102 絶望王
王宮へとたどり着くと、やや意外な人物が王女の帰りを待ちわびていた。
「お父様!?」
リストロンド王国の主、ディルリッド王その人であった。
王者らしい気品ある服装に、煌めく王冠をまとっている。しかしその表情は憔悴しきっており、顔色は土気色を通り越して枯草のような色となっていた。
「いつお戻りになったのです!? まだ聖剣院に留まられているかと……!?」
「急使を送った直後に、余自身も戻ってきた。あそこで、もう余のやることはないのでな」
その乾ききった微笑みを目の当たりにして、エイジは胸の痛みを感じないわけにはいかなかった。
あの枯れ切った顔色、煤けた微笑み。
それだけで彼が、聖剣院でどんな仕打ちを受けてきたかが一目でわかる。
「王宮へ戻ってきた時には驚いたぞ。お前の姿がないのでな」
「お父様……、それは……!」
パンッ、と肉を叩く音が鳴った。
王が、娘の頬を平手打ちしたのだ。
「急使の報せに、さぞや驚いたのであろう。無理もないことだ、あんな強欲の亡者どもの慰み物にされると知れば……!」
「お父様……!」
「しかし王族たる者、軽々しい行動だけはとってはならん。お前の突発的な行動によって、一体どれだけの者が慌てふためき、この緊急事態に取るべき対処が遅延したかわかるか!?」
サラネア姫が城を飛び出したのは、自己保身よりも遥かに熱く燃え上がる義憤の情ゆえだった。
しかしそれでも、生まれながらに自分の体が自分一人のものではない王族は、軽挙妄動それだけで咎められる理由となる。
「お父様……、ごめんなさい……!!」
シュンとうなだれる王女。今度は王は、優しく娘のことを抱きしめた。父親として。
「いや……、本来詫びるべきは父の方だ。この国を守るため、娘を差し出さねばならんとは……! あんなゲスへと……!」
王の今にも血涙を流しそうな表情は、彼の心中を何より如実に物語っていた。
大切に育て、将来も大いに期待する娘を、何の価値もない男に凌辱されるなど、彼自身の人生の意味をも踏みにじる行為だろう。
「あの連中との交渉する間、何度も思った。こんなクズどもに縋って命永らえるくらいなら、いっそモンスターに踏み潰されて果てた方が清々しいのではないかと。誇りを持って死ぬ方が、惨めに生きるよりいいのではないかと……!」
その言葉には、統治者の苦渋がありありを表れていた。
「余一人だけの問題ならば、すぐさま聖剣院長を殴りつけて帰っていただろう。しかし、この危機は余の命のみを左右するだけではない。余が支配するリストロンドの民草すべての命がかかっている。彼らを救うためならば、余は命だけでなく誇りまでもかなぐり捨てなければならん」
「お父様……!」
「サラネアよ。無力な父を許してくれ。名ばかりの王を許してくれ。民を救うためにお前を差し出す悪行を、どうか受け入れてくれ。王族の義務を、このような最悪の形で果たさねばならなくなった運命の呪わしさに、どうか耐えてくれ……!!」
王の葛藤、煩悶は察して余りある。
答えようのない残忍な二択を迫られ、選択に苦しみ、自身の心の奥底にある醜い自分すら目の当たりにすることとなったのだろう。
すべては、聖剣院の人間たちが義務と権利を取り違えたことから始まった。
「ご安心くださいお父様! 運命は、けっして正しい者を見捨てたりはしません! 私が王宮に戻ってきたのも故あってのことです!」
「何だと……!」
「聖剣院の者どもがクズばかりだからこそ、剣神アテナは直接救世主を遣わせてくれたんですわ! 勇者です! 勇者が来てくれたんです!!」
サラネア姫は渾身をもって、セルンを父王の前へ引き出した。
エイジとギャリコは、視界の端へ下がってみる。
「お初にお目にかかります。聖剣院より青の聖剣を拝領いたしました、青の勇者セルンです」
「勇者……!? 聖剣院がもう勇者を遣わしたというのか? こんなに早く?」
戸惑う王に、王女は畳みかける。
「いいえお父様! あのグズでノロマな聖剣院が、そんな迅速な判断をするわけがありません!」
サラネア姫は、これまでの経緯をまくしたてるように説明した。
聖剣院の理不尽な要求に憤慨したサラネア姫は、せめてモンスターと刺し違えることで正義の在処を示そうと城から飛び出した。
その途上で、旅の途中のセルンたちに遭遇したのだと。
「ディルリッド陛下……。まずは我が聖剣院の見苦しい振る舞いに、私から謝罪いたします」
セルンが改めて頭を下げる。
「私は聖剣院より青の聖剣を賜った身ですが、聖剣院の、聖剣の恩恵を独占物のごとく扱う振る舞い。到底看過できません。モンスターを倒し、人間族の命と財産を守ることが勇者の使命なれば、それに見返りを求めること、しかも貪欲に求めること罪科に他なりません」
「う……、む……!?」
「この国を襲うモンスターは、必ず討ち果たして見せます。ですがそれは私独自の判断。聖剣院とは一切関係がありません。陛下は、毎年寄進していただいている寄付金以上は一銭とて支払う必要はありません!」
堂々と言いきるセルンだった。
聖剣院の意向に反することは、勇者にとっても覚悟のいる行為。しかしそれを平然とやってのけることこそ、セルンの健全さを示していた。
「…………!」
ディルリッド王は、戸惑いつつも一つ一つ質問していく。
自分自身の脳内を整理することも兼ねるように。
「そなたは……、青の勇者と申したな。それはもしや、噂に名高い『青鈍の勇者』……!?」
「いいえ、違います」
やっと明言する機会を得て、ハッキリと否定するセルン。
「えッ!? どういうこと!?」
セルンこそ『青鈍の勇者』と信じ切っていたサラネア王女は、その答えに激しく動揺した。
「あなた、まさかニセモノの勇者だったの!?」
「私が青の勇者であることは真実です。それは、この青の聖剣を見ていただければ一目瞭然かと」
そう言ってセルンは、虚空から青の聖剣を実体化する。
「この刀身が放つ神々しさ……! たしかに聖剣だ。青の聖剣自体は初めて見るが、赤や白の聖剣が放つ神気の眩しさと寸分違わぬ……!」
と王が高揚のうちに認める。
「かつてこの聖剣は『勇者の中の勇者』と呼ぶに相応しい方の手にありました。その人に振るわれ、この聖剣は何百何千体ものモンスターを葬り去った。……その方こそ、アナタたちの言う『青鈍の勇者』」
エイジが、足音を立てずまた一歩後ろへ下がる。
「しかし今、青の聖剣はその御方より離れました。そしてこの私が新しい青の聖剣の使い手に選ばれました。それが、私が青の聖剣を持つ経緯です」
「じゃあ、『青鈍の勇者』は、アナタとは違う人なの?」
「申し訳ありませんサラネア姫。勘違いさせておきながら、訂正の機会を今まで持てませんでした」
「いいのよ! 勝手に勘違いしたのはこちらなんだから! それに……!」
サラネア姫は、青の聖剣を消し去ったセルンの手をガッシリと掴んだ。
「アナタが、腐りきった聖剣院とは違う、正しい勇者だということは、こうして向き合えばわかるわ! アナタは清廉で、ウソを嫌う誠実な人。だからこそ私も聖人君子と言われる『青鈍の勇者』と勘違いしてしまったんだわ!」
「ありがとうございます姫。私も、日夜あの人に近づこうと日々鍛錬する身です」
さらに一歩、エイジが後ろに下がった。
「ではアナタは、『青鈍の勇者』を知っているの!? それもそうよね、青の聖剣を受け継いだ、いわば後継者ですもの!」
「私にとってあの方は恩師であり憧れの人です。あの人のごとき勇者になることこそが私の目標です」
また一歩エイジが下がった。
「エイジ? なんでさっきからズンズン後退してるの?」
「何だか居心地が悪くて……!」
ギャリコの指摘に苦笑するほかないエイジだった。
勇者を辞めた今も名士王族の類には出来るだけ素性を知られたくないエイジだったので、いつセルンが口を滑らせないかと冷や冷やものだった。
さすがに人間の王族の前で勇者の口を塞ぐわけにはいかぬ。
「お父様! 『青鈍の勇者』でなかろうともセルンは立派な勇者です! 彼女と協力し、モンスターを退けましょう!!」
「………………」
「お父様?」
しかし、父であるディルリッド王の反応は鈍かった。
「あともう少し、そなたが来てくれるのが早ければな……!」
そんな愚痴めいたことを漏らして、俯くのみだった。
「どうしたのですお父様!? せっかく光明が開きかけてきたというこの時に……!?」
明らかに様子のおかしい王の沈鬱。その真意を見抜く者がいた。
「サインしたんですか?」
それはエイジだった。
「誓約書にサインしてしまったんですね?」
一国の王に対して、あるいは不躾な問いかけかも知れなかった。
しかし、それが沈鬱の核心であり、王は為す術なく頷いた。
「そうだ、でなければ聖剣院は動いてくれなかったからな」
「どういうことなのですエイジ様?」
まだ若いセルンは、聖剣院の複雑な契約のシステムにまで細かく精通していない。
エイジは苦虫を噛み潰す顔で唸った。
「寄進誓約書。聖剣院は、自分への金なり物なりの寄進が決まると、相手に誓約書を書かせる。そして絶対破れない約束にしてしまうんだ」





