116 鼈甲
「ギャリコ? どうしたんだ?」
エイジが奇妙に思うのも仕方なかった。
ここにいる中でもっとも覇勇者グランゼルドとの繋がりがなさそうなギャリコが、彼を引きとめたのだから。
「ドワーフのお嬢さん。私にまだ何か用かな?」
グランゼルドは、他種族であるギャリコに対しても柔らかい物腰を忘れない。
今まで出会ってきた勇者、覇勇者のいずれにも当てはまらないタイプだった。
「アタシ……、お詫びがしたいんです!!」
「詫び?」
言われて戸惑うのはグランゼルドの方だった。
「そう言われても困るな。私はキミに詫びてもらう心当たりが一向にないのだが?」
「あれです!」
ギャリコが指さしたのは、地面の上に転がる二つの剣だった。
いや、それは元々一振りだった。
エイジが、その精妙なる剣捌きによって魚を二枚に下ろすように、中心から両断したもの。覇勇者レベルの絶技が形となったものだった。
「ウチのエイジがアナタの剣を台無しにしてしまいました! そのお詫びがしたいんです!」
「いやいやいやいやいやいやいやいや……!」
さすがにエイジが介入する。
「何を言っておりますのですかギャリコさん? 僕らにとってあの程度のことは挨拶代わりみたいなものですよ?」
「エイジの言う通りだドワーフのお嬢さん。私にとってあの剣は、覇聖剣を使うまでもない雑用に使う代用品。壊されて惜しいものではない」
覇勇者が二人揃って宥めるものの、なのにギャリコは一層たじろがない。
「何言ってるの! あの剣かなりいいものよ!!」
「そうなんですか!?」
「素材も一級品の玉鋼だし、ってことは量産品じゃない一点物よ! そんないいものをぶっ壊しといて何涼しい顔してるのよエイジ! ぶん殴るわよ!」
「ごめんなさいッ!?」
自身が剣の魅力に取りつかれた天才鍛冶師ギャリコ。他者の作とは言え名品を損なうのは、我が身を斬られるかのごとき苦痛だった。
他者との思いつめ具合のギャップが激しいのは、専門職と素人の差もあろうが、他にも理由がある。
所詮聖剣使いにとって、ただの鋼鉄で作った普通の剣など、ゴミと同義でしかない。
モンスターには神から与えられた聖なる武器しか通用しない。
その絶対にルールにより、人類種の手で作り出された武器など何の意味も持たないからだ。
それでも人類種同士での諍いや、稽古にしようする目的である程度の量は生産されるものの、取り立ててもてはやされることのない日陰の商品だった。
グランゼルドの携えていた鋼剣も、ただ覇勇者の備品となれば他愛もないスペアでも一流の品が作られる、というものだろう。
しかし一流の名品ですら、このレベルの達人にとって失って惜しくないゴミに過ぎないというのが実質的な真理だった。
* * *
「だからいちいち気にする必要ないんだって。ねえギャリコ。……聞いてる?」
ギャリコの一方的な情熱に押し切られて場所を移動していた。
そこは覇王級モンスター、フォートレストータスとの戦場跡。
エイジによって真っ二つに斬り裂かれた巨大亀の死体は、まだまだ新鮮に平原部に横たわっていた。
つまりエイジとギャリコは、去ったばかりの場所にまた戻ってきたということだった。
「こんなところに連れてきて、どうするというのかな?」
さすがのグランゼルドも展開について行けずに戸惑いを露わにする。
「弁償いたします!」
「は?」
「エイジが壊した剣の代わりを、アナタのために用意します! 少しだけ待っててください!」
その時、死してなお山のごとくそびえ立つフォートレストータスの上によじ登る者がいた。
そしてすぐさま軽快な足取りで駆け下りてくる。
「ギャリコ。指示通りに取って来たけど、これでいいの?」
それはエイジだった。
右手に魔剣キリムスビ。そして左手には、一見岩と思しき硬質の自然物が小脇に抱えてあった。
「エイジ……、それは?」
「フォートレストータスの甲羅ですよ。今必要分を斬り取って来たんです」
無論、そんなことは魔剣キリムスビあってこそできる芸当だった。
亀の甲羅という時点で相当に硬いイメージだが、素材としての硬度はキリムスビの素材となったハルコーンの角の方が上らしい。
さらにそれを精錬して純粋な鉱物にし、天才ギャリコが精魂注いで鍛え上げた魔剣だからこそ、覇王級の身体とて簡単に斬り取ることができた。
もっともそうでなかったら、エイジがモンスターに勝利するところから夢のまた夢であったわけだが。
「………………モンスターの体の一部など持ってきて、どうするというのだ?」
「剣を作るんですよ。モンスターを材料にして」
「なに……ッ!?」
覇勇者を驚かせるなど、それ自体快挙だろう。
しかし、もっとも過酷な戦いを知る覇勇者であろうとも驚かせる事態は、まだこの世界にある。
「昔何かの本で読んだことがあるわ。亀の甲羅を材料にして作る美しい工芸品があるって。その応用でフォートレストータスを魔剣に変えられれば……!」
ドワーフの都の地底で、溶岩の魔ウォルカヌスに与えられたオリハルコンの鎚を、ギャリコは振る。
カン、カン、と小気味よい音が広い空に鳴り渡った。
「モンスターの体で、武器を作る……!? そうか、聖なる武器以外のあらゆる攻撃をはね返すモンスターだが、そのモンスターの体ならば同じモンスターを傷つけうるのは道理……!?」
「さすがグランゼルド殿、察しがいい」
「気づいてみれば実に簡単なことだが、誰がそんなことを実行できるのか……。いや待て、エイジ、まさかお前の持つその剣も……!」
「ご名答、モンスターを素材にして作り上げた魔剣です。しかも、コイツの元になったのはアナタにとって因縁のある相手ですよ」
「何?」
魔剣キリムスビの素材となったハルコーンの角は、十数年も前に覇勇者の剣によって斬り折られたもの。
その覇勇者こそがグランゼルドだった。
時を経て、ある経緯からその角がハルコーン本体に戻り、エイジによって改めて討伐されたのちに得た戦利品が、紆余曲折の末に魔剣キリムスビとなった。
「あの角が……、剣になったというのか……!?」
さすがの覇勇者も唖然とするしかなかった。
「たしかにその刀身の放つ気配に覚えがある気がしていたが……。まさかこんな形で再び相見えることになるとは……!」
「念のため言っときますけど、元々の所有権は聖剣院にあるとか言い出さないでくださいよね。僕らの手に渡った経緯を考えれば、聖剣院こそ非難囂々になるんですから」
などと変な形で話が弾んでいくうちに……。
「できた!」
「もう!? はやッ!?」
ギャリコの掲げる手には、何やら琥珀色がかった総身の直剣が握られていた。
今まで作られた魔剣と比べても、一層重厚な気配を備えている。
「フォートレストータスの甲羅を原料にして作った魔剣……! 参考にした資料から、鼈甲の剣と名付けてみたわ」
「べっこうのけん……」
鼈甲の剣を手渡されて、グランゼルドは細く長く息を吐いて、吸う。
「ソードスキル『一刀両断』」
琥珀色の刀身から放たれるオーラの刃が、まだまだたっぷり残ったフォートレストータスの死骸に命中し、その一部を吹き飛ばした。
「死体とはいえ覇王級モンスターの肉体を……! さすがグランゼルド殿……!」
「いや、我が剣技によるものだけではない……!」
グランゼルドは、むしろ深刻な表情で新しい剣を見下ろした。
「たしかにこの剣……。恐ろしいまでの強度と切れ味……! 無論覇聖剣には及ばぬが、聖剣には充分匹敵するかもしれん……!」
いや、それだけではない、とグランゼルドは即座に察知した。
「この柄の握り、刀身の重さ、エイジに壊された鋼剣より遥かに手に馴染む。まるで何年も使い慣れたものであるかのようだ……!」
「グランゼルドさんが覇聖剣を扱っている動きを見て、一番扱いやすい刃渡りと重さを意識してみました。お気に召したでしょうか……!?」
「ッ!?」
その説明に、グランゼルドの表情がますます険しくなった。
「気に入った。……どころの話ではないな。この剣、本来ならばどれだけ金を積んでも惜しくない代物だろう。覇聖剣のスペアにするにも勿体ないほどだ」
「褒めていただいてありがとうございます! エイジのバカがやらかしたお詫びに、どうかその剣を収めてください!」
一種の謙遜なのであろうが、あまりに好き放題言われるエイジが脇で泣いていた。
「いいのか……? これほどの名品を。本来相応の報酬が必要であろうに……!?」
「アタシもいいものが作れて満足ですから。実を言うと覇聖剣を見せてもらってから何か作りたくて堪らなかったんです」
「そういうことなら……」
グランゼルドは遠慮なく鼈甲の剣を腰に収めた。
驚いたことに、前の鋼剣を入れていた鞘にピッタリ収まった。
「エイジ……!」
「はい?」
「恐ろしい職人を見つけてきたものだな。場合によってはこの娘、モンスター以上の脅威になるかもしれんぞ」
「何ですそれ?」
しかしグランゼルドはそれ以上何も言わず、今度こそ聖剣院へと帰っていった。
その背中を、セルンがやはり何か言いたそうに見詰めていたが、やはりその背が見えなくなるまで一言として発することはなかった。
「ふぅ……、なんか立て続けに色々出てきたが、やっと終わったな」
「そうね、アタシも最後にいい剣作れて楽しかったし」
元々彼らの目的に関係なく発生したフォートレストータス襲来。聖剣院の悪行も粉砕できて、得るものは多かったように思える。
「でもまあ寄り道はこれくらいにして、さっさと先に進むか」
「そうねえ、アタシも鞘作り、俄然やる気が出てきたわ。エイジが満足するキリムスビの完成形態を実現するために、アスなんとか山脈へレッツゴーよ!!」
「その前にッッ!?」
いきなり絶叫クラスの大声で割って入られ、エイジもギャリコもビビる。
「なんだ、いきなり!?」
「あっ、王様!? アナタたちも付いて来ていたんですか!?」
絶叫を上げたのは、ここリストロンド王国の主ディルリッド王だった。
途中まったく話に加わらないで存在感が希薄だったが、ちゃんと同行していたらしい。
「そこのドワーフの者よ! 旅立つ前に是非とも余の頼みを聞いてほしい!!」
「は?」
「今の剣、我が国のためにも作ってほしい!!」