105 純白の汚れ
「あれが……! あれ自体がモンスターだというの……!? 動いている? 本当に動いているわ!?」
山の中腹から見下ろすことによって全貌を把握できる。
覇王級モンスター、フォートレストータスの魁夷にサラネア姫が戦慄した。
「アイツが進む方角……、たしかにリストロンドの首都がある方だわ! あんな巨大な亀が乗り込んで来たら、それこそ街はムチャクチャに……!?」
「だからこそ我々は大混乱なのだ」
リストロンド国王ディルリッドが、人の身の悔しさを滲ませて言う。
「あの亀にとって、人類種の街など路傍の小石に過ぎぬ。行く道の邪魔になるので蹴り飛ばすか踏み潰す。その程度の相手でしかないのだ」
他のモンスターのように、明確な敵意があって攻撃してくるわけではない。
その次元から他と一線を画する超巨大モンスターなのであった。
「あんなモンスターを、本当に人間族一人でどうにかなできるの……!?」
「わからん。だが、この期に及んでは彼に託す以外は……!!」
国王親子は、迫りくる危機のプレッシャーに心が砕けぬよう、みずからを支えるので精一杯のようだった
「大丈夫です。エイジ様は負けません。エイジ様にはギャリコもついています……!」
セルンも、相手の巨大さには圧倒されるが、それとはまったく別問題でエイジへの信頼は揺るがなかった。
エイジの正体を知れば、国王親子とてすぐさま安心するだろう。
それができないことは実直なセルンにとって非常にもどかしいことだった。
いっそ、もう喋ってしまおうか。
そう彼女の心が揺らぎ始めたその時……。
「国王陛下、大変です……!!」
今、セルンたちがモンスター戦の観戦場所と選んだ山の展望台。山の麓の方向から兵士が一人、駆け上ってきた。
「一体どうした!?」
国王警護のために同行してきた騎士団の一人であろう。その表情には明らかな焦りの色が浮かんでいた。
「王宮から急報が! 聖剣院は、約束を守るつもりなど毛頭なかったようです!!」
報告に駆けつけるなり不穏かつ穏やかならぬ言葉。
巨大モンスターのプレッシャーによって充分に重くなった空気が、ダメ押しとばかりに掻き乱される。
「クックックック……。人聞きの悪いことを言うなあ……!」
「あっ、アナタは!?」
「聖剣院は、人間族を守る聖なる組織だよお。この世界に、聖剣院より尊い組織はないね」
兵士が駆け上がってきたのと同じ方角からやってくる、一人の男性。
首からつま先まで真っ白な衣に身を包んだその男は、明らかに普通とは異なる異様な気配を放っていた。
セルンは、その顔に見覚えがあった。
「フュネス殿……! アナタが何故ここに!?」
「あん……? ほう、ド新人勇者のセルン嬢ちゃんじゃないか! 『何故ここに』はこっちのセリフだよ!!」
セルンはこの白い男と面識があるのか、互いの顔を見て驚きを露わにする。
「……セルン? 一体どうしたの? この白い男の人は一体何者?」
「…………白の勇者フュネス」
「えッ!?」
「この御方は私同様、聖剣院より聖剣を賜った勇者の一人。西方を守る建前を持つ白の聖剣を持った、白の勇者です!!」
聖剣院が抱える勇者は一人ではなく、基本的に四人+特別な一人で一セットとなる。
究極の聖剣、覇聖剣を与えられた覇勇者を頂点に、青白赤黒、四色に象徴された聖剣をそれぞれ預かる四勇者。
セルンはその四勇者のうちの一人であり、そして今登場した男フュネスも同じ肩書きを持つ者だった。
「白の聖剣フュネス……! 聖剣の四勇者の中では比較的古株に位置し、ソードスキル『幻惑剣』を得意とする強力な剣士です。アナタが何故リストロンド王国に……!?」
「そりゃあ決まっているだろう? 勇者が動くのはその主格たる聖剣院の意を受けた時さ」
聖剣院の名が出て、場の不穏さが一気に高まる。
「聖剣院の意を受けたということは……!」
国王ディルリッドも会話に加わる。
その姿を確認し、白の勇者は大仰に両手を広げた。
「我が国に迫る危機に対処するために来てくださったということか?」
「おお国王! 城の連中の言う通りここにおられたのですか! ちゃんと王宮にいてくださいよ。遠回りになってしまったじゃないですか!」
「それよりも勇者であるアナタが来てくださったということは、聖剣院が余との約定を果たしてくれる意志の証……?」
「はぁん!? 冗談も休み休み言ってくださいよ! この国に来ようとしているモンスターは覇王級。ただの勇者のこのオレが、どうにかできる相手ですか!?」
「アンタ、バカ!?」とでも言わんばかりの口調に、その場にいる全員の神経が逆撫でされた。
言っていることは事実ながら、それでも当たり前のように言われると腹の立つことはある。
「では、一体何しに来たというのですかフュネス殿!? 人間族の存亡を預かる勇者が、今にもモンスターが迫ろうとする修羅場にまさか遊びに来たというわけではありますまい!」
「それを問いただしたいのはこっちの方だぜセルン? 勇者に就任してからこっち、聖剣院に寄りつきもせず外を飛び回ってばかりのお前がさ。何故こんなところにいる?」
「…………ッッ!?」
白と青。
二人の勇者の間で、見えざる視線の火花が散った。
「お前も、先代のバカなところばっかり真似してやがるなぁ。聖剣ってのは貴重なんだぜ? 究極の覇聖剣を除けば四振りしかない。それを握る勇者も貴重。その勇者が外でフラフラしていちゃ。他の同格に迷惑がかかるとは考えないのか?」
「私は巡回先で、しっかりモンスターを倒しています! そもそも勇者とは跋扈するモンスターを逐次討滅するため、常に世界中を歩き回るものではないですか!?」
「新人のくせに考え方が古いねえ」
フュネスの顔に、あからさまな侮蔑の笑みが浮かんだ。
「そんな勇者は何十年前のカビの生えたスタイルだよ。今の勇者は華麗に優雅に、聖剣院の意を受けて計画的にモンスターを狩るのがスマートだ。世界中を駆けずり回って、目につくモンスターを片っ端から潰していくなんて、非効率な上に泥臭いじゃないか」
「……ッ!?」
「お前も、バカな先代の真似なんかやめてさっさと聖剣院に戻って来いよ。そうすれば今日のくだらない野暮用だって、お前に押し付けることができたんだ」
フュネスは、小娘とこれ以上話すことはない、とばかりにセルンから視線を離した。
その上でディルリッド国王に向き合う。
「要件を窺おう。フォートレストータス討滅の応援に来てくださらなかったのであれば、一体いかなる用向きか?」
「いえいえ国王陛下。アナタが尻尾を巻いて逃げ帰られてから、聖剣院で新たに討議がなされましてね」
と語るフュネス。
「この白の勇者フュネス、討議の結論をお伝えするためにこうして派遣されてきたよしにございます」
「討議!? アレ以上一体何を話し合ったのだ!?」
「いえね」
フュネスが次に語り出したことは、そこにいる全員の常識を覆すものだった。
「アナタたちリストロンドの支払う負担が軽すぎるのではないかと」
その言葉に国王が、眼球が飛び出さんばかりに大きく両眼を見開いた。
「……どういう、意味だ?」
「だーかーらー、わかりませんか? 我々の遂行する義務に対し、アナタたちの支払う報酬が安すぎるのではないか? と言っているんです」
「バカな!!」
国王は、心臓まで一緒に飛び出しそうな叫び声をあげた。
「余が、どれほどの身を切られる思いで要求を呑んだと思っているのだ! 法外な寄付金! 民が愛する国家の名所! 愛娘の身柄まで取り上げられ、余は両手両足を切り離された心地だ! その上さらに何を奪い取ろうというのだ!?」
「奪うなどとは人聞きの悪い。我々は正当な報酬を頂きたいだけなのですよ。覇王級モンスターという、我ら聖剣院以外ではどうにもならない脅威。それをどうにかできなければ、体の一部どころか命そのものがなくなるんですよ?」
「……ッッ!?」
「命の危機を、金や領土や肉親を手放すぐらいで退けられるんなら安いものでしょう? いや安すぎる! こんなに良心価格で働き続けていたら、我ら聖剣院も身が持ちません。そこで……」
フュネスは嗜虐的な笑みを浮かべる。
「聖剣院上層部からこんな意見が出ました。貴国は何やら、強力な騎士団を所有なのだとか」
「だから何だ!?」
「強力な武力は、日々モンスターと闘争する聖剣院にとって貴重なもの。常に欲している。そこでリストロンドご自慢の騎士団を聖剣院の兵士団と統合してはどうだ、とね?」
そう言われて、国王の表情が前衛的な絵画のように歪んだ。
「何をバカな! そんなことをすれば、我が国の守りはどうなる!?」
「我ら聖剣院が守ってあげますよ。何も問題ない」
「騎士団が行っているのはモンスターへの対処だけではない! 治安維持も大切な役割の一つだ! 騎士団がいなくなれば国内は盗賊や暴漢で溢れかえる! 聖剣院はそれをも取り締まってくれるというのか!?」
「聖剣院が戦うのはモンスターだけですよ。なんでそんなことまでしなきゃいけないんですか?」
「貴様ァッ!?」
あまりにも理不尽な要求だった。
どこまで恥知らずになれば、ここまで厚顔な要求を行うことができるのか。
ディルリッド王は、今にも白の勇者に殴りかかりそうな瀬戸際だったが、何とか理性を総動員して踏みとどまる。
「……本当にそんな常識の欠片もない決定が聖剣院より出されたのか? もし本当だとしても、我らはそんな不当な要求に屈するいわれはない!」
「へえ、なんで?」
「誓約書はもう取り交わされたからだ! 誓約書は、我らだけでなく貴公らにとっても拘束力を持つ! 誓約書には、最初の報酬でモンスターを倒すと明記されているのだ! それを守らなければ、聖剣院こそ約束破りとして世界中から信頼を失うぞ!!」
「ああ、これね」
フュネスは懐から一枚の紙片を取り出し、ぺラリと広げた。
「それは、誓約書……!?」
「ただの写しですよ。さすがに大切なオリジナルを気軽に持ち歩いたりしません。……さて、問題の誓約書には、このように書いてあります」
フュネスは、みずから示した誓約書の、ある一文を指さす。
「『聖剣院は、前条指定のモンスターを討伐することによって寄進を受け取る』。つまりフォートレストータスを倒すことでアナタ方の寄付を頂くことを約束していますが、『モンスターを倒す』約束自体はしていないんですよ。いつ、どこで、それも指定していない」
「何だと……!?」
「極論すれば、リストロンドが滅亡したあとにフォートレストータスを倒したって何も問題ないわけですよ。いけませんねえ国王陛下、誓約書はサインする前にもっときっちり読まないと」
「貴様ら、何と言う詭弁を……!」
聖剣院は、必ずさらに無理難題をふっかけてくる。
皮肉なことにエイジの予言が寸分違わず的中した。
「と、いうわけで。我々が急いでモンスターを倒すべき理由を貴国から頂きたいということです。値段交渉には応じますが、急いだ方がいいでしょう。何せモンスターはすぐそこまで迫っているんですから!!」
勝ち誇った笑みで、フュネスはその口端を耳に届くまで吊り上げた。相手が、この要求を呑まざるを得ないと考えているのだろう。
ここで断れば、リストロンド王国は滅亡するしかないのだから。
「断る!!」
「なにぃッ!?」





