできない。
そこで一行はわざわざドワーフの都地下深くまで降り、そこに住む謎のモンスター、ウォルカヌスの助力を得た。
「あの時ウォルカヌスは、一度完成した魔剣を僕たちに捧げさせ、自分のものにしたうえで僕らに与えた。その時キリムスビという銘まで魔剣に与えて……!」
「もしかして……、それが祝福……!?」
たしかにウォルカヌスは、最初こそモンスターの一種と認識されていたが、実際に向き合ってみるとモンスターとは次元を画する存在だった。
強大であるばかりでなく、思慮深く思いやりまであった。
そのウォルカヌスが、魔剣キリムスビに不可視の力を与えていたとしたら……。
「僕たちは既にもう一種、覇王級モンスターの素材から作り出した鼈甲の剣がある」
「でも同じレベルのモンスターを素材としながら、鼈甲の剣はあからさまにキリムスビより格が落ちるわ」
制作者であるギャリコ本人は、その違いを自身の思い入れの大小、あるいは素材となった部位から来る質の差異だと分析していた。
しかしよくよく思い返せば、決定的な違いが他にもあったではないか。
「ウォルカヌスから名前を付けてもらった……! それこそが同じ覇王級由来である魔剣キリムスビと鼈甲の剣の、天と地ほども違う性能差の原因だったっていうの!?」
実際鼈甲の剣は、革製の鞘に行儀よく収まっている。
その元となったフォートレストータスが、ハルコーンと同じ覇王級のさらに上位クラスであるのに、あまりにもなこの違いが疑問ではあったが……。
その疑問の答えが、今示された。
ウォルカヌスが名前を付けてくれた。
ただその一点の差で、魔剣キリムスビは鼈甲の賢より遥かに高性能で、遥かに扱いにくくなっている。





