107 破山剣
同じ頃エイジは、遥か下界の地表に陣取っていた。
前方には、視界を覆い尽くすほどに巨大な山が少しずつだが確実に、彼の下へ向けて迫ってくる。
「うひゃわわわわわわ……! 怖い怖いこれは怖い!」
エイジの傍らに寄り添うギャリコが、その迫りくる大山に素直な恐怖を表した。
「今まで色んなモンスターを見てきたけど、今回のヤツは完全に段違いだわ! ただゆっくり近づいてくるだけで、これだけのプレッシャーが来るなんて!!」
「まあ、あの巨大さだからなあ……。突っ立ってるだけで威圧感だよ」
エイジとギャリコ。
二人並んでモンスターを迎え撃つかまえ。しかしその様相は、余人が見れば正気を疑う無謀さだろう。
覇王級モンスター、フォートレストータス。
その体躯の巨大さこそが最大の特徴であるモンスター。
巨大であるがゆえに覇王級に位置付けされ、巨大なために最強候補の一角とされる。
その亀型モンスターは、こんもりと盛り上がった甲羅が既に山と見紛う大きさ。その甲羅を背負って何百年生きてきたかはわからぬが、長い年月によって甲羅の表面が苔生し、その苔を下地にシダやツタが伸び、仕舞いには太い樹木すら生い茂って、本物の山であるかのようだった。
甲羅の四方から伸びる足も、それだけで小山か何かと疑いたくなる。
あの四肢で大地に蠢く小さな有象無象を一緒くたのうちに諸共払って踏み潰す。
その巨体のわりに短い四肢は本体を支えきれず、甲羅の腹が大地を引きずり、枯れた大河かと思わせるような引きずり痕を作って、進路にあったものを欠片一つ残さず丹念に磨り潰していく。
あのモンスター本体に破壊の意思がなかろうと、いと小さきものは巨大の進路上にあるというだけで崩壊の運命から免れない。
大軍に兵法なしと言うように、巨体にもまた兵法はない。
何気ない散歩が既に大災害。
それが最強最大モンスター、フォートレストータスだった。
「アイツを目の当たりにしていたら、これまで戦ってきたモンスターたちの能力ややり口が全部小細工に見えてきたわ……!」
「だろうな。フォートレストータスは、ただ単に巨大というだけでどんな攻撃も通じないし、どんな防御も意味をなさない。アイツほどシンプルに強さを表すモンスターは、他にはまあいないだろう」
これほどの巨体を何とかすることは、勇者クラスでは到底できない。
だからこそ覇王級にランク付けされたのであり、そうでなくともこの大きさは、勇者が出てきたところで何とかなるのかと疑問を持ってしまうほどだった。
ジロリ、と何者かの視線をギャリコは感じた。
「ヒッ!? 何、何!?」
「あちらさんが僕らの存在に気づいたんだ。あんな立派なガタイのくせに、小さなことを気にするヤツだな」
よく見ると、移動する山の中で瘤のように盛り上がった一部分があった。さらにその瘤のような部分のさらに一部、洞窟か何かと思しき黒くて深い空洞があった。
しかしそれは空洞ではなかった。
目だった。
巨大亀の輝きも放たぬ黒目が、じっとりとエイジやギャリコを凝視している。
「視界に捉えつつ、何かしてくる気配はない。本当にただ踏み潰していくつもりか。最大級だけあって、神経も大層図太いらしい」
「それよりもどうするのよエイジ!? アイツ近づいてくるわよ? ドンドンズンズン近づいてくるわよ!?」
エイジたちから見れば、世界を分断する巨壁が迫ってくるかのような、この状況。
仮に今から志を翻して逃げたとしても、逃げ切ることはできないだろう。
亀の歩みと言われるように、その外見は亀にそっくりなフォートレストータスは一歩一歩の動きは非常に鈍い。
しかしあれほどの巨体となれば一歩の歩幅は人の何百倍もあり、とてもではないが走って引き離せる相手ではなかった。
それでも巨体であるため相対的な移動速度は鈍重。
だからこそ早期に発見でき、発見してからも充分に対処に当てる時間的余裕がある。
しかし今、エイジとギャリコほど至近距離まで迫られては、大津波の前に立ち尽くすがごとしだった。
「まあ、それでも何とかするけどね」
にも拘らずエイジの表情に緊張はない。
「柄にもなく出しゃばったのは、それ以外に解決の方法がないからだ」
「柄にもなく……?」
「あの巨大亀は覇勇者クラスでしか倒せないし、倒せなければ人間族有数の国家が滅亡する。さすがにこれを見て見ぬふりをするのは、元勇者の倫理が許されないのでね」
「柄にもなく……!?」
「なんだよ?」
ギャリコの皮肉めいた視線を、エイジは無視しきれなかった。
「別に……、エイジがそういうことにしておきたいならそれでいいわ」
「わかってるよ! 僕がいっつも出しゃばってるって言いたいんでしょう!? その通りだよ!!」
それでもさすがに王族の前では大人しくしていたかったエイジだが、そういうわけにもいかない。
多くの人の命がかかっているからには。
「じゃあやるかギャリコ。キミと僕の二人で」
「アタシと二人で?」
「もちろん」
エイジは既に、彼女を戦い抜くための両翼の片方と認めていた。
彼女の鍛冶のサポートがない限り、エイジはモンスターと戦い、そして勝つことなどできない。
しかしひとたびギャリコの助けが得られれば、あのような巨大モンスターとて恐れるに足らぬ。
「じゃあ、期待に応えて出しましょうか!」
ギャリコは、背負っていた木箱をドンと地面に降ろすと、その蓋を開けた。
中には一振りの抜身の剣。
それこそドワーフ随一の腕前を誇る女鍛冶師ギャリコが最高傑作として誇る究極魔剣。
その銘をキリムスビと言った。
「鞘がまだ作れないからって、こんな仰々しい持ち運び……! やっぱりしっくりこないわね……!」
あまりにも鋭利な斬れ味から、いかなる素材で作った鞘も内側から斬り裂いてしまう裂斬の妖刀。
その持ち運びのためにギャリコがとった苦肉の策は、魔剣より二回り以上大きな木箱の中に砂を敷き詰め、その中に極上の絹織物で包んだ魔剣を埋めておくというものだった。
これならば魔剣も大人しくしてくれているが、それでも持ち運びの不便さはどうしようもない。
いざ戦いとなってエイジに手渡すのも一手間であるし、鞘が一刻も早く完成することが待たれた。
「それでも……、コイツがいるからデカブツにも臆さず立ち向かえるんだがな」
魔剣が、エイジの手に握られた。
それと同時にひやりと冷たい剣気が、周囲四方八方へ放たれる。
* * *
「ッ!?」
「今寒気が……!?」
「一体何故……!」
戦場から遠く離れた展望台にて観戦者たちが、身を震わせた。
「エイジ様……、魔剣を手に取ったのですね……!?」
* * *
エイジが、弓手馬手の両方を魔剣の柄に添え、上段に高く振り上げた。
「エイジ……、どうするの……!?」
心配に耐えられずギャリコは尋ねた。
「戦うにしても何か作戦があるんでしょう? あんなデカブツに正面からぶつかっても分が悪いだけだわ」
彼女の考えももっともなもの。
仮に人類所同士の戦いでも、体格に圧倒的な差があれば小さい方は正面からのぶつかり合いをよしとせず、逆に小躯ゆえの身軽さを利用して相手を攪乱し、隙を突く戦法をとるべき。
しかるに、このエイジと巨大亀との戦いも、相手の巨体ゆえの死角に飛び込み、懐かを突き刺すなどの策をとるべきだろう。
「ギャリコ。今日の相手、フォートレストータスは巨体ゆえに小細工を必要としないシンプルな強さの持ち主だ。強く、巨大であるがゆえに策を必要としない」
「え? 何いきなり?」
弱者が強者に立ち向かうために練られるものが策。
だからこそ強者は本来策をもって戦う必要がないのだ。
「僕もまた、それに倣うべきではないのか。僕はすべてのソードスキルを極め、一時は剣士の頂点、覇勇者になることまで認められた。その上でこの手には、世界最高の鍛冶師ギャリコが、最高の素材で最高の技術を注ぎ込んで作り上げた最高の魔剣がある」
「エイジ……!?」
その賛辞に、ギャリコは耳まで真っ赤になる。
「前回戦った、小細工全開のアイスルートとは違う。純然混じり気のない強さを持ったフォートレストータスにこそ魔剣キリムスビの真価を質す時だ。コイツの混じり気なしの本物の強さを、ここに示したい」
ゆえにエイジは剣の柄に両手を添えて、大上段に振り上げた。
「ソードスキルにおいてもっともシンプルで、もっとも混じり気なく、もっとも基本的で真っ向勝負に相応しい技といえばこれしかない」
そして、振り下ろされた。
「ソードスキル『一刀両断』」
* * *
天が真っ二つに割れた。
地が真っ二つに割れた。
その瞬間を目撃した多くの人々が、距離に関係なく自分自身が真っ二つに斬り分けられた錯覚を覚えたという。
しかし実際に斬り裂かれたものは、たった一つだけだった。
覇王級モンスター、フォートレストータスの山と見紛う巨体。その鼻先から尻尾の末にかけて、一本の長い長い線が引かれた。
その斬線は、巨大亀の背を回り、腹を回って、その巨躯を一周囲み込むように結ばれると覇王級モンスター、フォートレストータスの魁夷は……。
その線に沿って真っ二つに斬り分けられた。
文字通りの一刀両断。
山を裂く一刀の伝説が、今ここに生まれた。





