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103 悪魔との契約

「そんな……!」


 寄進誓約書。


 それは聖剣院が、自身への寄付、寄進を申し出た者にサインさせる約束書きだった。


「余が、ヤツらの要求を呑んだ途端すぐに書類を用意してきた。この件に関して、アイツらがしてきた中でもっとも素早い行動だった」

「サインしてしまったのですね……!」

「仕方なかろう。サインしない限り、ヤツらはグランゼルド殿を派遣することは絶対しない。アイツらを動かすためにサインは絶対必要だったのだ!!」


 王が泣き喚きたくなる気持ちもわかる。


 聖剣院の上層部はそうやって金品を強請り取ってきた。モンスター危機に陥った国や都市から、寄進と称して。

 ヤツらにとってはいつもの手口だった。


 ディルリッド王がサインした誓約書には、法外な額の追加寄付金と、土地の租借。そしてサラネア姫の無期限奉公もしっかり明記されてあったという。


「面倒なことになったな、これじゃセルンはモンスターを倒せないぞ」

「えッ!? 何故です!?」


 エイジの意外な言葉に、当のセルンは困惑する。


「セルン、キミがどんなに聖剣院のやり口を嫌悪しようと、聖剣を持ち、勇者を名乗る以上キミは聖剣院の人間なんだ。キミがモンスターを倒せば、当人の意思に関係なくそれは聖剣院の成果になってしまう」

「じゃあ……!」


 セルンがモンスターを倒し、リストロンド王国を救ったとしよう。


「聖剣院は王との約束を果たしたことになり、ディルリッド王は報酬を支払う義務を負う」

「そんなバカなことってないわよ!!」


 その場において唯一のドワーフで、人間族でないギャリコが叫びをあげた。


「せめて誓約書にサインする前であればな。言った言わないの水掛け論に持ち込んでしまえば、どうにでもなったものを……」


 しかし自分の損得に関わることには抜け目のない聖剣院上層部。約束した証拠たる誓約書を残されてはどうしようもない。


「おかしいわよ、そんなの!」


 やはりドワーフ族のギャリコが言う。


「こんな酷い約束、どうして守らなきゃいけないのよ!? モンスターはアタシたちが倒すんだから、アイツらの言うことなんか無視すればいいじゃない!!」

「人間族ではそれが許されないんだよ」


 種族が違うからこそ浮き彫りになる、考えの違い。


「人間族にとって、約束や契約は絶対のものなんだ。商売によって利益を得るのが得意な人間族だからこそ、契約なしに商売が成り立たないことも知っている」


 だからこそ他種族からも、人間族は『一度交わした約束は絶対破らない』種族として知られていた。


 その信用が新たな契約を呼び込み、利益をもたらす。

 人間族は信用の大切さしっかり自覚し、種族全体でそれを守ろうとしていた。


「約束破りは、信用を傷つけることに他ならない。それを行った者は、人間族全体から爪弾きにされるだろうな」

「たとえ理不尽な契約だったとしても、そんな契約を迂闊に結んでしまった者が愚かなのだと同情されない。それが人間族の世界なのだ」


 国王ディルリッドが、疲れ切った表情で言った。

 この人の場合、自身に不利な契約条項を見逃したのではなく、不利な部分があるとわかっていながらサインせざるをえない状況に追い込まれたのだから、一際哀れだ。


「何よ! 人間族ってバカじゃないの!?」


 ドワーフであるギャリコから辛辣な一言が飛んだ。

 たしかに愚かなのかもしれない。

 約束を守って理不尽をまかり通すのは、愚かなことなのだろう。


「……いいのだ。どの道、やはり聖剣院の思う通りにしか話は進まぬのだからな」


 ディルリッド王は疲れ切ったと言わんばかりに溜め息をついた。

 モンスターが現れてよりの対処、首都全域に徹底させた避難の迅速さが、彼の賢王としての資質を十二分に示していた。

 しかし賢王であればこそ、聖剣院との不快極まるやり取りは彼のまともな感性をズタズタに引き裂いた。


「新たなる青の勇者セルンよ。そなたが現れたことはたしかに幸運だ。聖剣院にもそなたのような清廉の士がいたと確認できただけで、余は救われた気持ちになった」

「国王陛下、そんなことは……!」

「しかし、そなたではやはり事態を解決することはできんのだ。あらゆる意味でな」

「どういうことです?」


 実力を疑われているような物言いに、セルンは眉根を寄せた。


「そなたも聞き及んでいるであろう。我が国に迫っているモンスターは、覇王級なのだ」


 全モンスター中、最強を示すその称号。


「勇者級モンスターは、勇者が死力を振り絞って倒すべき敵。その勇者でも倒せぬと規定されているのが覇王級モンスターだ」


 覇王級を倒せるのは、勇者の上に立つ覇勇者しかいない。


「我が国に迫りくるフォートレストータスは、その覇王級の中でも最強クラスの一種だという。そんなバケモノの中のバケモノに、ただの勇者が立ち向かって何とかなるものか?」

「うッ……!」

「それでも聖剣を振るいし勇者は、余人の想像も及ばぬ達人で、人間族全体にとって貴重な戦力であることは揺るぎない。我が国の都合で戦わせ、無駄死にさせるわけにはいかぬ」


 こんな最低の状況にあっても、世界全体のことに気遣うディルリッド王は、たしかに良き王ではあるのだろう。

 しかしあまりに人が良すぎるのかもしれない。


「やはり聖剣院の助力に縋り、覇勇者グランゼルド殿の到着を待つのが我らにとっては最善と思う。いかなる恥辱を舐めようと、国土と民をモンスターより守らねばならん。……サラネア」

「はい」

「わかってくれるな?」

「はい……!」


 遭遇した当初は「正義を示すのだ」と息巻いていたサラネア王女も、憔悴しきった父親の前では激しい言葉も口から出ない。


「恐れながら」


 そこへ新たな異論を差し挟もうとする者がいた。

 エイジだった。


「む? 何者だそなたは?」

「僕のことはひとまず置いておいて、国王陛下に進言したいことがあります」


 自分のことを上手く隠しながらエイジは言った。


「陛下はまだまだ、聖剣院の腐りっぷりを甘く見ています」

「何だと?」

「賭けてもいい。聖剣院はグランゼルド殿を送り込む前に、またアナタたちに無理難題をふっかけてくるはずです」

「バカな!?」


 国王は色を成して反論した。


「我々は、もう既に誓約書を書き交わしたのだぞ! 契約は、向こうにとっても枷となるはずだ! 約束した以上は速やかにグランゼルド殿を送り込まねば、約束破りはヤツらになってしまう!!」

「そんな常識が通用する相手ではありません。ヤツらについて言えること。それは一旦弱みを見せた相手はとことんまでしゃぶり尽すということです」


 特にリストロンド王国は、人間族の中で一、二を争う強国。

 これを機に最大限搾り取ってしまおうと思うのは、卑劣漢の常套手段だ。


「念のため確認しますが、他種族抗争の仲裁に出たというグランゼルド殿を呼び戻す急使の出立を、陛下はキッチリ見届けたのですか?」

「そ、それは……!」


 見届けていないようだ。

 それよりも不快極まる聖剣院の本拠に、これ以上いたくないという思いが勝ったのだろう。


「恐らくグランゼルド殿は、この事態をまだ知らないでしょうね。聖剣院は報せ自体送ってないに違いない」

「そんな! 誓約書にサインした時点でも、国境間際での迎撃に間に合うかどうか微妙なタイミングだったのだ! もし本当に報せがまだだとしたら、我が国は滅びぬまでも甚大な被害を受けてしまう!!」


 恐らく聖剣院は、リストロンドの首都以外は壊滅するまで放置しておく算段だろう。

 リストロンドは強力な騎士団を持ち、兵士級モンスターぐらいなら独力で追い払うこともできる。


 それは聖剣院の持つ希少価値を低下させかねない目障りな存在。


「ヤツらがアナタたちを苛め抜こうとするに、充分な動機です」

「そんな……!」


 王はもはや自信を支える気力すら失って、その場に膝を折った。


「聖剣院……! 何の権利があって我が国の命運をそこまで弄ぶのだ……! 聖剣はたしかに貴重なものだ。しかしそれはヤツら自身の価値ではないではないか……!!」

「仰る通りです。ヤツらは自分たちの価値と、聖剣の価値を混同しきっている」


 そしてそれを理由に傲慢になりきっている。

 どれだけ傍若無人に振る舞おうと、約束を破ろうと、人の持ち物を奪い取り、侮辱して、嘲笑おうと。

 聖剣がある限り許されると思っているのだ。


「取るべき道は、一つしかない」

「エイジ……?」

「エイジ様……!?」


 導き出される回答に気づき、女たちは呟く。


「モンスターは僕が倒す」

「「はッ!?」」


 いきなりの宣言に、王と王女が揃って困惑した。


「僕は既に聖剣院との関係を断った身だ。僕がどこでどんなモンスターと倒そうと、ヤツらに何も関わりない」


 だから今、リストロンド王国に迫っている覇王級モンスター、フォートレストータスを倒しても聖剣院が契約履行したことにはならず、従って国王は何の報酬も支払う必要はない。


「聖剣院の思う通りにならず、リストロンド王国を救う方法はこれ以外にない。ギャリコ、用意してくれ」

「わかったわ!」

「セルンはすまない。今回は留守番だ。聖剣院に口出しさせないためにも、キミは指一本動かしてはいけない」

「悔しいですが、仰る通りです。了解いたしました」


 テキパキと指示を出していくエイジに、王と王女はポカンと呆気にとられるのみ。

 しかしすぐさまハッと気づいて駆け寄る。


「いやいやいやいや! 何を言っているのだ!? そなたがモンスターを倒す? 放言にしても度が過ぎるぞ!?」


 モンスターは聖なる武器でなければ倒せない。

 それは誰もが知るこの世界のルール。


「見たところ、そなたは勇者ではない! 『聖剣院と関係を断った』と言うからには勇者であるわけがない! たしかに勇者以外の者がモンスターを倒せば聖剣院に付け入られることは絶対にないが、それができないから悩んでいるのだ!」


 何故それがわからない、と国王は半狂乱のていだった。


「心配無用」


 しかしエイジは動じない。


「僕には魔剣がある」

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