113 魔剣vs覇聖剣
「エイジ様を……!」
「聖剣院に……!?」
それはある意味、当然の流れなのかもしれない。
出奔したエイジを呼び戻し、覇勇者の座に就けるのは聖剣院がずっと目論んできたことなのだから。
今は共に旅しているセルンが、最初にエイジ、ギャリコの前に現れた理由も『エイジを聖剣院に連れ戻すこと』だった。
「グランゼルド殿まで諦めの悪いことですな」
エイジは呆れた口調で言った。
「聖剣院を出奔してもう一年以上。そこまで時間が経っているんだから諦めてもいいでしょうに。所詮覇勇者も勇者と同じ。誰が成ったところで一緒ですよ」
「それは違う。覇勇者の名の重さは、勇者などとは比べ物にならん。覇勇者とは、選ばれし者のことなれば」
「勇者だって同じでしょう。聖剣院に選出されて、その座に就く」
「いいや、違う」
グランゼルドは、否定を重ねた。
「覇勇者を選び出すのは、聖剣院上層部の腐り者どもではない」
「?」
「エイジ、お前自身わかるはずだ。ヤツらに決定権があるのなら、ヤツらの指示に従わぬお前を勇者の中の勇者、覇勇者に据えるわけが絶対にないと」
そう言われると、納得してしまうところのあるエイジだった。
「……僕が覇勇者に選ばれたのは、究極ソードスキル『一剣倚天』を修得したからではないのですか? 古からの決まり事として、そう定まっていたならヤツらにも文句のつけようがないでしょう」
「そんな律儀な連中だと思うか? 過去から受け継がれてきた法など、解釈一つでどうとでも自分たちの都合のいいように歪められる。そう思っている連中だ」
「では、誰が僕を選んだというんです?」
「覇聖剣だ」
簡潔な、それでいて力ある一言にエイジも絶句してしまった。
『バカな、剣がどうやって人を選ぶというんです?』と笑い飛ばしてもよかったろう。
しかしエイジはそれを行うタイミングを失してしまった。グランゼルドの言葉が持つ、あまりの力強さのために。
「覇勇者は古来より覇聖剣が選び出すものだ。それゆえ聖剣院上層部すらも決定には逆らえない。どんなに傲慢になろうと、己らは所詮聖剣に生かされている存在でしかないことをその時知るのだ」
エイジは、自分が初めて『覇勇者に選出された』と通達された日のことを思い出した。
その日、同時にエイジは様々なことを一緒に約束させられたものだ。
『覇勇者就任以後、聖剣院の承諾を得ずモンスターを倒すことは一切してはならない』とか。
『社交には積極的に参加し、聖剣院の権威を高めるべし』とか。
『公の場で聖剣院を非難してはならない』とか。
『聖剣院長の娘と結婚せよ』とか。
とどめには『それらを約束できない場合は覇勇者への就任を認めない』などと念押しされたが、それらを唱え上げる枢機卿の表情は高圧的というよりも、どこか怯えた風があったのをエイジは思い出した。
まるで抑えの利かない獣に気休め程度でも首輪をつけておこうとでもいうかのような。
今思い出せば、なるほど奇妙なことだった。
エイジとしては、それらの約束を結ばなければソードスキル『一剣倚天』の修得を確認する『試しの儀』に参加できないし、『一剣倚天』を修めさえすれば聖剣院を出奔することはその時から決めていたので、二つ返事で約束を結んだ。
そして今に至る。
エイジは推測する。もしあの後、エイジが予定通りに覇勇者となって、聖剣院と結んだ様々な約束を何一つ守らなかったとして、聖剣院は何かできたのだろうか。
たとえばペナルティとして覇聖剣を取り上げるなど、そうしたことができたのだろうか。
「聖剣と覇聖剣は根本的に違う」
グランゼルドの主張がエイジの物思いを遮った。
「聖剣はともかく、覇聖剣に対して聖剣院上層部ができることなど何一つないよ。だからこそヤツらは、蛇蝎のごとく嫌っているお前を呼び戻そうと今でも必死になっているのだ」
「ヤツらに、僕を見放すことはできないと?」
「そうだ、ヤツらに覇聖剣の決定を覆す権利などないのだ。ヤツらは今、自分たちが覇聖剣の奴隷に過ぎないことを改めて噛みしめているところだ」
そう言われて腑に落ちるところがエイジにもあった。
彼自身、聖剣院を離れてからかなりの時間が経ったが、それでも聖剣院はエイジの帰還を諦めていない。彼の目算では三ヶ月も逃げ回れば聖剣院も根負けし、エイジのことを完全に捨て置くようになる、そう思っていた。
しかし、その推測は完全に外れている。
「私にとってもお前の覇勇者就任は重大事。お前にモンスターへの対処一切を任せられれば、私自身は聖剣院の組織改革に全力を注ぐことができる」
覇勇者の職を退き、新人育成に集中し、高潔な精神と実力を伴った勇者を何人も輩出できれば、自然と聖剣院の腐敗は浄化されよう。
「そのためにも後進が目標とすべき若き象徴が必要なのだ。エイジ、お前こそが覇勇者となり、新しい時代を築き上げなければならない。ゆえに私と共に聖剣院に戻るのだ!!」
これまでエイジがぶつかってきた中で、もっとも説得力のある聖剣院への帰還勧告かも知れない。
たしかにエイジは聖剣院を憎悪していた。それが出奔の理由の一つなのかもしれなかった。
グランゼルドと共に歩めば、その憎しみを消化できる道もあるのかもしれない。
しかし……。
「グランゼルド殿は、聖剣院がまだ治療すれば立ち直れると思っている」
「……」
「しかし、人にも組織にも不治の病は存在する。聖剣院が冒されているのは間違いなく死病でしょう。治療を試みたところで時間の無駄だ」
「では、どうする?」
「人であれば、その命続く限り病と闘うのもいいでしょう。しかし聖剣院は組織だ。しかも人間族存続のため欠くことのできない重要な。義務を果たせなくなった者は潔く、その座から退くべきでは?」
退くことができないというなら……。
「いっそ死ぬべきでは?」
「苛烈だなお前は。誰に似たのか……」
グランゼルドは肩をすくめる。
「聖剣院が滅ぶべきだとして、滅んだあとどうなる? 誰がモンスターから人間族を守るのだというのだ?」
「…………」
「それが答えだ。聖剣院の代わりとなるものなどない以上、どんなに病みつかれようと聖剣院は復活しなければならんのだ。そしてそのためにはエイジ、お前と私の力が必要なのだ」
「そうかもしれない」
エイジは一旦、グランゼルドの主張を素直に認めた。しかし認めたままにはしておかなかった。
「しかし僕は、僕は別の答えを見つけた。この旅の途上で」
ヒュン、と風切る音が鳴り響く。
それはエイジの剣が、牙を剥いた音だった。
「ほう……」
グランゼルドがエイジに突き付けていた剣が、真っ二つに斬り分けられた。
それも縦に。
まるで魚を下すかのように両断された刀身は切っ先から柄の底まで綺麗に断面を伸ばし、持ち主の手から離れてカランカランと地面に落ちた。
「これこそ魔剣キリムスビ。聖剣院から離れて得た答えだ」
「……」
「グランゼルド殿、アナタも見てきたのでしょう、僕が真っ二つにしたフォートレストータスの死骸を?」
その鮮やかな切り口。
そもそも覇王級においても最強格の呼び声高いフォートレストータスを斬り裂くこと自体、エイジのごとき絶人でなければ不可能だと評したのはグランゼルドだった。
「そしてグランゼルド殿、大切なことを忘れていませんか? いかに僕でも、聖剣も覇聖剣もなしでどうやって覇王級モンスターを斬り殺すことなどできない」
「そうだな」
「ではその不可能が、どうやって可能に変わったか?」
「その答えが、その剣だと?」
「そうです、魔剣キリムスビと銘が付けられています」
フォートレストータスを相対してからエイジの手に収まり続ける魔剣キリムスビは、今もなお見る者を見ただけで悪寒させる冷たい妖気を放っていた。
「覇王級フォートレストータスを斬り裂いた結果も、この剣あったがゆえです。これさえあれば聖剣も覇聖剣も必要ない。聖剣院はその役目を終え、時の流れとともに消えていくことができます」
「お前は覇聖剣でなく、その剣をもってモンスターと戦うというのか?」
「この命続く限り」
最大級モンスターの死体が、厳然たる事実として百里離れた場所からでもわかるほど克明に横たわっていた。
異常というべきその事態をやってのけられる唯一の人物が語る以上、魔剣の威力を疑うことはできても完全否定はできない。
「聖剣……、いや覇聖剣に匹敵する剣がこの地上に現れたというのか。俄かに信じがたい」
しかし。
「お前が、そうハッキリと言うのであれば試さなければならん。その剣が本当に、聖剣院の存在価値を否定するに足るものか」
グランゼルドが、その利き手を虚空に向けて伸ばす、手の平より、炎が巻き起こった。
「きゃあッ!?」
「これは……、まさか……!?」
ただの炎ではない、黄金色の炎。
その黄金炎の中より姿を現す刀身。それはあまりにも神々しく、見る者に自然と膝をつかせる厳かさを持った剣だった。
その剣自体、黄金色に輝いている。
「これが……、この剣が……!?」
剣というものに人一倍取りつかれたギャリコが、感動と共に吐き出した。
「そう、これが覇聖剣」
剣の覇者が持つに相応しい、地上最強にして最高の名剣。
この剣を持つ資格のある者は、この世界にたった二人。
「エイジよ、貴様の導き出した答えを試してやろう。その魔剣とやら、まことこの覇聖剣に代わってお前の愛刀となるに相応しいか?」
その資格がないのであれば。
「そのナマクラ刀、お前の真の主となるべき黄金の剣が叩き折ることであろう」





